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自己紹介(プロフィール)

noteを開始して40日が過ぎましたが、改めて自己紹介をいたします。
最後までどうぞお付き合いくださいませ!


プロフィール

働く女性の「らしさ」「なりたい」を共創(共奏)するキャリアの専門家
女性が多い経営者の組織作りの伴奏者

キャリアコンサルタントとして、企業組織内での外部カウンセラー業務を担当。

キャリアコンサルタント歴10年。
これまで20000人の従業員や学生・社会人女性に対してキャリア形成支援を行ってきた。

キャリアコンサルタント養成講座の専任講師として面接対策やキャリア理論・ロールプレイング実習等に登壇。

中小企業から一部上場企業まで、一般社団法人、医療法人にて、キャリア形成やチームビルディングをテーマにした研修にて登壇。



私のキャリアストーリー(幼少期〜現在)

どうして女性が働きやすい生きやすい伴奏者(伴走者)になりたいと使命を抱いたのか

母は26歳で私を出産後、会社員やフリーランスなど雇用形態を変えながら、60歳までデザイナーとして仕事をしていました。

育ての母だった祖母は、シングルマザー歴60年。
洋裁師として仕事をしながら、家庭と仕事を両立させ、苦労が絶えなかった話を幼少の頃から聞かされていました。

幼稚園の頃から参観日に来るのは祖母で、「おばあちゃん来てるよ」と、同級生の保護者には偏見の目で見られることも・・・
育った地域は、90%は専業主婦世帯、働く女性は公務員(教師含む)、医療職の方々ばかり。職種も変わっていたせいか「棘のある大人の言葉」には敏感になってしまいました。

一方、いろんな家庭事情があることも、みとめてほしいとの悲しい気持ちもありました。

そのような中、祖母も母も働く家庭環境で、女性が仕事するのは当たり前との価値観を持つようになりました。

自信がなく挫折の中高時代

バブル絶頂期から崩壊へ向かう時代、地域には色々な多様性が存在しておりましたが、素行の悪い方々がいて地元の中学に行くのはどうか・・となり・・・

中学受験して、私立の女子校に入学。(1.5流の自称進学校!?当時)

ミッション系の学校で、「誰かのために」と思いやる気持ちを持つ学生が多かったと感じております。

自分でリーダーシップをとる責任感強いタイプが多い学校環境で、高校卒業まで過ごしました。大人しい子達も根はしっかりしている子が多かったです。

高校からは学年の半数が新たに入学してくる環境下、それまで仲良かった友達とはことごとく離れてしまいました。
2年次の文理選択の際、数学と物理・化学の成績が良かったことと当時の担任の後押しにより理系クラスを選択。この選択が後々響くことに・・・

当時、理系クラスは1クラスしかなく、希望する子は全員同じクラスになるというわけです。1年生の時、友達作りに失敗してしまった私は、上記の理由もあり迷いなく選択!修学旅行という最大のイベントを仲の良い友達と過ごしたい思いが強かったのです。

私の過ごした高校は、当時文系進学が大半で有名私立大学に進学希望者が多かった環境でした。理系は女子校の傾向なのか、半数ぐらいが薬学部を志望している感じでした。私といえば、学校の根ざしている方向性に全くそぐわなく、独学で勉強していたこともあり自暴自棄になっていきました。

結果、一浪したにもかかわらず、第一志望の国立大学は不合格でこの出来事は大きな挫折となりました。

一方で中学・高校の同級生は、志望校に合格して、彼氏ができたり、学祭の委員会などで活躍していたりしていて、大学生活をエンジョイしている様子が伝わってきます。

「それに比べて私は・・・」と、同級生とほとんど連絡を取らないほどに落ち込んでしまいました。

色々経験できた大学時代


結局、私立大学の人間生活学科へ進学することになり、大学2年までに卒業に必要な単位をほぼ取得しました。部活も中高時代は中途半端にしかやってこなかったので中高時代の音楽経験も活かし、混成合唱団に入部しました。大学前半は、授業と部活に明け暮れる日々でした。

