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「食育」を志した原体験①×おばあちゃん・おじいちゃんと過ごした夏休み

1.「ぬるい」トマトが一番美味しい

 「まま、けー!(ご飯、食べなさい!)」
山形のおばあちゃんが亡くなってからもう10数年経つ

階段下から、僕に声をかけてくれる

「とても働き者で、人の悪口も一切聞いたことがない」
母がよく言っていた

「今日は、たかちゃんと一緒に寝ようかな」
重たい綿布団を抱えて、急な階段を上ってきてくれたんだ

畑に成っている「トマト」や「キュウリ」まさに「完熟」
一番良いタイミングでかぶりつく
冷蔵庫に入れている訳ではないので「ぬるい」
それがまた心地よい

僕は「トマト」や「バナナ」が苦手だ
さっき「トマトおいしい!みたいなこと言ってたよね?」
なんてこと言わないで欲しい
だって、スーパーで売られている野菜や果物は、青臭い
「もぎたて」には敵わないでしょ?

2.1993年 おじいちゃんのプライド


 1993年の日本は、歴史的な冷夏
色々な作物が不作に陥り、お米も大不作
日本政府は緊急対応で、海外からお米の輸入を始めた

「こんなもん人間の食いもんじゃない!」
おじいちゃんが、そう怒気を込めて言い放った
お米が入ったパッケージには「像」の絵柄が描いてある
タイから輸入されたタイ米

お米農家としてのプライドがあったのかもしれない
「悔しい」
大人になった僕は、今ならおじいちゃんの気持ちが少しわかる気がする

田舎からお米を送ってもらえたので、僕らは日本米を食べることができた
でも、どれだけの日本人が日本米を食べることができたのだろうか

3.小学校最後の給食 先生の涙の意味

 1994年3月 最後の給食の時間
鬼軍曹のような担任が、うつむいたままずっと動かない
さすがに教室がざわついていた

顔を上げた先生の目は真っ赤だったんだ

「いいか、お前たち。今食べているお赤飯、お前たちに日本のお米を食べさせたくて、必死に何件も何件もお店を回って集めてくれたんだ

「でも、『本当は全校の子どもたちに食べさせたかった』って。どうにかして、お前たち『6年生には日本のお米を食べさせてあげたい』って。『卒業する最後の日ぐらいには』って」

さっきまでざわついていた教室が静まり返っていた
誰も一言も発っしない
一粒一粒を噛みしめるように、僕らはお赤飯をいただいた

4.おわりに

 大学4年生になった僕は、「お米」を題材に卒業論文に取り掛かる
その頃は「食育」なんて言葉は、一般的ではなかった
僕も全く知らなかったけれど

2006年6月に「食育基本法」成立 同年7月施行
その1年後、僕は大きな挫折を味わう

今となっては、それも食育を志すようになった「転機」だろう   
機会があれば、「食育を志した原体験②」を記したい

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



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