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それはぼくらじゃなくてよい?

こんにちは!ヒラパーです!

先日、合宿でコンプライアンス研修をさせていただきました。

テーマはコンプライアンスを学ぶことですが、目的はチームコンセプトを各自で深掘りして考えてみるを裏目的としていました。

コンプライアンスとは、主には法令遵守がメインテーマですが、今回、法律や企業規則、校則など目に見えて◯か✕がつくもの以外について考えてみました。

コンプライアンス研修

チームコンセプト「勝っても負けて応援されるチーム」を目指す理由

コンプライアンスの中には法令遵守の文脈以外に「道徳」として線引が出来るものを含んでいると考えます。

こんな例を出しました。

先日、ある選手が「ホワイトデーのお返しありがとう!」とスタッフからのお返しについてSNSへ投稿していました。
それが「ホワイトデーのお返しありがとう!でもめっちゃまずかったで!」と投稿していたらどうでしょうか。

とてもわかり易い例ではありますが、法令遵守の文脈以外の「道徳」的な線引はとても曖昧で難しい。人の価値観によってかなり左右をされてしまうので基準作りが難しい。
その為、チームコンセプト「勝っても負けて応援されるチーム」を基準にして考えてもらおうとしています。

なぜ?「勝っても負けて応援されるチーム」を目指しているのか?

このテーマも深堀りをして考えてもらう事で、やらされている(受動的)状態から能動的に主体性を持つ事ができると考えます。

例えば、昨シーズンで引退した林ほのかさんはとあるJリーグのチームの熱狂的なファンでした。
いわゆる勝っても負けても応援をしているファンです。
そのチームは昨シーズン負ける事が多かったのですが、僕と話しをする時にはとても熱量を持って話しをしてくれました。
印象的なのは「◯◯君はこうなんですよ!」「◯◯君は怪我明けで復活してきて・・・」などと「人」に対しての話しをするんですよね。

勝っても負けても応援しているファンはどの視点でチームを見ているのか?

QUEENSを応援してくれる方はどんな方?
そんな方たちにとって僕たちは何を伝えることができている?
それは僕たちじゃないとできないことを伝えることができている?

このテーマは続編で。

ヒラパー

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