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海外就職:オランダエネルギー会社①

INSEADを卒業後、オランダのハーグにあるシェル本社で仕事が始まった。念願かなってのヨーロッパ就職だったが、そこから始まる2年半の会社生活は上手くはいかなかった。私の上司はシンガポール支社在籍のベルギー人だった。上に媚びない性格、するどい分析視点など、尊敬できる点も多く、その率直な人柄が好きだった。ただ、マネージメントに興味がなく、彼と同じくシンガポールにいる部下でさえ、マネージできていない状況だった。そして、オランダにいる私を含むチームメンバーは放置状態だった。

白人男性の強い自己アピールに辟易

チームには、白人男性3名がいた。全員私と同じくらいの年齢、役職だった。私が最初にやりにくいな、と思ったのは彼らの「目立つプロジェクト、出世しやすいプロジェクト」を取り合う姿勢だった。最初に小さなプロジェクトをカナダ人男性と一緒に担当したが、私がエクセルで作った資料を、自分がやったように、上司や関係部署に送っていた。明るくて良いところもあったが、一緒に仕事をするのは疲れそうだった。

同じオランダのオフィスに働くオランダ人男性も個性的だった。博士課程を持つ彼は、度の強い眼鏡をかけて、肌が紙のように白かった。彼が、私と一緒にまとめたレポートのプレゼンをすることになった。そのテレビ会議の設定でトラブルがおきた。もともとの会議案内を送ったのが私だったが、彼がプレゼンをしたい、と言うのでプレゼンを代わった。私はデスクで仕事をしていた。すると、彼はテレビ会議の設定ができずプレゼンが15分以上遅れた、と怒っていた。彼に呼ばれてITに強いチームメンバーと一緒に会議室にかけつけたときには既に開始時間が過ぎていた。プレゼンターは常識として会議が始まる15分前には部屋に行って設置するものだと思っていたが、彼は会議案内を送った私が設定するものだと思っていたようだ。会議の後、彼は、テーブルの上に足をのせて、海外でしか見ない、日本人が驚く失礼な態度を取っていた。子供っぽい人だと思った。

3人目は、イギリス人で彼は3人の中では最も良心的な人だった。また、ケンブリッジの理系の大学院を卒業している彼は、本当のエリートで、無理せずにも目立てる優秀さと上品さがあった。それでも、彼と一緒にプロジェクトをしようとした時、あまり私に仕事の分担をふってくれなかった。

この3人の白人男性に、私は苦手意識をもっていた。とはいえ、カナダ人とイギリス人は、シンガポールへ引っ越したため、一緒に仕事をすることは殆どなくなった。

産油国出身の同僚のプライドの高さに驚愕

シェルは本当にグローバルな企業だった。普通は収益重視なので、GDPが高く、先進国市場を優先にビジネスをする。そのため「グローバル企業」を名乗っていても、欧米先進国や、発展途上国の中でも教育レベルの高いインド・中国出身の従業員で大方占めている。ダイバーシティを謳うMBAでさえも、「国際的な環境」という観点からは、エネルギー会社には敵わない。なぜなら、エネルギー会社にとって、産油国である中近東やアフリカは超重要なstake holderであり、オランダの本社にも産油国から派遣されている人が多く見受けられた。
シェルの役員と面談をした時、彼にシェルで一番好きなところは何か聞くと、真に国際的な企業であること、と言っていた。LNGのチームにも、カタール、カザフスタン、ナイジェリア、ブルネイ(マレーシアのボルネオ島に位置する産油国)出身の同僚がいた。上述の優等生タイプの白人男性に比べておっとりと構え、オランダでの駐在生活を楽しもうと、仕事や出世にガツガツしていない人が多いように見えた。 

しかしながら私は、オランダのチームにいたブルネイ出身の女性と対立した。彼女は私よりも15歳年上の50歳だった。ムスリム女性の慣習にしたがい、スカーフで髪を隠していた。身長も150cmと小柄で、子供が5人もいる、という話をきくと、きっと優しい人だろう、と期待したが、実際には家に住み込みのメイドがいて、子供の送り迎えから掃除、料理まで毎日やってもらっていた。このメイド付きの生活を、労働力の安いブルネイだけでなく、オランダ駐在中にもしていた。 

彼女からはとてもルーズな人だ、という印象を受けた。入社直後は、彼女が私の職場先輩的な役割だった。毎日13時から会議をいれていたが、30分の会議なのに毎日15分以上遅刻して来る。ランチタイムの後の時間が難しいなら、時間を変えようか、と提案しても、このままで大丈夫、と言うが、次の日も遅刻。彼女は、私のように自分より役職が下の人からのメールは読まないが、上からのメールには、とても長く丁寧に返事を書く。

トラブルは、データ・ベースの管理でおきた。ブルネイ人女性から、オランダのチームが管理している、世界各国のLNGの契約をまとめたデータ・ベースの数字が、日本、韓国、台湾、中国、インドのアナリストが管理しているLNG契約データと整合しているかチェックしてほしい、と言われた。ファイルとファイルを見比べる非常に単調な作業だが、真面目にやった。オランダのチームが管理していたグローバルのデータ・ベースと、各国のデータ・ベースに齟齬があった場合、各国アナリストに確認した。すると、各国アナリストは、情報の根拠もしっかり説明してくれた。結果、私はそれまでオランダのチームが使っていたデータ・ベースを変更し、その旨を、ブルネイ人の女性と、同じく需給を担当していたオランダ人の男性に報告した。

オランダ人の同僚までメールに入れたことで、ブルネイ人女性との関係が悪化した。間違いを人前で指摘されることくらい普通にあるだろう、と私は思っていた。でも、ブルネイ人の同僚にとって、それはありえないことだった。

イギリス人やオランダ人で、シェルで長く働いている人は、産油国出身の人達と一緒に仕事をすることに慣れていた。一見おっとり見えながら実はプライドが高いというタイプへの扱いもスマートだった。結果、会社の文化はややディプロマティックだった。

自分の自由と他人の自由


トヨタにいた頃は、金太郎飴のように画一的な組織に窒息しそうで、「自分じゃなくても仕事が回る」という閉塞感を感じていた。個性が重んじられる海外で就職すれば、もっと自由になれると信じていた。

でもシェルの複雑なチーム環境で、どのように人間関係を形成すればいいのかわからず苦労した。嫌だ、嫌だと思っていた日本という環境は、実は自分にとって良いことも沢山あったのだ、と気づいた。シェルの白人男性の行動に見られたような「自己中心的に手柄を取ろうとする」行動を日本で見かけることは滅多にない。同時に、日本人の真面目さのスタンダードはかなり高く、時間に遅れない、メールを読むといった当たり前のことが行われないことへの、フラストレーションもなかった。

東大の池内恵教授が著書の中で、「西欧では、「自分の自由を侵害されたくなければ、他者の自由を認めよ」という考えを発展させたのに対し、日本では「自分が気分を害されたくなければ、他者の気分を害するな」という考えが優先されてきた」、と書かれていた。
当時の私は、「自分の気分が害された」ことに敏感になりすぎていた。他者の自由を認める寛容性が低かった。日本人とは価値観もペースも違う国の人と働くに当たって、日本人に期待するのと同じレベルの行動規範を相手に求めすぎていた。だから、相手が自分の期待と合わないとき、相手の自由を重んじた上での敬意あるコミュニケーションが、できていなかったのだと思う。

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