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おもいあがり~愛媛・高知同居男性傷害致死死体遺棄事件④

光洋の言い分

公判開始から4日目、ようやく被告人質問が行われた。
それまでは証拠の提示と解剖医、警察官の証言、現場の状況と8月の逮捕監禁事件について、そしてふたりの証人尋問があってようやく被告人質問となった。

光洋の言い分として、このシリーズの冒頭、①にて書いてあることがメインとなる。
弁護人は、その光洋の主張をなぞる形で質問をしていた。
その中で、やはり避けては通れないのが野田さんの金銭管理についてだった。
検察側は、あくまで野田さんの財産を奪う目的があったと主張しており、その証拠もすでにいくつか提示されていた。
土地の売買などもそうだが、実は光洋は野田さんが受け取る生命保険金についても、その受け取りに関与していたのだ。

弁護人:「生命保険金の受け取りについてですが・・・」
光洋:「生活保護の申請をしたけどダメで、なら(ネックになっている)土地を売ってしまえば生活保護が受けれると思った。土地の権利証などを探している時、保険証券が出てきたんです。それで受け取れるか確認したら、受け取れた。」

弁護人:「そのお金はどうしたんですか?」
光洋:「溜まっとった公共料金の未払い金や、税金、健康保険代をそれで払いました。」

野田さんは父と妹を亡くした後、母親の綾子さん(当時71歳)と暮らしていたが、平成16年に綾子さんは交通事故で亡くなっている。バイクに乗っていた綾子さんを追い越そうとした乗用車が、バイクのハンドルに接触したことで綾子さんはバランスを崩し、そのまま対向してきた軽自動車と正面衝突してしまったのだ。
その綾子さんの死亡保険金の一部が未請求のまま残っていたのだった。

この経緯を聞くと、確かに野田さんは生活力に乏しく、生命保険の受取などにも頓着していないようであり、光洋がいなければそもそも綾子さんの保険金を受け取ることは出来なかったと思われる。
光洋が土地売買を急いだのも、生活保護申請をスムーズにさせるために加え、野田さんには手に余る土地を売却して現金を得ることは、特に不審に思うようなことでもない。
平成28年12月、かんぽ生命から566万4898円の保険金を得た。

しかし、続く弁護人の質問に対する光洋の答えは理解しがたいものだった。

弁護人:「その保険金は、全部野田さんに渡したんですか?」
光洋:「折半しようやー、いうて言いました・・・。」

せせせせ折半??なんで??
どう考えてもおかしな話であり、この時点で光洋の献身はやはり金目当てではないのか?という疑念が法廷を包んだ。
ならばなぜ、弁護人はこの質問をしたのだろう、とも感じられたが、それは光洋の次の言葉で腑に落ちた。

光洋:「引き出した明細は野田さんにもちゃんと見せました、野田さんも承諾してくれていた」

あくまで野田さん了解のもとで行われたことであり、確かに眉を顰められるような行為ではあるが罪ではない、ということを強調したかったのだろう。いずれ検察側にも問い質されるのだから、あらかじめその印象を和らげておく算段があったのかな、と思えた。

弁護人:「なぜ野田さんを手助けしようと思ったのですか?」
光洋:「身寄りがないと聞いて可哀そうだと思った。社会から疎外されているようにも思え、そこが自分と似ているとも感じて…」

光洋は最初から自分一人で抱え込むつもりでいたわけではなかった。民生委員や野田さんの親族、医療機関に対し、積極的に野田さんを助けてほしいという主旨の話は確かにしていた。
しかし、野田さん宅の近所に暮らす親族らは、そのすべてを断っていた。

親族や近隣住民の話も証言として出ていたが、野田さん自身も近所の人や親族らにお金がないという話をして、少額の金を無心していたという。
ちなみに、すでに請求されていた両親らの保険金約3700万円は、平成16年に綾子さんが死亡して以降、7年でそのほとんどを使い切っていた。これには光洋は一切関係しておらず、野田さんに保険金が入ったことを知ったよからぬ連中がタカッた挙句のことである。

ガスや電気が止められた後は、米を手にした野田さんが、「ご飯を炊いてほしい」と頼みに来ることもあった。しかしそれらも、当初の数回を除いてほぼ全員が拒否していた。

8月の逮捕監禁事件についても、その日家出していた野田さんが久しぶりに帰宅したため、酒好きな野田さんと一杯やっていたという。
しかし、野田さんが酔って暴れ始めたため、光洋はやむなく野田さんを縛った。野田さんが「1時間もすれば酔いは冷める」と言ったので、用事があった光洋はその後野田さんを縛った状態で外出していた。
弁護人:「裸だったのはなぜですか?」
光洋:「風呂に入った直後だったから…。野田さんはなぜか着古したものを着ようとする。また汚れてもいけないから、夏だしあえて裸だった。」

