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経歴①(ターニングポイントまで)

おはようございます。
カメラ片手に世界を飛び回るエンジニアです。
フリーランスでシステムエンジニア兼、カメラマンをやりつつ、
時間が空いたらプラっと旅してます。


自己紹介でも簡単に話はしましたが、
システムエンジニアの経歴と経緯を
もう少し詳しくお話しします。
ちょっと長くなるので、
数回に分けます。

自分は
普通の頭の良いわけではない、
私立大学の数学科卒です。


数学科は卒業すると大体半分は、
学校の先生になります。
自分の友達も何人かは数学の先生になってます。

ただ自分は人前で話すのが嫌でした。
しかも、教育実習は母校(中学)に行かないといけない。
それが嫌!!
最近の中坊は何を考えてるかわかりゃしない( ノД`)…

かと言って、
やりたいこともやかったので、
他の道はないかと探していたとき、
授業で受けたプログラミングが面白かったので、IT業界に決めました。
その時、やってたのはVB6.0です!
懐かしい~(笑)

その時は、将来どうなりたいとか、
何をやりたいとかなかったです。
ただプログラミングが面白いから決めた。
だから苦労しましたね~
社会人になってから。

自分の入った会社は、
従業員30~40人ほどだったので、
自社で作業することはありません。
基本的にはどこかに出向して作業します。

なので自分も、
1年目から先輩と一緒に出向して作業しました。
初めは日立系列でした。
言語はJavaで、
ストレージの性能を測るシステムだったと思います。

その後も
カーオーディオのシステムや
ハードディスク、特許関連や
銀行系などの開発をやって来ました。

でも、
誰もが訪れるターニングポイントがやってきます!

そう!
「辞めたい」です。

前々から「いやだな、やめたいな」ってのは、少なからずありました。
仕事が楽しい気持ちもなくなってました。
でも転職活動に至るまででにはならず。

でも、
我慢出来ない事件が起こります。
5年目の時。

そこの作業場は忙しかったです。
行って次の日からは21時まで残業しました。
それがずっと続きました。
休日出勤もありました。
帰ったら寝るだけです。
周りは徹夜も普通にしてます。

何故こんなにまでやる必要があるのか、
訳が分からないまま、
ただただ、仕事をやる毎日。

そんな仕事をする意味も
生きてる意味も分からなくなってきてるとき、
隣にいた作業場の古株の人に尋ねました。


自分「毎日きついですよね~なんで皆そんなに頑張れるんですかねぇ~?」


古株「大丈夫。君も慣れるよ。


自分「!?Σ( ̄□ ̄;)」


衝撃でした!
こんな訳が分からない生活が慣れてしまうの?
古株の人も白髪混じりで、
生気がない感じに見えました。

自分もこんな感じになるのか、
と思うと怖くなり
「もう無理」
となって転職へ活動し始めました。



経歴②(フリー転向まで)
へつづく

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