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『庶民に愛された地獄信仰の謎』を読んで

話題の怪談作家である、梨氏の新刊の『6』が発売となりました。

ちなみに私の『6』の感想。

そして『6』を読み、死や地獄について興味が湧いてきた為、色々ネットで調べている内に、ある本が目に止まりました。


著者は中野純氏。体験作家を自称する文筆家です。

庶民に親しまれてきた地獄

「地獄」について我々はおぞましいイメージを抱きます。生前に罪を重ねた人々が堕ち、その罪を償う場所なのですから当然ではあります。子供の頃、嘘をつくと親から「閻魔様に舌を抜かれるよ!」と言われたことのある人も多いことでしょう。

しかし、それは同時に「地獄」というものに幼いころから慣れ親しんでいる、とも解釈できます。さらに「舌を抜かれる」などという表現は子供への戒めの言葉としては、よくよく考えると過激すぎる気もします。そこには(もちろん空想の産物であるから本気にしていてない、という面もあるのでしょうが)閻魔様や地獄に対する、ある種の信頼感のようなものを感じさせるのです。

本書では、そんな日本人にとって馴染み深い地獄や、そこを治める人ならざるモノたちを掘り下げていきます。

ここではその中でも特に異彩を放つ存在である奪衣婆を紹介したいと思います。

日本産の冥界の女王

お寺の本堂から離れた場所にある、少し寂しげなお堂。それが冥界を支配する10人の王をまつった十王堂(閻魔堂)です。そして、その中で異質な存在感を放つのが奪衣婆です。立膝で胸元をはだけた姿で佇む老婆の鬼です。

十王信仰は中国由来なのですから、十王の姿は中国的な格好をしています。が、奪衣婆はその服装からして日本人です。それものそのはずで、奪衣婆は仏教が日本に渡ってきてから生まれた存在なのです。

脱衣婆の役目としては、三途の川のほとりで死者の衣を剥ぎ取り、それを川の畔に立つ衣領樹という木の枝に掛けます。衣の重さが生前に犯した罪の重さとなる為、枝のしなり具合でその死者の罪の重さを裁量するのです。

もし死者が何も着ていなければ、奪衣婆はその肌を代わりに剥ぎ取るといいます。死者を送り出す際に必ず死装束を身につけさせるのはそれを防ぐ為です(ちなみに死装束が白いのは、色がついている=色欲に塗れているとなり、それだけで枝をしならせて地獄行きになる為)。

このように書くと、奪衣婆はとても恐ろしい存在だと思うかもしれません。しかし筆者は奪衣婆には別の側面がある、と考察します。

奪衣婆は服をはだけて胸を曝け出しています。そこに母乳の出が良くなるご利益がある「乳神様」の面影が見て取れます。さらに日本古来からの子供の守り神とされた姥神信仰も無視はできません。日本土着の地母神や姥神が渡来してきた仏教と一緒に練り込まれることにより、「奪衣婆」となったのだ、と筆者は主張します。


前述したとおり、奪衣婆は三途の川のほとりにいるといわれます。さながら死の最前線です。その奪衣婆の役目はその名が示す通り、死者の衣を剥ぎ取ることです。そしてその後にその衣の重さをはかる事で生前の業の深さを裁量しますが、ここでも筆者は奪衣婆の重要性について説きます。

本来であれば、死者は地獄の裁判官である十王達により、四九日かけて裁かれます。そうしてようやく、極楽に行くのか地獄に行くのか決定されるはずですが、奪衣婆は前述のように三途の川の辺りにて、既に死者の罪の重さを決定してしまっているのです。

筆者は「あの世の受付嬢的な存在である筈の奪衣婆にそこまでの決定権を持たせているのだから、昔の人々は奪衣婆こそが“冥界の支配者”だとしたかったのではないか?」と推測するのです。事実、奪衣婆は十王の中心となる閻魔大王の妻であるという説もあるそうです。

生と死を司る姥神としての奪衣婆

人々とって川は生きる上でなくてはならない水をもたらすと同時に命を簡単に奪う存在であり昔から信仰の対象でもありました。東日本には三途の川の名を冠する川がいくつもあります。

建築技術が今ほど発達しておらず橋をかけることも容易ではなかった昔では、川は単なる水の流れではなく、こちらとあちらを隔てる“境界線”の意味合いが強かった。昔の人々は川の対岸に別の世界、「あの世」を見出したのだろう、と筆者は述べます。

さらに、様々な昔話の冒頭は「お爺さんは山に芝刈りに。お婆さんは川へ洗濯に」と始まります。それから分かるように昔、川は女性の仕事場とされていました。

老年の女性特有の昔の仕事としてもう一つ特徴的なものが産婆さんです。赤ちゃんが生まれた際に身に纏っている胞衣(胎盤や臍の緒)を取り除いて洗う仕事をするのも産婆さんです。胞衣を生まれる前の“衣”とすると、奪衣婆との関連性が見えてこないでしょうか?

筆者は川村邦光の『地獄めぐり』を引き合いに出し、三途の川を渡ることにより川の流れで自然に洗われた死者の衣を脱がせる(つまり“洗濯”とも解釈できます)の奪衣婆は、生まれたばかりの赤ちゃんにまとわりつく胞衣を取り除く産婆と重なると述べます。

我々は産まれると産婆により衣(胞衣)を脱がされます。そして死んだ後には冥界の産婆である奪衣婆に、娑婆(この世)で纏っていた衣を渡すことになります。そう考えると奪衣婆は「生と死を司る女神」と解釈することもできるのです。

終わりに

本書では他にも奪衣婆と日本を代表する美女である小野小町との九相図を絡めた考察、日本各地にあるお寺の十王堂や閻魔様、そして奪衣婆のバリエーション、さらに奪衣婆にまつわるお祭りなどを紹介しています(大阪の全興寺などは気軽に地獄を楽しめるとか)。

各地の地獄めぐりをすると、いかに日本人にとって地獄が身近な存在であるか、そして日本人が地獄を身近な存在として受け入れていたかが分かる、と述べます。

地獄は古代インドで生まれた際には、生と死を分つ明確な線引きをされた上で近寄りがたいもの、とされていましたが、日本に仏教と共に渡ってくると土着の信仰と混ぜこぜになり、日常のすぐ隣にある身近な存在となりました。奪衣婆はその代表といえるでしょう。

皆さんも、もし地獄に興味が湧いたのであればこの本を手に取り、そして身近な場所にある地獄を探してみるのも良いかもしれません。






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