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いつだって業界が盛り上がることをやっていきたい

前回までの振り返り

前回の記事で、日本酒業界が衰退する一途の現状を憂い、ワインでいう「Vivino」のような情報管理アプリを作ろうとした結果、ドキュメンタリー番組を撮影するカメラマン・倉渕宏幸さんに出会い、3年間で150日を酒蔵の撮影に費やすようになった、という経緯を書きました。これまで日本酒については門外漢だった僕は、映像データの提供をきっかけとして、日本中の様々な酒蔵と関係性を築くことができるようになったのです。
(表紙写真:走出 直道 / エスエス)

映像展"Saketrimony"開催

Photo: 走出 直道 / エスエス

2021年の9月、10月にはそれらの映像を携えて、東急不動産の共催のもとで渋谷の桜丘で映像展「Saketrimony」を開催しました。倉渕さんの映像を観ながらのお酒の試飲は、建築家の木藤美和子さんの没入空間の設計も相まって、とても印象深いものになりました。

蔵元たちも立ち上がる

その少し前、コロナ禍による緊急事態宣言の中でお酒の流通がストップし、そのあおりを受けた酒蔵たちは2020年に蔵元団体「J.S.P. (ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォーム)」を立ち上げました。

その理事であり、栃木県で「仙禽 (せんきん)」を造っている株式会社せんきんの薄井一樹専務から、「J.S.P.の加盟蔵の撮影もしてもらえないか」という打診を受けました。こちらとしては願ってもない依頼です。ここで、事業のギアが一つ上がったと感じました。これまではこちらから蔵に打診をしていたのに、酒蔵の方から僕に打診が来たのですから。しかも、喉から手が出るほどつながりがほしいと思っていた蔵たちから。

J.S.P.加盟蔵の撮影開始

打診されたのは8月頃。ちょうど芋焼酎の仕込み時期だったこともあり、J.S.P.加盟蔵の撮影は焼酎蔵から始まりました。鹿児島、宮崎、熊本、そして翌年には八丈島に撮影に行って、焼酎と日本酒の造りの違いはもちろん、文化的な違いや人柄の違いも学ぶことが多いと感じました。

そして何よりJ.S.P.加盟の焼酎蔵は発想が自由なのです。これまでの慣例にとらわれない、新しいお酒の形やマーケティングの手法を次々を生み出しています。この自由な発想は、2000年代前半の焼酎ブームと、その後の低迷の栄枯盛衰を業界全体で経験したからこそ、生まれた特徴だと感じました。
これまでひたむきに追いかけていた日本酒が、「國酒 (日本酒と泡盛を含む焼酎など、日本の酒全体のこと)」の中で相対化された時期でした。

そして 『若手の夜明け』 へ

そうしてJ.S.P.の加盟蔵と撮影を共にし、親交を深めていく中で、再び登場するのが当時「若手の夜明け」の蔵元幹事会長を担っていた「せんきん」の薄井さんです。

ある日、薄井さんが電話で「アキちゃん、若手の夜明けって知ってる?」と聞いてきたのです。「2019年の秋葉原の会に行ったことがあるよ」と話すと、「あれの運営を引き継がない?」と打診をされました。そこで僕は、「え、いいの?やるやる〜」と二つ返事をしたのを覚えています。

その後は、打診をしてもらった当時の幹事メンバー9蔵 (阿部勘、黄金澤、天明、山の井、せんきん、若駒、松みどり、みむろ杉、播州一献)に対し、僕から今後のプランの提案をし、無事に承認をしてもらい今に至ります。そのプロセスの中で、共催に入っていただいている三菱地所への提案、大手町仲通り事業者の組合への提案と承認など、これまでコンサルティング仕事で行ってきたことが大いに役立つ場面もありました。一つひとつのことをちゃんと前に進めることでいつかは結実する、ということだと信じています。

閑話休題。これまで僕がやってきたこと

この3年間、僕は日本酒事業と同時にコンサルティング事業を進めていました。一人でやっている会社のため、できることに限界はありますが、東急不動産、三越伊勢丹、三菱地所などのクライアントのみなさんに価値を提供できたことは、自分としても励みになりました。また、こうした実績のおかげで会社の信用度が担保されたという点でもとても感謝しています。

