サッカーと過ごした10年間③ボールに触れたくない
はじめに
5年生のはじめ、私はサッカーが嫌で仕方なかった。ボールもあまり触れず、自分の選手としての良さが消えつつあり、試合でもうまくいかず…。
こんな日々が続いていた。
情けない
このころになると、このクラブに別の小学校から通い始めた子や、別のクラブから移動してきた子などが増えていき、当時の5年生の人数は20人をとっくに超えていた。
偶然か、入団してきた子たちにはアピールポイントがあった。別のクラブでサッカーをしていた人はもちろん上手だったが、初心者も陸上部で鍛えた足がある子や5年生ながら強いキックができる力を持つ子など、すぐに戦力とされる人たちばかりであった。
そしていつしか、私はサブの底辺に近いところまで落ちていた。試合に出る回数は減り、出た場合はあまりうまくプレーできずに終わる。認めたくないけど、自分はサッカーが上手ではない人間なのか…そう思い始めていた。
罰走再び
ある真夏の練習試合の帰り、電車内でコーチが静かに怒りを露にした。
「電車内のマナーが悪い。5年生にもなってまだこんなことを言われないといけないのか。今から学校に着いたら(罰として)走ります。走る時には一切水を飲んではいけません。」
原因はこちら側にあるとはいえ、今思うと理解し難いことだ。それでもコーチを恐れていた私たちはその後の電車内では一言も話さず、しぶしぶ学校に着いた。
そこから2つのグループに別れて走った。休憩は一方のチームが走っている数分間だけで、もちろん水を飲むことは許されない。
何回か走った後、コーチが半ば思いつきで「次の大会のメンバーを決める。毎周の最下位は脱落者として、次の試合には出さない。最後まで残った人を次の大会のメンバーとする。」
と言った。
これまたよくわからない話だが、「どうせ走るなら…」という思いで走り続けた。
一周、一周と自分の周りから脱落者が出る。彼らは脱落を言い渡された後、トボトボと鞄がある場所まで行き、水を飲む。
それを見るや否や、「電車内はあんな元気だったのにな」「全員水を飲むのを我慢しているのに、なぜお前だけ…」とコーチが毒を吐いた。
私は走り負けたくないことと、コーチに何か言われたくない気持ち、そして少し大会に出たいという思いから必死に走った。
結局、私はその罰走集団に最後まで残り続け、次の大会のメンバー入りが決定した。罰には腹がたったが、不思議なことに、それ以上に自分がメンバーに入ったことが嬉しかった。自分は「戦力」になることが約束されたことがとても嬉しかった。
帰りが大幅に遅れることも、その理由も知らなかった母親とても心配して、帰ってきた私をきつめに叱った。それでもなぜか私はとても清々しかった。
大会
その次の週末、私は大きな大会に出場した。どれもスタメンとして出場し、点をとり、アシストをした。2日間に渡ったこの大会で私たちは優勝し、記念メダルをもらった。
この日はなぜかストレスなくプレーでき、コーチもとてもニコニコして私を褒めてくれた。だが、私は心の底からこの結果を喜べなかった。
理由は大きく3つある。
①罰走で脱落した人の存在。休んだ人のうち家にいながら悲しい思いをする人もいた(そのうち何人かは後に辞めることになる)。また、試合に出れないことがわかっていても応援しに来る子もいた。その子は試合中に試合会場を走るだけで、ボールを蹴ることも、私たちの試合を観戦することも許されなかった。私は彼らが気の毒で仕方がなかった。
②試合出場は自力で掴み取ったものとはいえないこと。罰走の件から一定の体力と根性、試合出場への思いは認められたとはいえ、技術的な面は伴っていなかった。その点、脱落した人の方が明らかに技術は高かった。
③ポジションと自分の役割。この日はサイドハーフとして出場した。攻めるメンバーは私を含め5人。そのうち大半はあまり上手ではないメンバーだった。逆に守備の5人は上手なメンバーで構成されていた。もしミスがあれば守備メンバーでカバーし、攻撃メンバーが点を取れない場合に限り攻守交替で点を取りに行った。
こうして確実に1勝を積み上げていったが、私はボールを取りに行く突撃部隊の1人に過ぎず、プレーをカバーしてもらう側の人間であった。私のプレーへの信頼はとても軽いものだったことをこのときに知ってしまったのだった。
ボールに近づかないサッカー
自分は上手でないことへの落胆、コーチに何も言われたくない思い、チームの良くない雰囲気などが積み重ねた結果、ついに上手い立ち回り方を見つけた。これは、もうすでにしていたことだった。
それは、ボールをなるべく触らないことだった。原則ボールを持ったらすぐにパスを出す。前ではなるべく囮の動きをかって出てボールに触れない。これらのことを守れば、絶対にミスをしない。つまり、絶対に怒られない。
当時は意図的に考えていなかったが、今思うと、これまでの流れから無意識のうちにこうしていた。
おわりに
こうして私は本来の楽しみを忘れたままサッカーを続けた。
「自分もこんなプレーができるようになりたい」
「こんな大きな声援を送ってもらえるかっこいいサッカー選手になりたい」
こんな思いはとうの昔に消えていた。とにかくサッカーを楽しめていなかった。
周りも気づけば少しずつクラブを辞めたり練習参加を少なくしたりする友達が増えていった。
続く。
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