先に述べたとおり、光洋が外出先から戻ると、野田さんは石岡神社の宮司に助けを求めており、警察に事情を聞かれることになったのだ。

一見、筋が通っているようにも思えた光洋の言い分で、検察も黙って聞いていた。
しかしこの後、光洋が「自分に都合のいいこと」しか話していないことが露呈することになる。

ずるい男

光洋は話すとき、語尾を上げる癖がある。それは聞く人によっては非常に耳障りで、自身の正当性をことさら強調するように聞こえた。
また、自分に不利な状況を説明させられそうになると、「いやいや・・・笑」という風に、半笑いで話すこともたびたびあった。

野田さんが死亡した平成29年12月1日から2日にかけてを時系列で説明するときも、事実として出てきていることに沿うような話を必死でつなげている、という印象が強かった。

たとえば、野田さんの死因に大きく影響したとされる肩の圧痕についても、「絶対にひもで縛ったりはしていない」と光洋は主張していたが、野田さんに対し、両肩をつかんで肩のあたりを膝蹴りした、という話はしていた。
解剖医の話ではそんなことでつくような痕ではない、とされていたため、光洋にしてみれば「自分のしたことが野田さんの死に繋がっていない」ことを強調したいように思えた。

また、警察官が野田さんと帰宅した際のやり取りでも、警察官が証言した「ローソンで勝手になんか食ったんやろが!」と言った点には一切触れず、「どこ行っとったんぞー、探しよったんぞ?」と、口調もニュアンスも大きく違う証言をした。
さらに、ローソンでのラーメン事件についても光洋はこう釈明した。

「ラーメンは、ぶちまけたのではなくお湯が指にかかって思わず取り落とした。それにに苛立ってしまい、思わず壁を殴った」

この話は法廷では特に突っ込まれることもなく流されたが、傍聴していた人は気づいていたはずだ。ローソンの店員で証言台に立った岡村さんは、こう話していたはずだ。
「野田さんがラーメンを持参して湯を入れ、それを待つ間雑誌コーナーにいたところに光洋がやってきた」、と。
そう、ラーメンを作っていたのは野田さん自身である。しかし光洋は、「自分がラーメンを作ってやった」と言ったのである。これは思い違いではなく、嘘である。
お湯が指にかかったとしても、湯を入れて3分どころか5分は経っていたはずで、そんなに驚くほど熱いとも思えないし、そもそもお湯が指にかかったくらいで取り落としたりするだろうか。
しかも光洋が野田さんを連れ出した直後に大きな音がしたのであり、ラーメンを取りに来たのはその後である。時系列としても岡村さんの話とは違っている。
さらに光洋は、岡村さんが他の客と一緒になって野田さんの話をしながら笑っていたと言い出した。おそらく、岡村さんが野田さんに同情的だったことを覆したかったのだろう。
光洋には、どうも自分の非を隠すために他人を悪く言ったり、「(ひどいことをしたのは)自分だけじゃないし!」というような子供じみた言い訳をするクセがあるように見えた。

他にも自分を悪く見せまいとする口上はいくつもあった。
野田さんの貴重品(キャッシュカードなど)を光洋が管理していたのはなぜかという話でも、
「野田さんの家は施錠されていなかった。なので、泥棒が入ってはいけないと思って自分が持っていた。」
と話した。普通は鍵を作ったり、鍵をかける習慣をつけるのが先ではないのか。
岡村さん同様、もう一人の証人久保田さんに対しても、光洋は責任転嫁というよりまるで久保田さんが黒幕であるかのような話を展開した。
野田さんを縛るように勧めたのはなんと久保田さんだというのだ。野田さんの脱走に困っていた時、そうアドバイスされたと。さらに言うと、縛り方が分からなかったので実際に縛ったのは久保田さんの会社の従業員だ、とも話したが、その従業員は光洋に乞われて縛っただけであり、根本的に光洋主導であることに変わりはない。しかし光洋は、さも重要なポイントであるかのように話していた。

挙句、野田さんの保険金を狙っていたのは実は久保田さんであるとまで言い出した。光洋は「久保田さんは怖い人」ということを何度も言っており、久保田さんから守るために保険金を自身の口座に移したりしていたのだと、その場にいない久保田さんのせいにし始めたのだ。
もちろん、久保田さんが野田さんの生命保険金からなにか利益を得たとか、そういう事実はない。久保田さんは二人の異様な関係を恐れ、早い時期に関係を切っているほどだ。

