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146 熱田&桑名 海の街道七里の渡し

東海道五十三次は江戸・日本橋から京都・三条大橋を結ぶ江戸時代の大街道です。

この街道は陸路で江戸と京都を結んでいたわけですが、途中、人区間だけ海路を渡る必要がありました。

それが名古屋市の熱田神宮の南にあった宮宿(みやじゅく)と伊勢国桑名宿の間。その間七里を海路で渡っていたことから「七里の渡し」と呼ばれていました。

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低地が多く、海と川が複雑に入り組んでいたこの地域。佐屋宿を経由することで当時から陸路で宮から桑名に渡ることは可能でした。ただそれでも渡し船は必要であり、遠回りである故一日余計に日を要したことからこの七里の渡しを利用する旅客は多かったといいます。

熱田神宮の門前で栄えた宮宿

今でこそ海岸線ははるか南にありますが、江戸時代には七里の渡し場より南が伊勢湾でした。名古屋ポートビルもレゴランドも海の底です。

かつては多くの旅客がこの桟橋から桑名宿を目指していきました。

宮宿側の船の発着場は公園として整備されています。熱田神宮のすぐ南にあって公園として整備されているのですが、訪れる人も少なくかなりひっそりとしています。佐屋や美濃に延びる街道との分岐点でもありかつては多くの宿があって街道最大の宿場と謳われた宮宿ですがいまはお寺が多いことでその面影を少し残すのみです。

七里の渡し跡に残るひときわ大きな建築物は時の鐘。もちろん戦後再建されたものですが一日三回、今も時を知らせてくれています。

三種の神器のひとつである草薙剣を祀ることで全国的にも名を知られる熱田神宮はこのすぐ北にあります。宮宿はその門前町としても栄え、熱田神宮にお参りして安全祈願をしてから桑名に旅立った者も多かったといいます。

なお、七里の渡し跡から熱田神宮に至る道の途中には、ひつまぶし発祥の店「あつた蓬莱軒」があります。お店の前を通るとうなぎのにおいが鼻をくすぐります。「うう、うなぎ…」食欲に駆られますが、90分待ちというボードを掲げたお店の方の姿を見て、ああ、やっぱりこんなに混んでるんだなぁ…と思い直して神宮を目指しました。

伊勢国の玄関口・桑名の七里の渡し

さて、所は変わってこちらは桑名宿側の七里の渡し跡。

東国から来た旅客を出迎える伊勢国一の鳥居。この鳥居は伊勢神宮の宇治橋の外側の大鳥居を、20年に一度の式年遷宮ごとにもらい受けて建て替えられるというとても由緒正しい鳥居です。その際にはお木曳が盛大に行われます。

再建された櫓は桑名宿のシンボル。旅人はこれをみると桑名に着いたと思ったんだとか。
建設の是非を問われた長良川河口堰も向こうに望むことができます。

桑名宿も多くの宿はなくなっていてその面影を感じることはあまりできません。ただこの周辺は公園となっており、揖斐川・長良川がすぐそこを流れることから川のほとりを散歩ことができて市民の憩いの場になっています。

鳥居のほど近くにある茶屋「一」さん
あんことマスカルポーネのどら焼きをお頂きました。
あんこと乳製品ってどうしてこう合うんでしょうか。
名古屋名物小倉トーストに通ずるものがありますね。

七里の渡しのすぐ近く、九華公園前には「柿安本店」。牛しぐれ煮など全国的にも有名な惣菜店はここが本拠。

伊勢桑名城跡を整備した九華公園もすぐそば。春は花見客でにぎわうお花見の名所です。残念ながら城は残っていませんが、黒毛和牛の牛めしを引っ提げてここでお弁当を頂くのもいいと思います。


宮宿は熱田神宮参拝の際に、桑名宿はナガシマスパーランドで遊んだ後に少し立寄ってもらって、かつて江戸の人が渡った歴史の道を感じてみてもいいと思います。近くに来た際は是非お立ち寄りください。



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