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サッカーと過ごした10年間④束の間

はじめに

 小学校3年生から始めたサッカークラブに影響され、うまくいかないことが続いた。それでも不思議と「辞めたい」とまでは思わなかった。というより、辞める選択肢が当時の私の頭の中にはなかった。

 これまで小学校時代の嫌な記憶を記してきたが、そんな中でも少しのびのびとできた時があった。

行き帰りと休憩時間

 このクラブには送迎制度がなく、公共交通機関や貸切バスなどを利用して試合会場まで行っていた。そこでの時間は不思議と楽しかった。

 学校での出来事やどの授業をしているか、好きなゲームの話など、男子小学生っぽい話で盛り上がっていた。この時だけは例のコーチもニコニコしながら、時にはコーチ自身の話を聞きながら楽しく過ごしていた。

 ただし、アップや試合になるとコーチはピリッとした表情に変わり、声のトーンや発する言葉などがまるで別人のように変化したのだった。

 試合の休憩時間もまた楽しい時間だった。おにぎりを食べながら試合の反省をしたり、くだらない話をしたりして過ごした。

 昼食後はサッカーテニスやリフティング大会(どれだけ長く続けることができるか)などを友達と一緒にした。これらの遊びのおかげでボールを長く落とさずに続けることができるようになり、リフティング100回くらいはいつでも軽くできるようになっていた。

 でも、この遊びで不思議と「上手い人」と「下手な人」の2グループに分かれていった。

 「上手い人」はいわゆる陽キャグループで面白いことを話し、よく活躍し、プレーに関することをよく口にした。

 それに対して「下手な人」は物静かでおとなしい子が多く、当然私もこのグループに属していた。このグループは試合にあまり出られなかったり、交代で少し試合に出たりするメンバーであった。

 こうした2層に分かれることへの違和感は感じていたが、その分気の合う人しか周りにいなかったため、とても心地よかった。

Bチーム

 5年生のあるとき、県内リーグが開かれることになった。五年生メンバーが増えてきたこともあり、このクラブから2チームに分けて出されることになった。この2チームの分け方は、いうまでもなく「上手い人」であるAチームと「下手な人」であるBチームであった。私はもちろん後者であった。

 正直、ほっとした。Bチームは別のコーチがついた。この人は優しいおじさんで、例のコーチよりも圧倒的に好かれていた。ミスをしても怒ることはなく、常に前向きな声かけをしてくれた。私たちはとてもラッキーだった。

 このチームだと、行き帰りや休憩時間、アップや試合まですべてがのびのびできた。その分負けることが多く悔しい思いをした。勝った試合は数えるほどだ。それでも、負けても罰走はなかった。別のところからの変な圧力がない分気を張らずにプレー出来、少しだけサッカーが楽しいと感じることができていた。

中学生と

 自分で言うのもなんだが、私はBチームの上のほうになりつつあった。

 この時期から、私はパスをすぐにするだけの人ではなかった。自分なりのプレスはもちろん、チームのために声を出したり指示を出したりしていた。

 また、左利きである私はこの特徴を生かしてドリブルで相手をかわしてシュートをしたり、ペナルティエリアまでボールを運ぶことができるようになっていた。この時は、試合にはまり勝てないけどサッカーを楽しいと感じるようになっていた。

 あるとき、中学一年生との試合が組み込まれていた。五年生の私たちより2つ上で、身長も高く低い声で話しているところからもなんとなく怖い印象を持っていた。この人たちと30分の試合を行った。

 あたりは強かったし、チームの他の人もすぐに抜かれたりあたりに負けたりして、満足にプレーできていなかった。しかし、私は不思議とやる気に満ちていた。ボールを取られたり抜かれることもあったが、逆にやり返すこともできていた。

 試合が始まって少し経ったころ、右サイドでボールを持った味方が、苦し紛れにゴロで相手のペナルティエリア内にボールを蹴った。うまい具合に敵も味方もそのボールを触らずに転がり、私の元に来た。

 私はそのボールを冷静に、右足でキーパーの股を通す形で蹴った。そのゴールが入った。利き足でないことやスムーズな得点でないことはさておき、これが私の人生初ゴールだった。

 その次の週に組み込まれていた別の中学校との練習では、なんと2点決めた。そのうち一点はまた抜きゴール、一点はいつしかの、相手からボールを奪ってゴールに蹴った。

 決して豪快な点ではなく、ゴールにパスをする優しいゴールだった。だか、この経験で、私は自信がついた。

 その後も点を取ったり、ドリブルで相手を抜いたり、ディフェンスでは相手のボールを奪ったりした。Bチームだからだろうが、私は確実に戦力として進化していた。

終わりに

 ある時、小学校の親友がサッカーを辞めると言い出した。もともと野球をしたかったというのもあるが、「自分は満足に活躍できずにいたから」と言っていた。私が多く試合に出られるようになった分、彼は面白くなかったんだろう。違うところに場所を移したのだった。

 また、Bチームでの活躍を機に、私はA戦に出ることが増えた。交代枠、スタメンとなり、点をとることも少なくなかった。

 しかし、個々のクラブのサッカーの根底にはこわさがあった。うまくプレーできなかった。さらに、このころの私はもう小柄でひ弱な分類に属しており、プレスや走力などが武器の自分ではなくなっていた。

 こうして活躍チャンスはもらうものの、スタメンの座を得ることができずに終わってしまった。

 続く。

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