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「やってみたいことを」「やってる自分」になるために。

夏休みが始まった。3度目の、長い夏休み。

今までは、帰国する前に何かしらの予定を立てていた。

1年目は、インターンを決めなくちゃと焦っていて、アメリカにいる間にスカイプで面接をして、採用してもらった。帰国の2日後には、インターン先に向かっていた。友達との予定もこれでもかと詰め込んだ。

2年目は、短期のインターンをいくつか決めてから日本に帰ってきた。1年前の夏、予定を詰め込みすぎてふと目についたイベントやセミナーに参加できなかった心残りから、ちょっと余裕が欲しかった。帰ってきてから気になった企業の方とお話させていただいたり、アルバイトを追加したりしながら、それなりに楽しみつつ充実した夏を送ることができた。

3年目になる今回の夏。今までとはうってかわって、帰国した時点でのカレンダーはすっからかん。立てておいた予定は、家族との旅行と、昨年から関わっているサマーキャンプと、準備のためのミーティング数回と、そのくらい。

真っ白なカレンダーを見て感じるのは、わくわくではなく、ちょっとした焦りだ。

なんでもしていいのに、なんでもできるのに、こんなに自由なのに、それを楽しみに思うどころか、不安に感じてしまう。

「何かやってなきゃ」と、スケジュールを埋めたがる私がいる。

この「何か」は、友達との遊びの予定とか旅行とかそういうのじゃなくて、「社会的に価値があって」「就職に役立ちそうな」「何か」。

この「何かやってなきゃいけない感」は、時期的に話題になる就活だったり、仕事をとことん楽しんでいる友達の姿だったり、大人に聞かれる「将来何するの?」だったりから来る、と思っているわけだけど、実はこれも、他の人に濡れ衣着せてるだけ。

「何かやってなきゃ」は周りからのプレッシャーでもなく、自分が心から思ってるわけでもなく、結局わたしは、「何かちゃんとやってる自分」を見られたいだけだと思う。誰かに課されたわけではなく、自分で自分に課している。

「何かやってなきゃいけない感」から、わたしは「やらなきゃいけないこと」を作りがちだ。「やらなきゃいけないこと」さえ決まれば、あとはやるだけ。ToDoリストを作って消していくのは、中学受験をした小学生の時から得意だった。

「やらなきゃいけないこと」は「やりたいこと」をやっていない言い訳にもうってつけだし、「やりたいこと」が無いことも隠してくれる。「やらなきゃいけないこと」をやってると、頑張っているように見える。

今のところ「やらなきゃいけないこと」がないこの夏が、不安だ。せっかくなら、その自由を楽しみたい。

「やりたいことを見つける」

1年目、2年目の夏の目標は、毎回これだった。毎年ちょっとしたヒントを得て、でも絶対的なものは見つからないまま、アメリカに帰ってまたわからなくなっていた。

なので、今年はやめました。どうしてもやりたいことを見つけようとしてしまうし、やりたいことがあったほうが社会的にも良さそうだし、だけど一旦やめました。

宣言しないと、「やりたいことを見つけるために」「何かちゃんとしたことをやってる自分」に逃げそうなので、残しておきます。「やってみたいことを」「やってる自分」になるために。

永遠に「やりたいことが見つからない」わたしにぴったりな記事があったので、紹介。

だから学生から「やりたいことが見つからないのは、どうしたらいいのでしょうか?」と質問されたときには、「それはそうしたものだから安心してください」と答えつつ、「少しでも興味関心を持てることや、他人に貢献できることに取り組んで、その中から少しずつ自分の情熱を育てていきましょう。そしてもし私たちの道が交差するようであれば、あなたの情熱を育てることに一緒に取り組ませてください」という風に答えることが、「情熱を探そう」に代わる、今の自分ができる最大限のアドバイスのように思えます。
20代のうちに「やりたいことがなくて」みたいに悩むのだったら、まずはバラエティを増やす方向で努力をするのが、一番「正しい努力」な可能性が高いですよ、、、という話しでした

なので今年は、「やってみたい」に従ってバラエティを増やす夏!

新年も同じようなこと言ってたから、方向性は合っている、はず。


写真はまたまたルイジアナ美術館より。美術館やアートの展示にもっと行きたいな

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