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今昔会話

私たちは社会人になるまで情報交換の相手は多くの場合ほぼ同学年、同年齢の人たちということになる。例外は家族や教師だろう。

理由は単純で、義務教育にしてもその後の学校にしても、同年代の人たちと集団生活を送るからだ。
その後、会社勤めをしたとしても同じセクションでは概して世代のばらつきは小さいはずだ。
私自身も、振り返れば会社員を辞めるまで、友達も仕事仲間も自分との年齢差は上下ともわずかだったことに気づく。

そんな私も、会社を辞めてからは友達の年齢幅がかなり広がった。
広がったと言っても、自分が62歳にもなったので、圧倒的に年下の友達が多くなった。

ひと回り(12年)以上年齢が離れていると、その幅にもよるが会話の内容が意図せずパロディーになることがある。
そして、私が何気なく口にした物や事が、相手の表情から通じていないと気付かされることもある。

私が子供の頃、今のJRは国鉄と呼ばれていた。日本国有鉄道の略だ。
ここまでは、若い人も知っているケースが多いかも知れない。
だが、その頃の国鉄の特急列車などに設備されていたトイレの話をしてみると、決まってパロディになる。

「昔の特急のトイレはいわゆるボットン便所で、トイレの下には線路やまくら木が見えてたんやで。」

若い人は、ニヤニヤしながら猜疑の目で聞いている。

「だから、踏み切りで通過待ちをしていたりすると、時々まくら木の上に排泄物やちり紙が落ちてたんやで。」

「えーッ、ウソやん、そんなことあるわけないじゃないですか!」

もう、私が騙そうとホラ話をしていると決めつけている。

「いや、ホンマに線路上に落としてたんやで、だから駅で停車中にはトイレは使用禁止やってんで。さすがに、ホームの前に排泄物が溜まったりしたら汚いし臭いからマズイやん⁉︎」

「えーッ、ホンマですかぁ〜?」

と、まぁこんな会話がしばらく続く。

自分の時代ではあり得ないは、変だということになり、変だと面白いということになる。
そもそも、ここに書いたまくら木も今ではほとんど木製ではないし、踏み切りも減りつつあり将来的には見かけないものになっていくのだろう。

年齢を重ねるということは、「変で面白い」ものをいっぱい見てきたということなのかも知れない。
いや、変があったから今がある?

「知りたいことより伝えたいことが多くなったら老人」という言葉を聞いて納得したこともあるが、若い人たちと変な話をするのはやめられない。


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