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ドット絵をInstagramとblueskyに上げています。沖縄で生まれ育ち朽ち果てる存在。

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「解釈学・系譜学・考古学」読書会私記――永井均の忘却論

本記事は、最初に永井均「解釈学・系譜学・考古学」の概要、次にそれを受けて私が実験的に書いてみたメーテルリンク『青い鳥』の二つの変奏があり、最後に、先日行われた魔神ぷーさん主催の読書会への「あとがき」のようなものを置いた。  「解釈学・系譜学・考古学」概要 1.私たちは、自分の生をはじめから肯定できる観点を、ぜひとも見つけたいとつねづね思っている。その歩みは、あらゆる過去の思い出や現在のさまざまな出来事を「もともとそうであった」という観点のもとで解釈することを通して、

    • 人生は一回しかないという、この一回がどうしても記憶できない。人生の一回に当たる「これ」がどうして「この」一回に当たったのかを、どうしても私は記憶できないのだが「人生は一回しかない」という言葉のかたちを記憶することはできる(内容の記憶はない)。「存在しない記憶」とは、畢竟これか?

      • 永井均が哲学を宗教より信仰の誠実さを求めるための「祈りを拒否する祈り」であると書いていて思い出したのは、哲学者から神学者に転身したリヒャルト・クローナーが晩年、哲学はただ信仰の形式においてのみ宗教に対して優位にあると述べていたこと。それはそうとクローナーは忘却されてしまいました。

        • 感想を書いてからしばらくして思い出したが『perfect days』には、誰もが出入りする公園(そこにある大木)と、そこに何が建っていたか誰にも覚えられていないような空き地、という対比があったように思う。平山という男の内心を少し考えてしまった。

        「解釈学・系譜学・考古学」読書会私記――永井均の忘却論

        • 人生は一回しかないという、この一回がどうしても記憶できない。人生の一回に当たる「これ」がどうして「この」一回に当たったのかを、どうしても私は記憶できないのだが「人生は一回しかない」という言葉のかたちを記憶することはできる(内容の記憶はない)。「存在しない記憶」とは、畢竟これか?

        • 永井均が哲学を宗教より信仰の誠実さを求めるための「祈りを拒否する祈り」であると書いていて思い出したのは、哲学者から神学者に転身したリヒャルト・クローナーが晩年、哲学はただ信仰の形式においてのみ宗教に対して優位にあると述べていたこと。それはそうとクローナーは忘却されてしまいました。

        • 感想を書いてからしばらくして思い出したが『perfect days』には、誰もが出入りする公園(そこにある大木)と、そこに何が建っていたか誰にも覚えられていないような空き地、という対比があったように思う。平山という男の内心を少し考えてしまった。

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        • 拙文
          5本
        • 読書メモ
          3本

        記事

          正気を保ちつづけるには足りない──ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』感想

           質素でミニマルな生活様式は、ただミニマルなだけではなく「精神的な余裕」をプレゼンスとして広告表示されるものでなければならない、という強い偏見が今の社会にはないだろうか。  ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』は、そうしたミニマルな生活様式へ向けられたよくある偏見──貧しくても慎ましい生活している人であれば、それだけ心の余裕(心の豊かさと言われるような気質)を持っているはずである、という偏見──を、明らかに商品広告化している。  役所広司演じる平山という男の生

          正気を保ちつづけるには足りない──ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』感想

          昨日、10年近く連絡を取っていなかった小・中学の同級生と再びつながった。電話越しにホッとした。とても嬉しい。ここ数年で一番嬉しかったかもしれない。

          昨日、10年近く連絡を取っていなかった小・中学の同級生と再びつながった。電話越しにホッとした。とても嬉しい。ここ数年で一番嬉しかったかもしれない。

          「未来の印象」と「永遠の無」の謎――成田正人さんと高村友也さんの著書についての三つの所感

          (加筆修正:2024/02/10)  帰納法と「死」  「帰納法」の問題は、ひろく認識論の問題であると言われる。私たちは「昨日も今日も、太陽は東から上っていた」と個別的な事例を集めてから「だから明日以降も、太陽は東から上るだろう」と一般的なことを「帰納」している。しかし「これまで」がそうだったからと言って、なぜ「これから」もそうであると言えるのか?という問いに正面を切って答えられる人はどこにもいない。 だから、少なくない人達は、回り道を選んで「どのようなことがこ

          「未来の印象」と「永遠の無」の謎――成田正人さんと高村友也さんの著書についての三つの所感

          吉永剛志さんのブログで今の大学人を批判する文脈から「なんでお前のキャリアアップのためだけの本を部外者が読まないといけないのか」と書かれていて、あらゆる出版文化に通底する言葉だと思った。

          吉永剛志さんのブログで今の大学人を批判する文脈から「なんでお前のキャリアアップのためだけの本を部外者が読まないといけないのか」と書かれていて、あらゆる出版文化に通底する言葉だと思った。

