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海外サマーインターン②面接

投資銀行


全く展望の見えない海外での就職活動だったので、何でも良いからとりあえず100社応募する、という目標をたてた。その結果、アジア、ヨーロッパあわせて20の投資銀行にエントリーした。朝早起きして、授業へ向かう前に、機械的にエントリーシートを提出した。1月のヨーロッパは朝9時過ぎまで真っ暗だ。森に囲まれたフォンテーヌブローの冬の朝はとても落ち着く。他のルームメイト達が寝静まっている中、私の部屋の電気だけがついていた。
20行エントリーしたうち、面接まで進んだのは、メリルリンチの香港支社のみだった。香港との電話面接だったので、朝早くからの面接だった。面接官は調査部門の女性で、優しく落ち着いた話し方をする人だった。ただ、つっこんだ質問などはない。「もう私を採用しないと決めていそう」と思ったら、予想とおり面接で落ちた。その当時は、書類選考のミスで私が面接によばれたのだろう、と思っていた。初めての英語面接によばれただけラッキーだった、と。
大学生の頃の就活で、外資系を受けたときに何度か日本で英語面接の経験はあったが、それは面接官が「日本人でこのくらい英語ができればOK」というハンデをくれた上での英語面接だった。相手が日本や日本人に対する十分な理解を持ってくれていた。それに対し、メリルリンチの電話面接は、初めての100%日本に関係がない面接官との英語面接だった。
海外で10年以上働いた今思うことは、当時の私は「面接での話し方」の基本ができなかったことも、面接で落ちた理由だったと思う。自分のそれまでの経歴は日系メーカーだった。日系自動車メーカーでの実務について詳しくないような面接官(香港の投資銀行)に、自分のTransferrable Skillを説明する際に使うべき「面接の自然な会話表現」やテクニック(例えばSituation Task Action Resultのようなフレームワークを使って話すこと)を知らなかった。難しい英語ではないが、当時はできなかった。卒業後海外で働き、何度も転職体験をすることでいつのまにか身についた。メリルリンチの面接を受けた頃は、そういう表現に慣れていなかった。

コンサルティング会社


投資銀行の就職活動の波が一段落すると、次にコンサルティング会社のサマー・インターンの応募が開始する。コンサルティング会社は、その国の母国語を話せることが絶対条件だ。私は、トップ3のコンサルティング会社(マッキンゼー、BCG、ベイン)のロンドンオフィスに応募した。ただ、母国語でない市場でのコンサルは、よっぽど秀でた才能がないと難しい。さらに英語を第一外国語とする海外志向の他の学生もアメリカ、イギリスに応募するので、競争率はかなり高い。面接へは呼ばれなかった。

転職でロケーション・業界・職種の全てを変えるのは無謀


最後に事業会社によるサマー・インターンの採用が始まった。そんな頃、卒業生とのネットワーキングイベントに参加した。人見知りの私はこういうイベントは苦手だ。その日も、積極的に会話するクラスメイトを横目に、誰にも話しかけられなかった。私の英語は皆より下手だから恥ずかしい、しかもメーカー出身だからバカにされるのではないか?そんな気持ちがあった。早々と帰宅する方向で気持ちは動きかけていた。でも、大人数のグループの会話に参加することは無理でも、一対一なら話せるかもしれない。会話のテンポが悪くても一対一であれば、相手が私のペースにあわせてくれる。
そして、その相手にぴったりな、優しそうな雰囲気の老紳士を見つけたので話しかけた。国際志向のエグゼクティブをヘッドハンティングする会社を経営している人だった。
ヨーロッパで就職したいがどうすればいいか相談してみた。「一般的に、ロケーション、業界、職種の3つ全てを一気に変えることは、成功する転職に繋がらない。あなたにとって、最も重要なのはロケーションを日本からヨーロッパに変えること。そうだとすると、今までのトヨタでの経験を高く評価してくれるようなHeavy Industryに絞ってはどうか」というアドバイスをもらった。
確かに、社内調整や細かいオペレーションの多いHeavy Industryであれば、トヨタの経験を高く評価してくれるかもしれない。投資銀行では事業会社の仕事自体「ぬるい仕事」と見られていたのとは対照的に、事業会社の人はトヨタのオペレーションに敬意をもってくれるかもしれない。海外でローカル採用の壁は高い。「自分が何を提供できるか」ということを、「自分が何をしたいか」以上に考えて応募するのが現実的な戦略だった。

