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「おじろく・おばさ」について長野県民が考えてみた 〜その0〜


「おじろく・おばさ」について、長野県民がいろいろ考えてみました。この記事では、なぜ私が「おじろく・おばさ」について調べようと思ったか、それについての背景がメインです。「おじろく・おばさ」の論文についての見解は次回になります。


ネット上に流布する長野県に存在した忌まわしい因習

皆さんは、『おじろく・おばさ』についてご存知でしょうか?

ネットで調べると、すぐ出てくると思いますが、昔の日本において実在した忌まわしい風習として、オカルト界隈では有名になっています。

簡単に説明すると、長野県の旧天龍村地域のみに存在した特殊な家族制度であり、人口抑制の為に、長男以外の子供は奴隷同然の扱いをされ、死ぬまで無償で働かされる、というものです。

上の記事では

「おじろく・おばさ」とは、ある意味“心”を殺すことで人口を制限しようとしました

とまで書かれています。

日本の閉塞的なムラ社会が生み出した闇深い制度として、また、現代の社会問題である、ブラック企業に勤める社員と紐付けられて『おじろく・おばさ制度』はネット上でよく語られます。

「おじろく・おばさ」がネットにおいてそれなりの知名度を持つ理由として、その内容のインパクトもさることながら、この制度について書かれた学術論文が2つ存在していることも一因ではないでしょうか?

アカデミックな背景があることにより、『洒落怖』などで語られる真偽不明な因習などよりも、より生々しい恐怖を、読む者に与えるのかもしれません。

しかし、この論文に対して、疑問を呈する動画があるのを見つけました。

この制度は本当に存在したのか?

以下がその動画です。

簡単に要約しますと…。

・「おじろく・おばさ」は1960年代に書かれた2つの論文、①水野都沚生著「『おじろく・おばサ』の調査と研究」と、②近藤廉治著「未文化社会のアウトサイダー」がソースであり、ネットでは、センセーショナルな内容の②がよく引用される。

・しかし②の近藤論文はインタビュー対象に鎮静剤(アミタール)を服用させ、脳機能低下状態にさせてからの会話を基にしている為、信憑性に欠ける。

・さらに①の水野論文も、論文が書かれた60年代を席巻していたカウンターカルチャーの影響を強く受けており、閉鎖的なムラ社会における家父長制下での悪しき習慣、という結論ありきで書かれている。

...というものです。

冒頭で紹介したネット記事も、②の近藤論文を基として書かれています。

なぜ「おじろく・おばさ」について調べようとしたのか

ここで、なぜ私が「おじろく・おばさ」について調べてみようと思ったかについて、遅らせばながら、理由を述べたいと思います。

私は長野県生まれの長野県育ちです。長野県民として、もしもこの、「おじろく・おばさ制度」が全くの嘘、とまでいかなくとも、誇張されて流布しているのであれば、正直、良い気分はしません。

なので、知り得る限りの真実が知りたい、というのが一番の理由となります。

長野県民としては半信半疑だった

ちなみに、私が「おじろく・おばさ制度」を知ったのは、成人になってから、ネットを媒体にしてになります。正直な感想としては半信半疑でした。以下に理由を述べてゆきます。

「半信」の部分

私が「おじろく・おばさ」について、半分は信じた理由、それは長野県の特色が関係しています。長野県は全国の都道府県で4番目に大きな県であり、また各地域が山で隔たれています。そして、各地域ごとに北信、東信、中信、南信に分けられています。

下の地図の通り、私が住んでいた地域は赤く囲った「東信」であり、「おじろく・おばさ制度」があったといわれる旧神原村は南信地区で、緑で囲った箇所、現在の天龍村がある場所です。

私が住んでいた地域(東信)と旧神原村は、直線距離で100km近く離れており、また幾重にも山に隔たれています。正直、同じ長野県といっても繋がりは薄い、というのが現状です。

また、三遠南信という言葉があり、これは、愛知県の東三河地方、静岡県の遠州地方、長野県の南信地方の、県境を跨いた文化圏の呼称のことです。旧神原村もこの文化圏に属しています。しかし、私の住んでいた「東信」は群馬県や埼玉県と接している関係上、関東と関わりが深く、三遠南信とは文化圏が重なりません。

