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「舟を編む」を観ながら言葉について考える

録りだめしていたNHKドラマ「舟を編む」1・2話を娘と一緒に視聴。
原作を読み、映画も観たのに、こんな話だったけ? とまた新鮮な気持ちに。

色々な言葉が出てきて、考えさせられる。
記憶に残った言葉「なんて」。
たとえば本を好きな人に「本なんて」と言うと、「なんて」の前にある「本」を尊重していないし、本が好きな相手をも尊重していないことになる。
本人はそんなつもりで使っているわけでもないのに、受け取る相手は傷ついてしまう。

「私なんて」という言葉もそう。
「私」に「なんて」を付けると自分を尊重してないことになる。

☆☆☆

言葉にまつわるエピソードがてんこ盛りのドラマ。
辞書を作る人たちが、言葉の一つひとつを時代に合わせて、どうやって辞書に取り上げていくのか。「言葉」に真剣に向き合ってきた人がいたおかげで辞書がある。

娘と一緒にあれはこう解釈できるのではないか、あぁじゃないか、と。
会社の上司が命令口調で支持を出すので、どうすればよいのか。相手との関係性によって伝え方を工夫しなくては、とか。

いちいち録画をストップして会話を楽しんだら、観終わるのにドラマの放送時間より1.5倍時間がかかった。

同じ言葉でも、受け取り方が色々だから、コミュニケーションは難しい。でも、あきらめたら終わり。
どうやったら相手に伝わるのか。

家族どうしでも難しい。
夫と話していると、会話の途中なのに「もういいから」と途中で会話が終わることが多い。私がしつこく喋りすぎなのだろうか。結論から話さないから、面白くなくなるのか。なんだか物足りないまま会話が終わる。
娘とだったら、いくらでも深掘りして喋れるのに。

「舟を編む」はまだまだ続く。
次はどんな言葉が取り上げられるのだろうか。
娘と深掘りしながら楽しみたい。



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