見出し画像

世の中にありふれたオススメというモノ、そして本という娯楽について

初めまして。
なんとなくサブ垢で呟いてるものや高校の友達といまだに続けている交換日記の内容をまとめてみて脳内整理しようと思って始めました。

よろしくお願いします。








世の中にありふれたオススメというモノ

僕は結構本を読むのが好きで、長期休暇の時やワンシーズンに一回必ず一冊は読むんだけど、たまーに電子書籍を買うと「オススメ」というものが出てくるんだよね。

「オススメ」って聞くとなんだか自分を新しい世界に導いてくれるようなそんな輝かしいモノのように感じたことって、ない?

確かに「オススメ」というものは「新しいものに出会いたい!」という自分の意思で出会ったわけではなくて、相手側が「これも好きなんじゃない?」って世界を広げてくれるような新しい刺激があるように感じられるのは分かる。

でも、僕は「オススメ」というものに対して、偶然出会えたものという認識を持っていなくて、どちらかと言うと自分のこれまでの実績から出会えた必然に近い機械的なものを感じてしまうんだよなーー。

だからあまり電子書籍などの「オススメ」というものに手を伸ばすことはないんだけど、逆になんの気はなしに、ふらーっと訪れた本屋でたまったま、目に入った本を手にとって、背表紙のあらすじを流し読みして、買ってみっかってなんとなく思って買って読んだ本がめちゃくちゃ好みだったり、自分の人生観をほんの少しだけ壊して新しく作り変えてくれたり、豊かにしてくれたりなんてことがたまにある。いや、結構ある。

こういった出会い方をした本って結構覚えてるもんなんだよね。

あ、あと決して「オススメ」を否定しているわけではないの??
その「オススメ」は自分がこれまで積み上げてきたものなんだから誇るべきものだとすら思う。

でも、そうするとどこまでいっても「自分の世界の延長線上」な気がして、どこか足りない気持ちになるんだよね。壊してはくれない。どこまでいっても自分の想像の範疇というか。

そういう考えを持っているからか、たまに本屋に足を運んでなんとなく買ってみた本が既に持っている自分の世界とは別の世界を見せてくれて、少しだけ今の世界を壊して作り変えてくれてる気がして、とても新鮮で読み応えがある。

そういった偶発的な出会いをこれからはより大切にしていきたいと思う。本に限らずね。

でもなんか、勘違いしないで欲しいのは、本って基本娯楽用のものであって、新しい刺激を得るためだったり、自分の世界を広げるための参考書として扱って欲しくないという気持ちがある。

本という娯楽

あくまで本って"娯楽"であって、それを読むことによって人生観が少しだけ変わるっていうのはあくまで"副産物"というか、"目的"ではないんだぞ、って。

最近よくいるじゃないですか、いやてか最近ってほどでもねえか、ずっとか。
頭良くするために本読んだりとか、自分の人生変えたくて本読んでるとか。いやまぁ別にいいんだけどさ。自由だし。

純文学とか自己啓発系があんまり好きじゃないのってこういう要素が強いからなのかもな。

前者に関しては別に面白い作品もあるから食わず嫌いでも毛嫌いでもないんだけど、純文学を読むことによって自分が高尚な存在であるかのように勘違いしてるバカがめちゃくちゃ多い気がするんだよな。
エモいっていうクソみたいな言葉を使ってる奴と一緒。なんなんだよマジで。
(エモいに関してはまた今度文句言おう。)

あと多分自分が語学系のゼミで、文系の中でも語学系に力を入れてたせいか文学系とはソリが合わねえ。
太宰治とか日本語の乱れ生みまくっててガチでノイズ過ぎた恨みがあったのかもしれん。
(全作品を否定する気もないし、作者の人間性によって作品を判断する気もないけど、本当に良い迷惑でしたわ…)

なんか、本を読む目的って楽しむとかそういうもんでしょ?
だって所詮は娯楽なんだから。脳みそ使ってないやつが変なとこで脳みそ回すから本へのハードル高くなって読みづらくなってんだよな。それを「お前らは分からないか…」みたいなツラしてる奴が多くてとても嫌い。

後者に関しては、まぁなんかアレはマジで人生の参考書的なモノだから読んでる分にはいいと思うんだけど、そっから読書という行為に入った人間はただの娯楽としての本も参考書として捉えようとするからちょっと苦手なんだよな。
そういう奴ほど「人生変わるから読んでみなよ!オススメ!」って言うんだよな。

そんな簡単に人生変わってたまるかよ。
人生変えてくれなくたって面白いもんは面白いでいいじゃん。
わざわざ難しくしなくたっていいじゃん。
シンプルに生きようよ。分けて考えようよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?