          理由がないからこそ貴重で大事、の「からこそ」が分からない

          入会していない私でもこれは無料で読めるらしく読んでみた。 最近読んでいる下の本の主題と共通する「死への恐怖」。 私は投稿者の子供の問いには共感するし、なんならいつもそれを考え続けている。それに対する東浩紀氏の娘さんの回答も頷ける。ところで、この高村友也氏『存在消滅』は、微妙な差異だけども、東浩紀氏と東の娘さんが言っているような人生の内部で起こる他人の死や苦しみや孤独などの問題として言われる「死への恐怖」ではなくて、永遠の無、すなわち人生の外部での「永遠性の伴った死への恐怖

          理由がないからこそ貴重で大事、の「からこそ」が分からない

          父が死んだ日

           去年の今頃、父が死んだ。おそらく心臓発作だった。まだ六十代前半にすぎなかったけど、私には人が何歳で死んだとか、さほど大事なこととは思えない。六十でもまあまあ生きた部類だと思う。父の死ぬ前日に、LINE通話で少し会話をした。一人暮らしの父と頻繁に連絡を取っていたのは少し離れた地域に住んでいる、同じく一人暮らしの私一人だけだったと思う。父は11月末から風邪を引き始めて、師走に入っても、やや体調を崩しがちだった。12月中旬に「明日また病院へ行く」という話を聞いて、そのあと二度と連

          X(旧twitter)アカウントを削除した。十代の頃から数える程度はアカウントを作って薄々気づいていたが自分は結局SNSに向いていないと感じる。しかしファンアートという名目で人にイラストを送るのは楽しい。童心に返れるからだ。今後も密かに…続けるつもり。

          X(旧twitter)アカウントを削除した。十代の頃から数える程度はアカウントを作って薄々気づいていたが自分は結局SNSに向いていないと感じる。しかしファンアートという名目で人にイラストを送るのは楽しい。童心に返れるからだ。今後も密かに…続けるつもり。

          冬季鬱っぽい日が続いていた。免疫系にも影響が出たのか、どうやら風邪を引いたらしく、体が重く、珍しく寒気もある。父の一周忌が終わり、久々に会った親戚の変わりようも見たのでややメンタルが沈んでいたところを、この体調不良だ。少し落ち着いたら、コンビニに出かけよう。

          冬季鬱っぽい日が続いていた。免疫系にも影響が出たのか、どうやら風邪を引いたらしく、体が重く、珍しく寒気もある。父の一周忌が終わり、久々に会った親戚の変わりようも見たのでややメンタルが沈んでいたところを、この体調不良だ。少し落ち着いたら、コンビニに出かけよう。

          自認することの物神的性格について――ピエール・クロソウスキー『ディアーナの水浴』を読んで

          (これは2023/09/11に投稿した記事なのですが、誤って削除したので再投稿しました・・・いま読み返すとなぜそもそも数あるクロソウスキーの著作の中でこれを読もうと思ったのか。大掴みに言えば、性自認とアクタイオンの鹿への変身という形象の関係を「物神性」の観点から掴もうとしていたのです・・・)2023/12/16 オウィディウス『変身物語』のなかに登場する伝説上の人物、アクタイオン。もしその悲劇がローマの人々に語られる前に、アクタイオンがその伝説上の人物は自分のことであると知

          自認することの物神的性格について――ピエール・クロソウスキー『ディアーナの水浴』を読んで

          成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社)の読書メモ③:第七章から第八章まで(終わり)

          キーワード:未来向きの帰納、経験への的中、未来の経験、「グルー」、帰納の形而上学、道徳的運(状況の運と結果の運)、「どうして、これまでがそうであると、これからもそうであるのか?」、認識論的な懐疑論と存在論的な懐疑論、超越論的な自然(本性)主義 「経験への的中」の問題 ここから著者は、これまで見てきたヒュームの「帰納の問題」を「過去・現在・未来」の時制を含む知覚の向きの問題、あるいは「帰納の向き」の問題として細かく見直します。帰納的な信念には「想像上の基準」(174p)とは

          成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社)の読書メモ③:第七章から第八章まで(終わり)

          成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社)の読書メモ②:第四章から第六章まで

          (2024/4/20: 一部加筆修正) キーワード:一般的な帰納と個別的な帰納、観念の自然な連合(類似、隣接、因果)、必然的結合、蓋然的に確信できる信念、自然の斉一性と不斉一性、蓋然性、一般化の正当性、帰納の認識論的な問題の「懐疑論的な解決」、習慣的な自発性、「懐疑論的な解決」以後の正当な帰納、「現実の存在」と「想像上の基準」。 帰納の二区分と前提 私たちは自分が直接は経験していないことを推論します。直接経験したことを帰納的に推論することは、まずありません。今わたしがこ

          成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社)の読書メモ②:第四章から第六章まで

          成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社)の読書メモ①:第一章から第三章まで

          キーワード:印象と観念、活気の程度の差、単純と複雑、第一原理、類似性テーゼと因果性テーゼ、「青の欠けた色合い」、観念の関係と事実の問題、思考可能性 まず基本的な情報を手短に。本書はデイヴィッド・ヒュームの哲学に関する研究書です。この本は成田正人が自身の博士論文「帰納をめぐる一般化と未来の問題――ヒュームを手がかりとして」(2017)を基にして、大幅な加筆修正を行って2022年に上梓されました。ヒューム哲学の易しい入門書ではないと著者は冒頭に述べていますが入門書レベルのことは

          成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社)の読書メモ①:第一章から第三章まで