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無事千字 二〇二四年四月九日 週末、温泉と坂本龍一と父

 先週末はまだ誕生日の恩恵を受け、温泉へご招待いただいた。ちょうど五十肩に悩まされている僕にとっては、奇しくも”湯治の旅”となった。

 部屋はヒノキ風呂付き(ヒノキに近いヒバという木の風呂だった)、大浴場のほかに四種類の貸切露天風呂もあったりして、風呂をコンプリートするだけで終わりそうなほどの充実っぷり。結局、貸切露天はひとつしか入れず。

 夕食は部屋食ではなかったが食事処での和会席。17:30〜 / 20:00〜の二部制になっていて、そんなに時間のバッファが必要か?と思ったが、行って食べて納得。丁寧に作られた料理はどれも美味しく、順次運ばれて来る。こりゃ時間がかかる。

 普段のかき込むような食事とはまったく異なる、時間をかけていただく”ていねいな食事”は、量的にはさほど多くなくても、充分におなかを満たしてくれることを実感。

 日曜夜にNHKで放送されていた「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を観た。死の二日前の本人映像に、20年前に膵臓がんで亡くなった父の闘病時の顔がフラッシュバックした。

 ミュージシャンとして、さほど詳しく知る方ではないけど、あんなにインテリジェンスで、さまざまなことを成し遂げてきた人でも、死を目前に逡巡し、後悔し、まだやりたいことがあると生への執着があるのかと。いや、成し遂げてきたからこその執着なのかもしれない。

 逆に父は、”ほぼ”執着がないひとだった。母、息子(僕)の前でも取り乱すことはなかった。亡くなる前年の春、腰痛で行った整形外科の先生に検査を勧められ、ガンが見つかった時にはすでにステージ4で、余命3ヶ月と言われたけど、その後も淡々としたもので、余命を半年延ばし、わずかだったけれど初孫との時間を楽しんでから逝った。

 20年前当時の抗がん剤は膵臓がんに有効なものはほとんど無くて、肺がんに使われていたものを治験の形で投与されていた記憶がある。ただこれも副作用が酷くて、食事もままならないから、自ら1クールでやめた。

 そんな父が唯一生への執着というか動揺を見せたのは、僕の元カノがお見舞いに来てくれたときだ。二十代の半ば、1年ほどしか付き合ってなかったけど、うちの両親にいたく気に入られていて、僕と彼女は別れた後も食事に行って、近況報告するような関係が続いていた。

 そんな近況報告のタイミングで、父の病気のことを伝えると、見舞いに行きたいと言われ、後日連れて行ったところ、顔を見るなり、父も元カノも大泣きして、ハグしてた。後にも先にも、父の動揺した姿を見たのは、あれ一度きりだったというのは、母と僕の間では笑い話になっている。

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