「人生成り行き」

 東京は夜になるともう冬の空気だ。空のてっぺんまで澄み切った冷たい空気。そうだ、今日は星でも数えながら帰ろうか。

 1……、2……。2個。2個て。一見して見えた分で全部だったぞ。

 東京。東京だなぁ。情緒のカケラもねえ。

 「川口」という埼玉の都市があって、そこのファミリーマートの駐車場でぼんやりしていると、駐車場の端っこで背中を丸めてじっとしているおっさんがいた。何してるんだろう。

 すこし近づいて見てみると、えぇ……!? まさかな。嘘だろ?

 おっさんは立ちションしていた。

 マジでなんで? ファミマにトイレあるんだが。しかも超田舎じゃなくて川口だぞ。周りにたくさん人いるんだぜ。なんでわざわざそこで。俺は怖くなって逃げるようにその場を去った。

 この話を友人にしたんだけど、その反応にさらに驚かされた。

 「あぁ、外ですると開放感あるからねえ」

 ええ!? 「無理もないよね」みたいな。そんなスタンスあったの? 仏様みたいな奴も世の中にはいるものだ。俺もちょっと反省した。不可解な行動も、まずは理解を示してみることが大切だな。ファミマの店員にしたら迷惑千万だろうけど。

 「賽銭泥棒」というのが俺の地元でもたまに出た。正月明けが多くて、ただでさえ話題の少ない年の初めに「賽銭泥棒が出たらしい」というニュースは親戚の集まる会合でフレッシュなテーマとして語られたものだった。
 俺の地元の賽銭泥棒に対するスタンスというとみな一様で、なんか「よっぽど困ってたんだなあ」という感じが根底にあるものだったのを覚えている。寒いしなあ、灯油も高いしなあ、みたいな。

 よっぽど困ってりゃ許されるもんでもないが、なんかそんな気になるぐらい冬が寒いのだ。関東の冬は雪こそ降らないが、湿り気の無いパッサパサの北風が吹き付けると、灯油に使うぶんには賽銭泥棒も許されるぐらいの寒さがある。寒いというか「寂しい」のだ。もういいんじゃねえかあんまりにも寒いから賽銭ぐらい大した額でもねえし、という風潮は理解できる。

 お釈迦さまがいても「そうだなマジ寒いしな」って言いそうだ。

 どうですかね、お釈迦さま。

 『आसीन्मद्रेषु पार्थिवो दक्षः ।』

 へぇ、いや(笑)、でもそれは人によるっすけどね(笑)

 『पार्थिवो आसीन्मद्रेषु आसीन्मद्रेषु दक् षः ।』

 言われても仕方ないっすよ!(笑)

 『आसीन्मद्रेषु』

 あぁ〜、たしかに。

 『आसीन्मद्रेषु पार्थिवो आसीन्मद्रेषु आसीन्मद्रेषु !!? दक् षः पार्थिवो आसीन्मद्रेषु आसीन्मद्रेषु दक् षः पार्थिवो आसीन्मद्रेषु आसीन्मद्रेषु दक् षः!!??? पार्थिवो आसीन्मद्रेषु पार्थिवो आसीन्मद्रेषु आसीन्मद्रेषु दक् षः आसीन्मद्रेषु दक् षः!!』

 ふふ(笑)。まあね! 言われてみたらそうっすけど(笑)

 バチが当たるとしたら最優先で俺に来そうだ。すいませんでした。

 年末になると「戦場のメリークリスマス」と立川談志師匠の「芝浜」を観るのは欠かせない。俺の毎年のルーティンだ。両方ともクライマックスが年末の寒い時期を舞台にしていて、この時期に観ると感動もひとしおだ。

 「芝浜」は江戸落語の大名作で、名人中の名人だけがこのネタを演じる。

 主人公の「勝(かつ)」は酒飲みの超ダメ人間で、仕事もせず借金して暮らしている。ある日、奥さんに頼み込まれて久しぶりに仕事に行くと、たまたま芝の浜で大金の入った財布を発見する。「大金が手に入った」と言って飲めや歌えやの大騒ぎをする「勝」に対して、このままじゃ本当のダメ人間になると思った奥さんは一計を案じる。泥酔して眠った「勝」、奥さんは大金を隠す。目を覚ました「勝」にこう話す。

 「頼むから仕事に行っておくれよ」
 「えぇ? 大金拾ったんだから、仕事なんか行かなくたっていいだろ」
 「何言ってんの。大金を拾った? 変な夢でも見たんじゃないのかい」
 「夢? 夢ったってこの寿司やら天ぷらやらの皿はなんだい? 酒もこんなにたくさん」
 「そらあんた、なんだかうわごとのように大金を拾ったとかなんとか言って大盤振る舞いしたんじゃない。どうすんのよこれ。みんな借金だよ」
 「えぇ? 金を拾ったのが夢で、この皿や酒は現実? これ全部借金で買ったの?」
 「そうだよ」
 「えぇ……」

 なんて馬鹿げた夢を見たんだ……、と「勝」は心を入れ替えて真面目に仕事をするようになる。大好きだった酒も一切飲まなくなる。それから3年目の大晦日。借金は全て返して、なんなら金を貸すぐらいにまでなった「勝」を見て、奥さんは真実を打ち明けることにする……。