もちろん、先にも書いたがこの久保田さんは暴力が身近にある世界で生きてきた人に思える。野田さんに対し、おでこを小突いたり胸倉をつかんだりといったことはあったと、本人も証言している。
そこだけを掻い摘んで、あたかも久保田さんこそが悪人なのだと言わんばかりの主張には、唖然とするよりほかなかった。
100歩譲って久保田さんが保険金を狙っていたとしても、実際手にできていないどころか、野田さんの死とその後の死体損壊遺棄については全く関係していないのだ。
保険金を奪われたことを審理している裁判ではないのだ。

光洋にはそれが解っているのかいないのか、とにかくすべての出来事は自分なりの理由があって、すべては周りが悪い、自分は良かれと思ってやっていたという言い訳ばかりかましていた。

攻める検察

これまでの裁判の状況ではっきりしていることは、
①何らかの事情で野田さんは死亡した
②死亡時期は平成29年12月1日午後11時50分~12月2日午後9時53分の間
③死因は自死、事故死、病死ではない
④死亡した場所は野田さんの自宅内
⑤第一発見者は光洋
⑥遺体を焼損し、遺棄したのは光洋
である。⑥の罪については光洋も認めている。
しかし、最も重要と言える、「誰が野田さんを死に至らしめたか」という部分は、決定的な証拠に欠けていると言わざるを得なかった。
だからこそ、疑わしきは罰せずを盾に弁護人は傷害致死の成立を認めていない。もうひとつ、検察も光洋が「殺意を持って」野田さんに暴力を振るったとまでは言っておらず、あくまで傷害致死にとどまるとしていたが、死因自体が複数の傷が原因となっていることなどから、光洋が野田さんをその日縛ったうえで暴行を加えた、とする検察の主張に「合理的な疑いをはさむ余地がないかどうか」をその他の状況から判断しなくてはならなかった。

たしかに光洋は野田さんの土地を売ろうとしていたし、野田さんの母親の生命保険の半分を受け取る約束をするなど、野田さんの財産を搾取しようとしていた印象は否めない。
しかし、受け取っていない生命保険証券が出てきたのは偶然であり、また、土地を売却するのも先に述べた通り持っていたところで野田さんにとってはメリットがなく、それならいっそ金に換えた方が良いのでは、というのもおかしな話とは言えない。
一方で、公証役場で包括遺贈の証書を作成しようとするなど、光洋が自己の利益を全く考えないで野田さんの世話をしていた、とも言い切れない部分はある。
こんな証拠だけではたして検察は光洋の「悪意」をあぶりだせるんだろうか、そんな気持ちに正直なっていた。

しかし、被告人質問の終盤。検察は一気に光洋のその「悪意」の部分を暴いていった。

主任検察官:「あなた、野田さんを家の外でも縛ってませんか?」
光洋「?そういったことはありません」
主任検察官「あなたの知り合いの女性とその彼氏を、野田さんの家に住まわしていたことがありますよね、その時、男性が母屋と離れの間の庭先の柱に、野田さんが縛り付けられていたと言ってますが?」
実は3日目の証拠調べにおいて、複数の関係者の証言があげられていたのだが、その中に若い男女の証言があった。
その男女は恋人同士で、当時二人で同棲する部屋を探していたところ、女性が勤める店の客であった光洋が野田さん宅の一部屋を貸す、という話をまとめていたのだ。
男性は何度も野田さんと光洋とともに行動をしていたが、ある時納屋の柱に野田さんが縛り付けられているのを見たと話した。
それ以外にも光洋が野田さんに暴力を振るっている場面や、みんなで温泉施設に出かけた際、野田さんは風呂に入らさないばかりか、その後歩いて家まで帰らせるなどの嫌がらせもしていたという。
同じく、彼女であった女性も光洋による野田さんへの暴力行為を見たと話しており、また光洋について、「仕事もしてないのによーけ金もっとんなぁ」という印象を抱いていたとも証言した。
しかし光洋は、この男性らの証言を真っ向否定したのだ。とにかく、野田さんを縛ったりしていない、いや正確には8月に一度縛りはした(警察沙汰になった件)けれど、それ以外は縛ってないし、過去に縛られている野田さんを見た人がいてもそれは自分がすすんで縛ったのではない、と、とにかく縛ってないということを必死に訴えていた。

