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認知症でもお金のことは頭が明晰な母 #介護新米ジャーナル

認知症であることが明らかになった母。
言葉でのコミュニケーションもこれまで通りとはいかず、感情のコントロールもままならない母を別人のように感じることもしばしばだったところから、私を救済してくれたのが、

「認知症の人が見ている世界」

という本だった。
ほぼ全部の項目に思い当たる。

数年前から母の小銭入れがパンパンになるようになった。
小銭貯金でもしているのかなと思っていたら、これについても本の中にドンピシャな記述があったので、「そうか、もうあの頃からサインは出ていたのか」と思った。

本の解説によると、計算が上手くできなくなり、レジで金額を言われてもいくら出せば足りるのか不安で、足りないといけないからとお札ばかり出してしまい、小銭がどんどん貯まっていくということらしい。

どんどん増えていく小銭入れの小銭。
硬貨がもう入らなくったいくつかの貯金箱のことが思い出された。

日々の計算はこんな感じの母であるが、一方でお金のことに関しては脳の働きが急に明晰になる。昔から生活のやりくりをギリギリのところで繰り返し、父ともお金の事で苦労してきたからか、自分の資産や貯金が今どんな状況であるかという点は、深く鮮明に刻まれているようだ。

とはいえ、不確かになっていく記憶を本人も感じているのは間違いない。
自分の母親がいつ亡くなったかも、思い出せない時がある。
自分の兄弟が何人だったを、思い出せない時もあり、顔には出さないがショックを受けていると思う。

しかしながら、
「私の通帳と印鑑はどこにある?」
「今使えるお金はいくらある?」
と尋ねる時は、いつも口調もシャープで話にも一貫性が伺える。

苦労した分、お金への執着が大きくなったのかなと推測していたが、コミュニケーションを重ねていくと、ちょっと思っていた理解と違うらしいということがわかってきた。

ボキャブラリーも限られてきていて、表現も思うようにできなくなってきているが、私が解釈するに、どうやら、「自分の始末は自分でつけたい」ということらしい。

介護や、デイサービス、ショートステイ、診察にかかる諸費用は自分で賄えるだけの資産はあるか、を確かめることで不安を解消したいということのようだ。

確かに介護保険のサポートはありがたいものの、現在連泊で看護師さんの常駐する施設にてステイさせてもらっている状況で、出費もいくばくかかさんでいるのは事実。

しかし溶けていく数多の記憶の中で、「最後まで、子供の負担になりたくない」と最後まで手放さない記憶がお金の心配であったとは。親とはそういうものなのかな、と切なくも愛おしくも思う今日この頃です。

次はまた土曜日に面会と診察の付き添いに行ってきます!


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