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悪戯という名の、


ある雨の日、君は傘を持っていなかった。
玄関でぼんやりと空を見上げる君に、僕は声を掛けた。

その、振り返った時の目元が、赤かったのを覚えている。
真ん丸に見開いた瞳をぱちくりさせて、君はごめんと言った。

「どうして謝るの」
「だって、私、邪魔でしょう」
「どうして邪魔だなんて思うの」
「だって、道を、塞いでいるから」
「それ、みんな同じだよ」

僕は傘を広げた。

「入る?」
「え、でも、そんな、」
「女の子が濡れて帰るのは、気分が悪いんだ」
「そう……なんだ」
「傘、忘れたの? 天気予報で降るって言ってたよね」
「持ってきてたんだけど、見つからなくて」
「へぇ。失くしたの?」
「多分……」
「そっか。じゃあ、これあげるよ」
「え、ええ? でも、そんな」
「だから、女の子が濡れて帰るのは嫌なんだって。
それとも家まで送っていってあげようか」
「えっと、じゃあ……お願いします」
「君の家、どこ?」
「あっちの方。10分くらい歩いたとこで」
「結構近いんだね」
「うん」

君には、雨が、良く似合う。
そう思いながら、僕は君の横顔をちらりと見た。
頬がほんのりと赤く染まって綺麗だった。
白い肌との柔らかいコントラストが、とても――。

「……あの、」
「何?」
「ありがとう」
「どういたしまして」

会話は大して続かない。
けれど、それが、嫌という訳でもない。
君には沈黙が良く似合う。
そして、真ん丸な瞳に、涙を浮かべた姿が。

「君は、一人でいるのが好きなの?」
「え?」
「休み時間、いつも、一人で本読んでるよね」
「それは、本を読むのが好きだから……」
「何読むの?」
「ヘッセ。と、カミュとか、好き。あとは安部公房とか、乱歩とか」
「結構古典っていうか、有名どころだね」
「知ってるの?」
「うちの親父、読書フリークでさ。たくさん本持ってるんだよね。
だから、その辺はちょこっとね」
「すごいね」
「そう? 俺は、いつも鞄の中に本を入れて持ち歩いてる君の方が凄いと思うけど。重くないの?」
「慣れてるから」
「そっか。でも、鞄はあまり重くしない方がいいよ」
「どうして?」
「肩が凝るから。本読むと、更に凝っちゃうでしょ」
「それもそうだね」

君の家の玄関先まで、僕は送った。
傘もあげようとしたけれど、家にまだあるからと断られた。

「じゃあね」
「うん、また」

――今日は収穫だった。

君と一緒に帰れたことと、君の家が分かったこと、そして、君のシックな折り畳み傘。

次は本を狙おうか。それとも、靴を隠して帰れなくしてしまおうか?
泥まみれにする、というのも良いかもしれない。

僕は、家に帰って、君の傘を切り刻んだ。

明日の朝早く、君のロッカーに入れておこう。
ついでに靴に油性ペンで落書きしよう。

君は、どんな顔をするだろう。

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