検察官は意に介さない風でさらに続ける。
主任検察官:「野田さんの自宅の壁や天井、とにかくあらゆるところに血しぶきがあったのですが?」
光洋:「それはビンタしたとき鼻に当たって鼻血が…」
主任検察官:「(かぶせ気味に)それではその場所を示しますねー、モニター見てください。一度の出血でこんなに飛び散りますかねー(棒)。」
モニターは傍聴席にも見せられた。その血痕の場所は、CSI科学捜査班もびっくりの、床やふすまに限らず、壁や天井など広範囲に確認されていた。ちなみに野田さん宅には複数の部屋があり、平屋ながら結構な大きさである。その家の中のありとあらゆる場所に血痕と思しきものが付着していたのだ。
さすがに弁護人からは「そのすべてが野田さんの血痕とは限らんでしょうが!」と異議が飛んだが、裁判所は認めない。さらに、脱衣所に散らばる複数の「ヒモ」についても、光洋は「知らない」と言ったが、それに続けて、「使ってない」とも言った。それは誰も聞いてない……と思ったが、光洋の頭の中には「とにかく今回は縛っていない」ことしかないようだった。

逮捕監禁の夜の「ピンドン」

検察は次に、光洋の献身の真意についても疑問を呈していく。
光洋が野田さんの世話を焼いたことの本当の目的はなんだったのか、たしかにそこもいまいちよくわからない部分ではあった。

光洋は野田さんの金銭管理を行っていたというのは先にも述べたとおりだが、光洋が受け取った分についてどうしたのかと聞かれた際、光洋は「(野田さんと)二人の生活費として使う予定だった」と述べていた。
しかし、実際には野田さんの生活は改善されておらず、また、家も荒れ果て、家の中でも土足でいなければならないほどだった。
野田さんが寝ていた布団には確認するのが怖くなるほどの黒い染みが広範囲にあり、事実野田さん自身もローソンの岡村さんが指摘したとおり、やせ衰えて著しく汚れていた。

検察は確認が取れたものだけという前置きの下、光洋が浪費した証拠を挙げていく。
野田さんが光洋と知り合った後に受け取った保険金は、平成28年12月28日のかんぽ生命5,664,898円のほかに、平成29年8月18日に全労済から5,013,534円の入金も得ていた。ちなみにここから8,279,672円がすでに引き出されており、野田さんの口座には240万円余りしか残っていなかった。そして、その一部は野田さんの口座から出金された直後に、光洋の口座に移されているものもあった。
光洋は新居浜、西条市内のラウンジやスナックに足繁く通っており、一晩で10万以上を使うこともあったという。また、グッチやヴィトン、モンクレールといった高級ブランド品も65万円分購入していた。

そして注目すべきは、この2度目の全労済を引き出した日付である。
思い出してほしい。この平成29年8月18日になにがあったか。
そう、この日は野田さんが全裸で縛られ、近くの神社に助けを求めたあの逮捕監禁事件があった日である。
あの日、光洋は警察や宮司に対し、「野田さんが酔って暴れたからやむなく縛った。自分が外出している間見張れないから」という説明をしていて、確かに午後の1時と3時の二回、光洋が外出していた。しかしその外出の目的が問題だった。
実はまさにこの外出していた時間、光洋は何度も野田さんの口座の残高照会を行い、入金後は50万円を2回に分けて引き出していたのだ。
そうなると、野田さんを縛った本当の理由が見えてくるような気がしないでもない。

さらに、警察に事情を聞かれ、野田さんに対しても申し訳ないことをしたと謝罪し、宮司にも迷惑をかけて申し訳ないと頭を下げるなどしていた光洋は、それとは裏腹な行動もしていた。

主任検察官:「あなたこの日、宮司さん宅に謝罪に行った後、どうしてましたか?」
光洋:「……家に帰りました。」
主任検察官:「えーあなたは新居浜市内の「ルシア」というお店に行ってませんかその日。そしてそこでピンクのドンペリ入れてますよねー。これって14万5千円もするんですね一本。覚えてませんか?お店の帳簿に残ってるんですけど。」
おそらく不意打ちであったのだろう、途端にパンの話を持ち出すなど明らかにしどろもどろになった光洋だが、
「もうその日はえらい怒られて母親にも怒られて気分がふさぎ込んどって……それで憂さ晴らししようと……」
と、その事実を認めざるを得なかった。