さらに南信地域は交通の便が悪く、南信最大の街である飯田市ですら「陸の孤島」といわれています。実際、私も成人するまでは、南信地区には足を踏み入れたことがありませんでした。旧神原村にいたってはさらに遠く、長野県の南端に位置しています。

以上のような要因もあり、ネットの情報を介して、「おじろく・おばさ制度」が長野県の天龍村(旧神原村)にあったと知った際には、

“まあ遠い秘境ではそのような因習があったのかもしれないな”

と、自分の住んでいる県内に実在した因習、というよりも、正直なところ、遠い場所での出来事、のように思っていました。

「半疑」の部分

しかし…。同時に、疑問に感じる部分があったことも確かです。

いくら文化的に関わりがなく、物理的な距離がある場所の因習だからといって、成人後にネットで知るまで、この「おじろく・おばさ制度」について、まったく耳に入ってこなかったことは不自然だと感じました。

大昔ならいざしらず、長野県という県境で括られている現代であれば、少しくらい、“同じ県内において忌まわしい制度があった”という情報の断片が人づてに伝わってくるものではないか?と。

さらに、私は長野県内において義務教育を終えました。そこでは一般的な道徳教育や人権啓発教育、そして同和教育を受けましたが、「おじろく・おばさ制度」については、それらの教育過程において、全く取り上げられることが無かった、というか、教師の口から一言も語られることがなかったと記憶しています。

距離は離れていたとしても南信地区の教職員とも日本教職員組合などを介した、横のつながりはあったはずです。論文も出ている長野県に実在した忌まわしい因習であるのであれば、人権問題として、南信地区においてはそれなりに知名度があったはずであり、職員のつながりを介して東信地区にも、その情報が伝わるのが普通ではないでしょうか?

人権教育の際に(不謹慎な表現ですが)格好の題材になった筈の「おじろく・おばさ制度」について教職員が少しも取り上げなかったのは、今考えると不自然に感じます。

もちろん、教育は受けたが、記憶から抜け落ちているという可能性はありますが、ここまでインパクトがあるものであれば、記憶として頭にしっかりと焼き付くのではないかと思います。

さらに、これはなんとなく思ったことではありますが…。人づてに南信に暮らす人々の気質を聞いた事がありますが、長野県でも南に位置しており、気候も(長野県の中では)温暖な地域で、さらに名古屋に地理的に近く中京圏との交流が盛んであるためか、のんびりとした性格で社交的な人々が多い、とのことでした。「おじろく・おばさ」と共に語られる、“閉鎖的で保守的な気質の村の人々”と、南信州人の気質が自分の中で合致しない、というのも違和感としてあったのです。

以上のように、同じ長野県内にいながら、ネット以外で「おじろく・おばさ制度」について全く耳にすることがなかった為に、論文がしっかり存在するという事実を踏まえても。この因習が実在したと完全に信じる事ができませんでした。

実際に論文を取り寄せて調べてみることにする

さて、そのような半信半疑の状態のままで、「おじろく・おばさ」については、頭の片隅に置いておいたわけですが、最近ネットサーフィンをしている際に、YouTubeにて、「おじろく・おばさ制度」が実在していたという事自体に、批判的な見解を述べている動画を見つけました。

上で紹介したのがその動画です。そして、ざっとYouTube内を確認した限りでは、「おじろく・おばさ制度」が存在していた事に対して批判的であったり、また論文の内容自体に疑問を呈するような動画は他には見られませんでした。

他の動画は「おじろく・おばさ」についてセンセーショナルに取り上げるようなものばかりで、情報に偏りがあると感じました。しかし、上で紹介した動画の内容についても、それを鵜呑みにするわけにはいけません。

やはり、二つの論文を実際に取り寄せて、自らの目で確かめる必要があると思いました。その為に、
国立国会図書館にて、民族学的な観点から調査した水野都沚生著「『おじろく・おばサ』の調査と研究」
医書 jpにて精神医学的な観点から調査した近藤廉治著「未文化社会のアウトサイダー」
の、以上の二つの論文を取り寄せて、自分なりに調べることにしました。

長くなりましたので、今回はここで区切ろうと思います。

次の記事からは、実際に論文を読んでみての個人的見解を書いていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。




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