がん治療のアクセルとブレーキ

完全な切除が不可能ながんには、

抗癌剤や免疫治療などの全身薬物療法
重粒子線などを含めた放射線治療
そして緩和治療
これらの組み合わせで生存延長を目指します。

この際、全身薬物療法に必ず付きまとうのは、
耐性化です。
これは、従来型の殺細胞性薬剤だけでなく
分子標的薬、免疫治療でも存在します。

耐性化の科学的解明は進んでいて、これをいつかは克服する時代が
くるのでしょうが、
それはきっと10年、20年先でしょう。
耐性化は、僕らから見ても理解不能な細胞、遺伝子の話が羅列され
正直、僕は全てを理解することをとっくに諦めてます。
立派な先生方が解明してくれた、結果を、臨床に使わせてもらいます。

さて、皆さんは耐性化を身体で感じることは直接ないでしょう。
僕らは、薬物療法(がんカテも含め)をしている際に
画像と腫瘍マーカー、あとは臓器機能などから
あれ? ちょっとデータの動きが変わったな
そんな感じで耐性化を予兆したりします。
なお、これは症例を診た数や経験値、センスがものをいいますので
医師免許を持っていたら誰もが耐性化の予兆をわかるわけではないこと
あしからず。

僕も、自分の患者さんたちに、よく
「ちょっと肝臓の数字、いつものカテ後と違いますね」
「カテした後の身体の反応(敢えてここではナイショにしますが)が違いますね」
「腫瘍サイズが、ここにこれだけ動注したのに変化が乏しいですね」
と、術者ならではの、そしてたくさんの患者さんの経過からの経験値で
そろそろ耐性化してきたことを予兆します。

耐性化してきたな、と思った後は、がんの動きはすごい早かったりします。
がんの増大、減少をアクセルとブレーキに例えると、
がんカテで、狙ったがんが縮小してても治療成功
そして、今まで増大もしくはマーカーが上昇し続けてきた患者さんが
画像でがんのサイズが動かなくなり、マーカーがさざ波変化になり
ご本人が元気になると
これは立派なブレーキに成功したと判断します。

ただ、がんはその間もアクセルを踏み続けます。
がんカテも抗癌剤治療。
他の抗がん剤同様、投与してしばらくはブレーキとなりますが
日に日にブレーキは浅くなり、
腫瘍のアクセルの方がまた勝ってきます。
僕のやってるカテが、あくまで抗癌剤治療のひとつ(塞栓は同時に打ち込む大砲みたいなイメージ)であって、なぜ繰り返すかは、
他の抗がん剤治療が繰り返さないと意味がないのと一緒です。
常に、ブレーキをかけ続ける必要があるからです。

しかし、耐性化のために、
(僕は静岡にいたときは、超車好きでやんちゃでしたので
 あえてその表現でいうと)
ブレーキもバッドが減ってくれば減速しなくなってきます。
同じ力で踏んでもなかなか止まらない。
逆に、運転手であるがんの方が、調子にのってさらにアクセルを踏んできたりします。

皆さんは、よく
急に治療が効かなくなった、急にがんが大きくなった
と僕の初診の外来で表現されますが、

これは、アクセルとブレーキのバランスが一つの要因です。

もうひとつ、アクセルの問題です。
がんは、いつも一定速度でアクセルを踏んでるわけではありません。
ただ耐性化を勝ち取り悪化するだけでなく、
顔つきが変わって別の癌のようになりアクセルをベタ踏みすることもあります。

その際は、どんなに優秀なブレーキでも減速が難しくなります。

そのくらい、がんのスピードは、変化があります。
それも突然起こりえます。


そのピンチの時に、いかにその場を乗り切るか。これが大切です。
のんびりかまえてなんかいられません。

あっという間に臓器機能が低下し死にいたることもありえますから。

年末も、初診でこられた何人かの患者さんを、年始明けから治療を開始しますが、その際も、基本的には、カテをやろうと決めたんならとっととやりましょう、待っててもがんが悪くなるだけですよ、と、カテの枠をみて最短のところでカテの予約をいれることが多いです。

ただ、たまに、本当に数日でこの人はヤバイ
そんな方が、息も絶え絶えで初診外来に来られます。
昨年も何人かおられました。全員ではありませんが
かなり急場をしのげたと思います。

そういう患者さんは、外来から自宅に帰す時間がもったいないので
その場で緊急入院していただき
ただちにカテを前提に内科的治療を開始
可能なら外来の翌日に1回目のカテを実施します。
とにかく、まずはおもいっきりブレーキをかけなければ
身体がカテも出来ないレベルまで悪くなるので。


長々と書きましたが
今年発表する予定の研究テーマは

初診外来で切羽詰まった患者さんを緊急入院してもらい
ただちにカテをした肝転移の当科の成績です。
ほとんどの方が、初診外来時に余命1~3か月と予測されました。
かなりアグレッシブな研究となりましたが、
自分のカテだけでなく、緩和の先生や、消化器内科の先生にも
一部治療していただいたこともあります。
総合病院ならではですが、多くの方が、劇的に全身状態が改善し
日常生活に戻れ、その中には1年以上カテをやり続けているかたもいます。

これを、今年の放射線科学会でまず報告する予定です。

なお、本来なら、こんなに状態の悪い方にリスク冒してカテをすることは
僕も悩みますしやりたくないです。

もうすこし、もうすこし

早く外来に一度相談に来てください。


やはり、もう少し早く来てくれたら、カテをして、次の治療につなげられたのにと思う患者さんが一定数おられますので。


新年初回のブログは、車好きだった自分ならではの表現で
わかりやすく書いてみました。
(現在の免疫治療や遺伝子関連治療は、恐らく医者の中でも
 理解できる方は少ない、そのくらい難しいレベルなので
 皆さんが理解できることはほぼ不可能と思います。
 なので、僕なりにいつも、嚙み砕いて書いてます)

大阪に来てからは最終的に車を手放しましたが、

静岡に居るときは10台くらい車を乗り換え、改造し、
富士山の登山道を走り回ってたことを思い出しながら書きました。

ちなみに、僕が世界で一番好きだった愛車は、S2000です。

本日はここまでとします。

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