 この大晦日の場面は「芝浜」のクライマックスにして最も重要なパートだ。真冬の江戸の片隅の、小さな長屋の一室を舞台にして、再起を果たした1人のダメ人間と、それを懸命に支え続けた奥さんの、暖かい人情が描かれる。

 故・立川談志師匠は俺が高校生のときから尊敬してやまない偉大なる落語家だが、特にこの「芝浜」の大晦日の場面は何度観ても泣いてしまう。出色は「勝」が風呂屋から長屋に帰ってきてのシーンだ。

 静寂に包まれた真夜中の江戸の街に、「ボーン……」と除夜の鐘の音が響く。2人はこれまでの労苦を思い起こしながら、言葉少なに、感謝の言葉を互いに述べる。そこへ、外から「さらさら」と雪の降る音が聞こえてくる。

 「おぉ、雪だ。さらさらって……。音が鳴ってら」

 「ん〜ん……。雪じゃなくて、お飾りの笹。風でこすれて、さらさら鳴ってるの」

 「おぉそうか、そうだよな。湯の帰(けぇ)り、空仰いだら降るような星だ。雪なんか降るわけがねえやな。こりゃ三が日は晴れるよ。……。良い春だなあ……」

 ここ! ここが好きなんです!
 多分ここは談志師匠オリジナルのアレンジだと思う。他の人の「芝浜」をあんまり観たことないので確実ではないけど。忙しいときはここだけ観ている。絶対間違ってるけど。

 2011年の11月21日。もう12年前だ。俺は大学1年生で、せっかく入った大学に全く行ってなかった。ゴールデンウィークから「150連休」とか言ってふざけて、親に迷惑をかけ続けていた。

 大学は翌々日からの学祭に向けて、準備で大忙しだった。大学に友達が1人もいない俺はそんな浮足立った雰囲気を直接感じてしまうと内臓などにダメージを負う危険があったので、家から一歩も出ない構えだった。家から数分で大学のキャンパスがあるのだ。外の世界は危険すぎる。

 バイトもせず大学にも行かず何かに打ち込むこともなく、惰性でパワプロやってるだけの終わってる俺は、なんのために埼玉から出てきて京都にいるのかさっぱり分からなかった。俺が突然失踪しても、この街の誰ひとり気づかないのだ。旅行に来てるのと一緒だ。あるいは死んでるのと、そう変わらないかもしれない。

 もうパワプロ楽しいなという時期は終わって、ただ不安だけがあった。最低でも留年はするだろう。どうなるんだこれから俺は。そもそも数年後、俺は「働く」とか出来るのか。そこからして疑問だ。働いてる俺のビジョンが全く湧かない。実家でニートか? そのあとは? それから? そうして? ……。

 浮かれたムードの部屋の外、ドアの内側には1人だけ暗黒の底に沈んだ俺がいる。まあ大学にちゃんと行ってバイトをするなりすれば済む話なんだが、なんかそれだけはめんどくさいしな。それ以外で何かひとつ! ね! うるせえな当時の俺。

 「先を思うと不安になるから 今日のところは寝るしかないね」

電気グルーヴ「N.O.」

 昼間から不貞寝を決め込んで、夢の中へ。もう寝過ぎて眠くもないから、夢だけはよく見る。そんな夢に、憧れの談志師匠が登場したのは突然のことだった。

 談志師匠は俺の肩をむんずと掴み、地面に寝そべらせた。そして俺の顔面の上にしゃがんで「ぷぅ」と屁をこいた。そしてこう言った。

 「気楽にやればいいんだよ」

 それだけ告げて、空の彼方にジャンプして飛んでいった。

 談志師匠の訃報がテレビで報じられたのはその2日後、11月23日の夕方だった。
 翌日の新聞には「談志が死んだ」との見出しが踊った。談志師匠が生前から、自分が死んだらそうやって書いてくれと言っていた通りになった。実際に「談志が死んだ」のは俺がその夢を見た11月21日のことだった。

 俺が夢に談志師匠を見る理由はたくさんあれど、談志師匠サイドが俺の夢に登場する理由は一つもない。当然俺は弟子でも芸人でもなんでもないし、会ったこともない。だから、単に偶然そうだっただけなんだが、脳内の談志師匠が言った「気楽にやればいいんだよ」は忘れられない一言だ。

 「人生成り行き」と、談志師匠は生前よく言っていた。成り行き。なるに任せる。それぐらいのもんだと。

 あれから12年。成り行きに任せた人生は、いっこうにうだつの上がらないサラリーマンで、いくらなんでも星の少なすぎる(2個)街の、ごみごみした片隅のワンルームに住む、妻子も恋人もいない32歳だが、どういうわけだか結構幸せに生きている。少なくとも、あの日に不安に思っていたことは大抵解消されて、曲がりなりにも働けてもいる。

 いつか思い出になるんだろうかと不安でいっぱいの中、ベランダで洗濯物を干しながら空を見上げるしかなかった12年前の俺に伝えたい。全ては思い出になる。それもたぶん、良い思い出に。

 あの日々もあの夢も、今となっては良い思い出である。そして特になんでもない今日この日も、いつか思い出になるだろう。生きている限り。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?