事業会社の面接対策:クラスメートに頼る


事業会社で最初に面接によばれたのはセントリカというイギリスのガス会社だった。ブリティッシュ・ガスの系列企業だ。面接の前に、セントリカのSWOT(強み、弱み、機会、脅威)分析を準備してくるように指示があった。図書館のデータ・ベースでセントリカについて調べて面接に望んだものの、落ちてしまった。
この面接のために金融の授業を一度欠席してしまった。就職活動の面接は平日に行われる。そして、学業よりも就職活動を優先していたので、面接時間に授業があった場合、授業を休む。MBAの学費を授業コマ数で割ってみると、1回の授業(90分)の単価が2万円だ。そして、MBAの教授は、この高い学費に見合うだけの、レベルの高い教授しかいない。研究者としても世界トップクラス。同時に、社会人をしばらくやって退屈な授業などきいていられないというMBA学生を眠くさせない。学生アンケートで高い評価をキープできるような、エンターテインメント性の高い教授が多い。こんな授業を休みたくない。さっさと内定をもらって、授業を休むことは避けたい、と思った。
セントリカに続き、再びエネルギー会社でから面接によばれた。欧州に本社を置く石油大手のシェルだ。セントリカを受けてエネルギー業界に関するSWOT分析をしたことは、次に面接によばれたシェルの面接にも役立った。知識という以上に、事前準備のやり方を学ばせてくれたからだ。新聞やネットで調べられることなど、業界にいる面接官が聞いても全く面白くない。MBAに来ている他の学生で業界知識のある人に話を聞いた方がよっぽど効率的だし、面接官がきいてもある程度面白いと思ってくれるネタを準備できる。
同じクラスにシェルから社費留学で来ているマレーシア人の学生がいたので、面接前にアドバイスをもらった。彼女は、マレーシアのシェルで採用され、その後、ヒューストンでも数年働いていた。謙虚な性格だったが、賢さと優しい性格が話していると伝わってきて、さすが社費留学でMBA留学しているだけあって、シェルでとても高く評価されている人材に違いない、と思った。しかし、彼女の話は半分も理解できなかった。技術系の彼女の話は細かく、前提知識のない私には難しかった。それでも面接で志望動機として話したくなるような、シェルの仕事の魅力は理解できた。例えば、産油国政府との交渉といったトピックは、学部時代に国際政治を専攻した私にとって興味深かった。また、採掘は巨額の投資を伴う、と聞いて純粋にかっこいいな、と思った。

初めての面接合格



シェルの面接は、人事部と1回のみだった。サマー・インターン自体が2次面接に相当するのでサマーインターンの面接は1回のみという企業は多い。なぜMBAに行くことにしたのか、という質問から始まった。
予想外の質問だったが、「高校時代にお世話になった英語の先生が『MBAは優秀というバッジのようなもの。君は必ず行くよ』と言ってくれた。それ以来興味を持っていた」、と冗談めかして答えた。面接官の方が、私の答えに笑ってくれて、緊張がほぐれた。「なぜMBAに行くことにしたのか」という質問は、表面的な経験だけでなく、人生経験や価値観をを聞きだせる素敵な質問だと思った。
面接の後半は、ケース・スタディをした。リスク・マネージメントに関するもので、ロジカルに考えているか、ビジネスの常識があるか、を見ているようだった。
面接官には、面接をしてくれたことへのお礼メールを出す。通常はメールだが、大切な相手には『銀座・伊東屋』で買ってきた和風のカードで礼状を送っていた。日本の文房具は美しく、文化的なことに興味がありそうな相手には有用な武器だ。これはちょっとやりすぎかもしれない。でも面接の評価がまだ決まっていないこともあるので、面接官へのお礼はメールでもしたほうが良いと思う。和風のカードでの効果もあってか、シェルでサマー・インターンができることになった。やっと手に入れたサマー・インターンだった。このチャンスをものにできれば、正式にフルタイムの内定がもらえる。

終わりに


サマー・インターンとしての働き口を得るまでに要した時間を思い返すと、無駄な努力はなかった。投資銀行を受けたことで、履歴書やカバーレターの準備が早めにできた。コンサルティング向けのケース・スタディの練習をしていたことで、フレームワークに沿って答えるスキルが身についた。そして、休学し予習をしていたので、勉強が楽になり、就職活動に時間をさくことができた
結果的に100社ではなく、30社に応募、3社面接によばれ、1社(シェル)からサマー・インターンの内定をもらえた。

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