僕が行うコンサルティングというのは、上海に住んでいた頃に在籍していたfrogというデザインファーム (デザイン・コンサルティングを行う組織のことをこう言います)にいた頃の仕事の形態を継続しています (とはいえ僕が最前線にいた頃から数年経っていますから、きっと今はデザインファーム業界もいろいろと変貌があるように思います)。

デザインファームのお仕事は、企業の研究開発、商品開発、新規事業などを行う部署と共に新しい商品をつくるお仕事です。最終的な納品物としてはデザイナーやエンジニアと共に、資料と共にデザインの制作物(グラフィックだったり立体だったりプロジェクトによる)を納めていました。多くのクライアントからはお悩み相談から始まり、対話を進めていく中で問題の構造を定義して、問題解決のための仮説を立てて、と進めていきました。その問題解決策の一つが、何かしらのデザインの成果物という点が、一般的なコンサルティングファームとの大きな違いかなと思います。

2018年11月にClandを立ち上げる前から、僕は東急不動産と渋谷桜丘の再開発に関わり、札幌すすきのの複合開発にも参加していました。現在関わっている案件は、たまたまですが、不動産デベロッパーの商品である「建物」、特に商業施設部分についてのプロジェクトが比較的多いです。前職のプロジェクトも入れると範囲はより広がり、日系クライアントだけで見ればHONDA、MAZDA、DENSOなどの自動車メーカーであったり、LIXILやPanasonicのような住宅、家電であったり、DocomoやSoftBankなどの通信であったり、資生堂やPOLA、サントリーなどの消費財であったりと様々なプロジェクトに携わる機会がありました。もちろん外資系の会社でしたので、海外のクライアントとのプロジェクトもたくさんありました。

いずれにしてもリサーチからプロダクト(ソフトウェアであれハードウェアであれ)のアウトプットをするという経験を積み重ねて、今の僕があります。僕が新しい案件でまず「大量のインプット」をするのは、これらの経験から身についたことなのだと実感しています。

そうした過去を踏まえつつ、今はコンサルティング仕事を控えめにしながら、今回より引き継いだ「若手の夜明け」の長期的な成功に向けて、そして日本酒業界の盛り上がりを構造的に実現するために、全身全霊を捧げていきます。

業界全体の盛り上がりを醸成したい

僕自身は、日本酒業界全体が構造的に成長することを第一に考えています。一社だけが単独で儲かるためだけなら、既存の仕組みの中でも十分実現可能だと思います。しかし、全体のパイが広がるためには既存の慣習は見直すべき点が多々ありますし、仕組みとして競争が起きるような場を作らなければいけないと思っています。そうした仕組みづくりが、僕の役割なのだと考えています。

業界全体の成長というのは、日本酒の消費量が増え、酒蔵の生産量が増え、生産者数が増え、酒販店の売上が増え、市場の流通量が増えることであり、かつ、それぞれの利益率が向上することです (流通における問題点は大きく3つあると考えていますが、それはまた別の機会に)。

そのためには酒蔵も、酒販店も、競争力をつけていかなければいけません。

知恵と工夫で今の消費動向を察知し、市場環境の全体観を把握して、自分らしい酒造り、自分らしい店作りのストーリーを発信しなければいけません。どこかのグループに所属していれば安心、ということはまったくないのです。それは若手の夜明けへの参加に限っても同じです。そこに知恵と工夫を盛り込まない限り競争力はつきませんし、成長は見込めません。

そうして全体観を持った上で、とりあえずやってみること。そしてたとえ失敗しても、そこから学んだことをすぐ次に活かすことが大事です。できない理由を挙げるのではなく、どうやったらできるかを考えること。足を引っ張るような人とは付き合わないこと。それだけで、事業は大きく推進します。これから、弊社で推進している事業についても少しずつ詳しく発信しようと思っています。

僕たちClandはデザインとテクノロジーの会社です。デジタルとリアルの場作りを、デザインとテクノロジーの力でより良いものにしていく。それが僕たちの使命です。これまではあまり表立って発信をしてきませんでしたが、今後はこのnoteを中心に、考えていることを少しずつ発信していこうと思っています。それを読んだ人が、一人でも多く共感し、一緒に日本酒業界を盛り上げてくれたら嬉しいなと、思っています。


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