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キャニコム、アメリカへ⑨

解散、、、意味が分からない。
ただ借入が多いのは現実だった。返す当てはあるのか?赤字という現実にさらされているのは事実だ。もう一度仕切り直しという意味が分からなかった。まだ29歳。引くという事を全く意図がわかっていない。ただ経営という意味では落第。赤字を繰り返しているからだ。

2009年までリーマンショックは尾を引いた。売上は微弱だが、また100万ドルを割った。従業員の解雇という現実は胸を痛めた。為替も100円を切り、90円台を推移して全くうま味が無い市場になっていた。
撤退という言葉にどうすればいいかがわからない。ただただここまで来たのになぜ今?という気持ちが強かった。もう1年、もう1年勝負させてくれという気持ちが強かった。2011年には10年を迎える。そのまま帰るわけにはいかない。後2年辛抱できないか?と創業者である祖父に懇願をした。

「赤字という意味はわかるか?」
本当に怖かった。売上ではない、利益をあげることが経営者として重要な事であるということを改めて知った。必死に考え、コストを抑え、効率よく販売を拡大するのか、アメリカで黒字を出す。100万ドルの販売は2008年に達成した。次は黒字化が最大のミッション。安定的な長期利益を確保する。それを条件に2年解散が延長になった。

必死に新たな市場を探し、メキシコ、プエルトリコなどのコーヒー関連、テキーラ市場など手広く売れる市場があれば直接出向いた。レンタル会社に然り、展示会もほぼ車で機械をトレーラで積んで何百キロ以上の移動をして必死に働いた時期だ。解雇となってしまった社員も考えたが、アメリカではRe-Structure(リストラ)はごく当たり前だが心は痛んだ。自分の不甲斐なさを憂うより、市場の開拓を進めないといけない使命感が強くなった。

2010年、2011年と連続で売上は売上は少しずつだが100万ドルを連続で超え、売上も安定をしてきた。しかし問題は多くあった。為替の問題だ。もう本社側でカバーできない状況だった。どんなに頑張っても利益が少ししかでない。為替もオバマ政権になり、より一層為替レートが悪くなっていた。1ドル75円はとても衝撃的でもう解散は目の前なのかというぐらい先が見えなかった。

分解と調達
2021年現在コンクリート砂男は年間に1000台以上を販売するキャニコムで売れている製品の一つになった。ただ2010年時点ではまだ100台前後しか推移していなく、売上増大のきっかけとなったのがこの時期だった。
問合せが多いのになぜ売れない?
問題点はあった。
① 部品が高い
② メンテナンス性が悪い
③ 耐久性が今ひとつ
これをシンプルに分析してどうするのか?まずは円高なので日本からの調達部品は高すぎた。値決めの問題もあったが、メインのトランスミッションとモーターだけで、製品1台丸ごと買える形になっていた。台数が伸びれば部品の調達コストもボリュームで安くなると踏んだのでメーカーに直談判を行った。笑う話が工場はアメリカだったのでアメリカ国内での交渉になった。
コンクリート専用の荷箱も調達は国内だったが、アメリカの某有名ハンバーガーチェーンの遊具を作っている会社と契約をし、現地調達をした。
何とか現地調達と問題点を一つ、一つ解析して変更をした。当初の製品と見た目は大きく変わらないが、調達を変更した。
最後のポイントは「エンジン」。まだまだこの時期はスバルエンジンを採用していた。ホンダ信仰の強いレンタル会社では売上ブーストするにはエンジンの選択制を取り入れるべきだと何度も言われた。まだこの時点では余裕が無かったので既存エンジンで戦う事を決めた。

それでも為替は変わらない。どうしたらいいのか?
現地の日本人の経営者から言われた言葉。
「お前、プラザ合意知らんやろ?アメリカで仕事をしている人間はみんなあの恐ろしさを経験しているから、75円ぐらいじゃかすり傷みたいなもんや。230円が120円になった1987年に比べれば、90円が75円やろ。甘いな。そんなんでアメリカ市場に売りに行くことは最初からやめた方がいい。」

心は決めた。やれるとこまでやろう。
しかし自分の意志とは裏腹に2012年を前に衝撃的な事が起きてしまう。3度目の宣言をされることになる。為替はまだ77円。

アメリカは10周年を迎えたが、自分はクビになる。続きます。

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