すでに傍聴席も含め、光洋の人間性に対してかなりドン引き、といった空気が法廷には立ち込めていたが、検察はさらなる驚くべき証拠を持ち出してきた。

遺書

検察は、ある証拠をモニターに映し出した。
それは、野田さんが死亡した後の現場検証時に見つかったもので、A4の用紙にこうしたためてあった。

「神野さんに一番お世話になっています。
自ら命を絶つことをお許しください、ありがとうございました。
さようなら 野田育男 平成29年8月3日」

どこをどう見ても遺書である。しかし、野田さんがこれを自分の意思で書いたかどうかは、まるっきり不明だった。
しかもこの遺書は、作成日時が8月3日で、部屋にあった卓袱台のような机に置いてあったというが、その直後の8月18日の逮捕監禁事件の際の現場検証では発見されていなかった。
そしてその後の8月26日、光洋は野田さんを伴い、公証人役場で包括遺贈についての相談をしているのだ。

光洋はそんなものは知らないと、頭を振った。ならば、野田さんがこっそり作ったこの遺書を、机の上に数か月間も置きっぱなしにしていて誰も気づかなかったというのだろうか。
はっきり言って、野田さんは自殺を考えるようなタイプではない。もっと言うと、こんな遺書が果たして書けたかどうかも怪しい。
なによりも、野田さんはその後も自殺するようなそぶりは見せていないし、光洋に縛られたあの日も自ら助けを求めて外に出ているのだ。自殺願望があったならば、助けを求めたりするだろうか。
ふと、これはもしかして光洋が自らここに置いたのでは?という想像をしてしまった。野田さんが死亡した後、光洋は野田さんの遺体を隠していた。さらに、知人や近隣住民に対し、野田さんは仕事が見つかってよそへ働きに行っていると話していたのだ。
このまま遺体が見つからなければ、いずれこの遺書が威力を発揮してくる。出稼ぎに行った先で行方不明になったとでも言えば……。
もちろん、遺体が出なければ失踪人としか扱われず、最低でも7年の月日がたたなければ死亡宣告は出来ないわけだが、そこまで光洋の頭が回ったとも思えず、死亡した後のどさくさに思いついた浅知恵なのではないか、と想像してしまった。
それほど、この遺書は意味不明なものだった。

それ以降も、検察の「攻め」は続いた。
光洋の供述が、当初と変遷していること、検察官による弁解録取で言っていたことと、法廷での証言が違っていることを聞かれると、光洋は大げさに「えぇー!記憶って怖いですね」などと馬鹿にしとんかと言いたくなるような言動を見せた。
さらには調書にある検察官の名前を見て、「そんな人おったかなぁ」と呟くなどし、主任検察官が「検察官が嘘をついてるとでも?!」と呆れて問い質す場面もあった。
また、公判前整理手続きにおいての弁護人の主張とも食い違う説明をしている点について、「じゃあ弁護人が嘘をついたということですか?」と聞かれて、「まぁ、そうだと……」と、弁護人に擦り付けるようなことも言う始末で、あまりのしどろもどろを見かねた裁判所が「ちょっと混乱してるようなのでね、休廷。」としてしまうほどだった。

検察官は、「あなたは時がたてばたつほど、話を付け加えていく。つじつま合わせをしているからではないのか。」と光洋を糾弾した。
実際、検察官の取り調べに対しては「死亡する前夜から当日にかけて二人きりだった」と話していたのに、裁判が始まると「第三者がいた可能性」を示唆し始めたり、当初野田さんは病気で死んだと思ったと言っていた(寒風山での作業員とのやり取り)のに、古宮医師が病死ではないと断言すると、第三者による加害説を唱え始めるなど、弁護人の入れ知恵だけとは思えないような状態ではあった。
また、複数の目撃情報がある事柄、たとえば警察官が野田さんに外傷がなかったと言っているにもかかわらず、「右足から出血していた」という話をしたり、縛られているのを見たという話を真っ向否定してみたり、否定さえしておけばなんとかなると思い込んでいるような節があった。
ちなみにこの右足の怪我の説明についても、供述は変遷している。当初は靴下が血でびしゃびしゃになるほど、という説明を検察官にしていたが、裁判では「血が足の甲に滲んでいた」と全く違うニュアンスで話していた。
それ以前に、警察官は野田さんが裸足だったと説明していたのだが、光洋の中では靴下を履いていたということになっていた。

その矛盾を突き付けられても、「イヤイヤ……笑」と笑ってごまかしたり、大きな声で「ええー!!」と驚いてみたり、必死で自分の正当性を主張していたが、到底納得のできる説明にはなっていなかった。
実際に見てはいないが、恵庭OL殺害事件の裁判での被告の様子もおそらくこんな調子だったのかなぁと思ったりもした。彼女も、都合の悪いことは忘れ、矛盾を指摘されると「私がばかだから」とかあらぬ方向から弁解し始めたというが、光洋もまた、傷害致死に関しては最後まで否認を貫いた。

そして公判5日目。
その日は情状証人の出廷が予定されていた。

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