3年生になり、人の成長や人間環境を考えるゼミに所属。
この学年時にイギリスに短期語学留学し、ロースクールに入るために勉強している女医さんとの出会いは、働くことを縛る必要がなくシフトチェンジできることを強く教えてもらった経験でした。

在学中、最も力を注いでいたのは、ベンチャー系IT企業でのアルバイトでした。こちらでは、海外の取引先もあり、インターネットが普及し始めた時期で、リアルタイムでやりとりできることが衝撃だったと同時に大きな感動がありました。

ネットの知識もバイト先で教えてもらいつつ、インターネットの就活掲示板で情報収集、社会人の声をダイレクトに聞くなど、戦略的に就活に臨みました。

結果、就職氷河期だったにもかかわらず、第一志望だった企業の一つである電気メーカーに就職することができました。

この時の就活経験は、大学生の就活相談・エントリーシートの書き方などに生かされております。

紆余曲折がある会社員時代

入社してからの10年は、一部上場企業での新入社員研修をはじめとした研修企画およびイベント業務に関わりました。

女性が働きやすい職場環境で、産休・育休を取得もしました。

出産後に職場に復帰してからは、支社に配属となり、子どもが小さい頃は、時短勤務で家庭と両立。

在阪企業を中心とした中小企業や販売店での人財育成のための研修を企画し、講師として登壇することとなり、採用計画支援にも関わりました。

18年間の会社員時代を通じて、年間50テーマのペースで企画立案を行い、顧客や研修会社との交渉を行い調整役として牽引してきた。関った研修は800件。

こうした中、顧客企業のやりとりや配属先など、置かれる環境によって天と地の差があることも肌で実感することともなりました。

仕事をするなか、顧客の従業員や経営者まで、お困りごとの相談に応じる機会が多々ありました。

そこで体系立てて整理したいと考え、キャリコン資格を2013年に取得。

人材育成・研修に力を入れたいと考える一方で、組織との軋轢や人間関係に悩む日々が続きます。

2015年に、うつ病で会社を休職。(とうとうやってきたという感じですね)

徐々に体調も回復し、自分の使命を生かせる仕事にシフトしたいと考えるようになり、2017年に退職を決意。

大学院の復職支援プログラムを半年受講することで、正社員経験しかなかった私の価値観が大きく変わることとなりました。

その後、大学のキャリアセンターで勤務。カウンセリング業務・キャリア形成の授業・グループ面接やインターンシップコーディネーターを歴任。関西の10大学のキャリアカウンセラーとして従事。キャリアコンサルタント養成講座の専任講師としても活躍。

2020年より本格的に企業研修登壇やキャリアセミナーにシフト。

研修テーマは、キャリアデザイン・ハラスメント・アンコンシャスバイアス・ファシリテーション・コミュニケーション・レジリエンス・女性活躍推進など。

現在、登壇実績としては年間100登壇を更新中。

私の描くパーパス・ミッション・バリュー

・パーパス
自分らしく豊かな彩りのある人生をしなやかに生きる
・ミッション
誰もが持つ可能性を最大限に生かし、個人の成長と組織の成果を共に創る
・バリュー
一人一人の人生に寄り添い、現実の世界と向き合い、美しく調和のとれた社会を実現する


仕事を持つ母や祖母に育てられた幼少期の経験から、女性が多く働く企業にアプローチしていきたいと考えるようになりました。

と同時に、20000人の上場企業の部長以上の方や中小企業の経営者と、オーダーメイドで人材育成の計画実施をしてきた実績も活かしていきたい所存です。

描く未来は女性だけでなく、多様性を重んじながら働くということが楽しい・嬉しいと感じられる社会になることを使命と考えております。

私は、オーケストラのコンサートマスターのような伴奏者(伴走者)のような存在でいたいです。

「色々な音色を奏でる」ことは、一人ひとりの個性を活かします。
多様性や個別性を承認し、働きやすい生きやすい未来を共創しませんか。

経営者と従業員の架け橋として、組織の形成につながる活動を研修だけでなくコンサルタントとして包括して伴奏(伴走)していきます。

この場を通して、色々な方と交流ができたら嬉しく思います!
どうぞよろしくお願いいたします。

X(Twitter)もよろしくお願い申し上げます!

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