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花をもらって怒る人いる?

不幸があると、普段付き合いのない方面からも香典やら品物やらが送られてくる。
人にものを贈って嫌がられることがあるとは考えにくいだろうが、何十年も会ってない相手から的外れな物を送りつけられると、逆に失礼ではないかという気持ちになる。
今回大きな箱いっぱいの線香を送ってきた人がいた。本来ならばお線香をあげに馳せ参じたいところですが、という意味であろう。
うちは線香は使わない。
年寄りの一人暮らしで(今は私がいるが)以前線香が倒れてヒヤッとした経験があるからだ。それに、戸建て住まいの人にはわからないだろうが、気密性の高い狭いマンションで線香はきつい。
付き合いもなく相手の状況も知らず、事前に電話のひとつもなくただひとりよがりなものを一方的に送りつけられても迷惑だし、この線香を作った人にも配達してくれた人にも申し訳ない気持ちだ。
親戚同士の虚礼のやり取りは、あの時のお返し、などの思惑もあるだろうが、虚礼はむしろ失礼だと受け取る側になってしみじみ思った。
四十九日法要の前後にバタバタと複数方面から花が届いた。多分あの人、と察しのつく親戚の一人が号令をかけて揃って送ってきたと思われる。親世代と子世代の連名で送ってきたところも皆同じだ。子世代にまで義理の冠婚葬祭費で負担かけさせるのはやめてほしい。香典はすでに頂いているのに過剰だ。
花を贈られて迷惑ということがあるとは考えもしないだろうが、年寄りは宅配の荷物を受け取るだけでも消耗する。花の宅配はゴツい包装で来るから、開封するのも後の段ボールを始末するのも結構な手間だ。それが一度に複数来たら、感謝どころか腹立たしくなって来る。しかも適当にこっちの都合も考えず送りつけてくるから不在で再配達になって配送にも迷惑かけている。花は宅配ボックスには入れられない。ひとつは四十九日当日に送られて当然不在で翌日再配達、鮮度が命の花にとっては致命的。花束を作ってくれた方ごめんなさい、ガーベラが萎れてました。幾つも花を送られても置くスペースがないし香りもきつい、ということも、戸建ての人には想像できないかもしれない。
ものを贈る(送る)というのはもっと相手のことを理解して心を込めて丁寧にするものではないだろうか。宅配で送りつければよいというものではない。贈る人、品物を作った人、運んでくれた人、受け取った人、みんなが幸せを感じられる贈り物でなければ、意味がない。

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