iPhoneから少し離れてみて

2019/04/23 午前2時記す

 二日連続でストレッチと筋トレをできた。よく考えると初めてのことかもしれない。しかし、そのせいで睡眠時間が削られている。そもそもそれはバイトのせいだから仕方がない。よく考えると、二日連続で丁寧なストレッチや筋トレが続いたのは初めてかもしれない。昔から楽をしようとしがちで、何かしらの理由をかこつけて途中でやめてしまう。そして、それこそがこれまでの僕を表しているように思う。どういうことか。

 中学生の頃、僕は運動部に所属していた。毎日、初めに筋トレがあったけれど、一、二回ごまかしていた。わざと少し遅く行って筋トレから逃れたりもしていた。ランニングもそうだ。少しでも脇腹が痛くなると歩いた。

 一週間として何かが続いたことがない。勉強でもそうだ。参考書を買ったらそれだけで満足してしまう。積ん読している本の、まだ聞いていない音楽の、映画の亡霊たちが僕にまとわりついているような感覚がある。ある意味、これは幸せなことなのかもしれない。楽しいことが、面白いことが溢れすぎているのだ。選択肢があまりに多すぎて、僕は、僕たちはtwitterやinstagramといったSNSに逃れるのかもしれない。そんなことは色んなところで言われているのだろう。けれどもようやく、実感として分かってきたような気がする。時間がかかることを引き受けていかなければ。一見、コスパが悪いように見えるかもしれないけれど、それが一番の近道なのだ。これも紋切り型の言葉である。
 
 誰か憧れている人の言葉を真似してしまうということがある。背伸びしている感覚。あるいは、言葉だけで実質が追いついていないなというような。でも、いつか追いつくものなのだと思う。忘れてさえいなければ。追いかけてさえいれば。僕は成熟したい。憧れの大人がいる。彼らから勝手に受け取ったと思っているものを、自分なりに消化し、そして越えていかなければならない。なんだか曖昧なことを言っているような気がする。今日は試しにラジオを聴きながら書いているので仕方がない。言葉を聴きながら、言葉を紡ぐのは難しいのかもしれない。やはり、歌の入っていないBGMがいい気がする。本を読みながら、文章を書きながら、勉強しながらラジオや音楽を人は聞けるのか。その時に脳の中がどうなっているのか気になる。以下、記録。

 昼食はチキンドナケバブ、夕食にサブウェイのターキーブレストベーコンエッグ。サブウェイの店員の態度が悪くてやや落ち込んだ。夜食に、塩ダレのかかった豚肉が麦飯の上にかかったものと牛乳寒天。出費が多すぎる。明日は肉豆腐を作ってみようと思う。ドンキに行けば豆腐は10円で売っている。
 
 移動中に菊地成孔『服はなぜ音楽を必要とするのか』を途中まで読む。料理に対する饒舌さにも驚いたが、ファッションに対する饒舌さにも驚いている。ブランドの名前が全くわからない。知っているつもりだった。ファッションショーを見てみたいと思った。何度かBSで放送しているのをみたことがある。面白かった。懐かしい。ノスタルジーをなぜか感じる。

 twitterでファッション情報を教えてくれるアカウントをフォローしているだけで分かっているつもりになっている。なぜ、それがしょうもないことというわかりきったことに気がついていなかったのか。問題はそこではないのだけれど。歩く速度と、音楽がズレること。ズレとHIPHOP。明日は対談の部分を読む。