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へろへろなマラソンの話

フルマラソンはホノルルで2回、いぶすき菜の花マラソン1回、東京マラソン1回の合計4回しか経験をしていない。

体に対してのどういう風に向き合い、フルマラソンのタイムがどこまで縮まったのかなどを少し書きたいと思います。前回では初めてのマラソンは4時間43分というタイムだった。そこで次回走るときは4時間を切りたいという意欲に駆られてトレーニングを開始した。

まず前回のマラソンで大変だったのはトイレ、水分補給のタイミング、足の痛み、足にできるマメなどなど。後はウェア、音楽など、ただ単純に走るだけではないことに今更ながらマラソンの奥深さに驚く。5㎞、10㎞、20㎞、ハーフ、25㎞、30㎞と5㎞単位でどうするのかも考えて走らないととんでもないことになる。

そして気温との戦い。ちょっと肌寒いからといっても、ウェアを着込んでも邪魔になる。でも待ち時間は寒い、どうしたらいいのか?ともなる。捨てるわけにはいかない、でも捨てられるものをどうするのか?などなど体の準備のほか、そういった準備をしなければフルを走れないことに気づく。

スタートに立つのも自分、ゴールをするのも自分。
他人に左右されない、途中棄権することも自分の判断、タイムを縮めるのも自分、ただゴールするまでは誰も助けてくれない。そう考えたらマラソンという競技に物凄く共感を得てしまったので走ることになったんだろうと。。。

そんな講釈を垂れても仕方がないのですが、そこからトレーニングが始まった。まずは距離になれなければということで、ジムでトレッドミルを走ることにした。1回の距離は5㎞。10㎞を走ることができない。基本設定は1キロ5分30秒で走れればという流れ。5㎞を28分ぐらいで走ることができればという考えで慣らしていくことにした。これを半年以上、週に3回の繰り返しをした。少し慣れだした頃から、6㎞、7㎞、10㎞と順調に距離を伸ばしていった。ただまだ路上に出ていない。あくまでもジムのトレッドミルのみだった。しかしながら体が慣れていき、タイムも縮まってきた。
夏は暑いし、冬は寒いしということで外で走るのを拒み続けた自分もいたわけですが、、、

そして靴も新調した。
サブ4狙いの靴が欲しいということでアディダスジャパン6を購入。自分の足のサイズは27㎝だと思っていたが、26.5㎝だったことに驚く。そして足の幅が広く、甲が盛り上がっているで、アッパーサイズでワイドを店員さんにセレクトしてもらった。自分で履いていた靴はマラソンでは合わないという事を理解した。

それからウェアについても、とりあえず服と体が当たる部分が擦れて痛いのだ。とくに乳首と股間部分、太ももあたりが。。。スパッツとシャツの下に着るアンダーウェアについても新調する。そこまでしないと後々が痛い。靴下もマラソン用の靴下も新調する。

そこまでして何がしたいのだ?
そんなことを考えながら2回目のホノルルマラソンに挑戦をする。39歳、2か月後に40歳を迎える。30代の間で何ができたのか?を考えると、大学院に挑戦をしてMBAを取得、現在の会社の社長にもなり、ゴルフでも100切りを達成した、マラソンも4時間を切りたい。小さな目標でも全力で達成しなけらば。。。何の脅迫概念かもわからなくなってきた。

ただ体重はまだ76㎏という体たらく。
体重に関しては全く管理をせずどこまでいけるのか?まだまだ甘い考えでの2回目のフルマラソンが始まった。同じホノルルの土地で。。。

結果は4時間13分だった。
またもや4時間を切ることができなかった。どうしても4時間を切りたい。
東京マラソンが2020年の3月に当時決定し、出走権も当たっていた。しかし3月だともう40歳だ。ギリギリ39歳の1月に開催されるいぶすき菜の花マラソンがあった。ここは終盤の坂が有名なコースだ。サブ4を言われる4時間切りは難しいと言われるコースだったが、4時間を切りたいということだけで、ハワイで出走ボタンを押してしまうのでした。

少し振り返りをして4時間を切るためにはどうするのか?
ただ準備期間は1ヵ月しかない。ホノルルは12月、いぶすきは1月、東京マラソン2020が3月だったため、無謀なスケジュールではあった。
ていたらくな体をどう調整していくのか、次回はトレーニングを少し振り返りたいと思います。

考えて走らないと。。。体と向き合う。

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