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『ファイナル・プラン』と、正直であることの功罪

正直でさえあればいいのか

リーアム・ニーソン主演作『ファイナル・プラン』は、原題が “Honest Thief”(正直な盗人)であることからもわかる通り、「正直さ」にまつわる問題が提示されています。正直さはいっけん無条件で正しいことのように見えますが、本作における主人公の正直さを支持していいのか、観客に問いかけるような構成がおもしろい部分です。物語は、幾多の銀行で強盗をはたらき、金庫破りで大金をせしめた男(リーアム・ニーソン)が主人公となります。彼は孤独な犯罪者として生きてきましたが、ある女性(ケイト・ウォルシュ)に出会ったことで人生が変わり、改心します。まずは罪をつぐない、過去を完全に清算してから、女性と結婚して暮らそうと決めたのです。男はFBIへ電話し、これまでに盗んだ金をすべて返した上で自首するので、刑期を短くできないかと交渉しましたが、大金が絡んでいたため、事態はややこしい方向へ急転していくことになります。

思うに「正直さ」にはふたつの側面があります。罪をつぐない、間違いを正そうとする姿勢と、過去の秘密を相手に伝えて心の重荷を下ろし、ラクになりたいという欲求です。前者は尊敬すべきですが、後者はどこか自己中心的です。たとえば浮気していた事実を配偶者や恋人に告白する、といった場合、たしかに正直ではありますが、それは相手を傷つけるタイプの正直さです。浮気の告白にいたった理由が「黙っているのが辛いから」であった場合はより利己的で、相手がその事実を知ったことでこうむる精神的なダメージを考えると、正直さが立派だとは結論しがたいのです。秘密を守り通す精神的重圧に耐えられないなら、浮気などしなければよかったとも言えるのではないか。

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苦しみの転嫁

また、正直さはおもいのほか複雑で、先に述べた例でいえば「前者70%、後者30%」というように誠実さと利己心が入り混じっている場合もあるため、「これはよき正直さだ」とか「この正直さは残酷だ」といった判断がむずかしいケースもあるように思います。では本作における主人公はどうでしょうか。「銀行強盗としての過去を精算しなければ、幸せな生活は送れない」「盗んだ金をすべて返したい」という彼の想いは誠実(Honest)なのですが、同時に「秘密を守り通すことの苦しさから逃れたい」という欲求もまた存在しており、主人公の苦しみは、告白によって女性の側へ転嫁されます。女性は突如として、主人公が払い切れなかった精神的負債を抱え込み、少しずつその負債を肩代わりで返済していかなくてはならない羽目におちいります。これはフェアさに欠けるのではないか。

銀行強盗だった過去を告白した際の、女性の動揺が印象に残りました。女性は、男性がいままでごく普通の人間であることを装いながら、突如として自分が銀行強盗をはたらいていた犯罪者であると告白し始めるような、手前勝手な正直さに腹を立て、困惑しているのです。だからこそ “Honest Thief” という作品タイトルは、ほめ言葉であると同時に、身も蓋もない残酷さを示しているようにも感じます。同時に人間関係とは、こうした許しがたい何かを許すことでしか成立しないものなのではないか、という気がしていて、相手を許す態度、過去を許容する寛容さについても考えてしまいました。それにしても、「昔は銀行強盗をしていてね……」という告白は、なかなかの衝撃ではあるのですが。

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