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おもいあがり~愛媛・高知同居男性傷害致死死体遺棄事件①~

令和2年1月27日

「被告と被害者は、一心同体だったのです」

高知地裁204号法廷。
その裁判は、こんな弁護人の冒頭陳述から始まった。
被告人席に座るのは、長身で面長、銀縁の眼鏡をかけてうつむく男。長身のわりに、どこか自信のなさそうな、気の弱そうな印象を受ける。
男は2年前の冬、愛媛県西条市で同居していた60歳の男性に暴力を振るい、そのあげくに死亡させ、さらには遺体を高知県いの町まで運んで焼き棄てた疑いで起訴されていた。

罪状は、傷害致死および死体損壊、遺棄。先に起訴、審理された死体損壊と遺棄については男も認めている。

しかし男は、傷害致死を否認していた。

「犬を焼いたんよ」

平成29年12月16日の早朝、高知県吾川郡いの町桑瀬の寒風山茶屋付近の排水路で、測量のために訪れていた作業員らが男と遭遇した。
ここは寒風山トンネルが開通する前に利用されていたいわゆる隧道沿い。愛媛県西条市と高知県いの町の境目である。今でも登山やサイクリングなどで人が訪れる場所であり、公衆トイレや何台か車が停められる駐車場もあって人がいること自体は何ら不自然ではなかったが、その男は開け放ったバンに、何かを積み込もうとしていた。

訝し気に見守る作業員に気付いた男は、自分の方から作業員らに近づき、「許可とってないんやけど、犬が死んだけん燃やしたんよ」と話した。
バンの荷台に載せられたものは布団でくるまれており、犬にしては大きく、そもそも犬を燃やしてそれを持ち帰るというのは異様な光景だった。

作業員らが測量を開始して橋の下に降り立ったところ、橋の真下で何かを燃やしたような跡を見つけた。
午前9時、遅れて到着した別の作業員が事情を聞いて男に何を燃やしたのか再度確認したところ、男は同じように「犬」であると話した。
しかしあまりに不自然な行動であったため、作業員らは布団をめくるよう求めた。男は「犬やけん、気持ち悪いよ?」などと言い、はぐらかそうとしたという。
布団からは、灯油のような臭いが鼻をついた。
なおも詰め寄る作業員らは、棒を拾ってそっと布団の端をめくった。
そこに現れたのは、黒焦げの人間の顔だった。

「これ、人間やないんか!!」

仰天した作業員らは110番通報、男はそれでも当初は犬だと言い張ったという。
しかし110番されて観念したのか、「同居しとった男の人。」と白状した後、「死にたいよう」などと呟き始めた。
作業員らが男が自殺しないよう見張っていると、男は自分から話し始めたという。

「病気で死んだと思う。でも、死んどると思わんかった……」

憔悴した様子の男は、その後トイレに行きたいと言い始めた。
外で待っとるから、と男をトイレに入らせたものの、中からは用を足す音は聞こえなかった。代わりに、なにかカサカサという音がしばらく聞こえていたという。

トイレから出た男は、その後到着した警察官に対し、「私が焼いた。10日くらい前に焼いて埋めたものの、この場所で作業が行われると聞いて遺体を動かそうとした」などと話したため、その場で緊急逮捕となった。

逮捕されたのは、愛媛県西条市の職業不詳・神野光洋(当時40歳)。この時点では遺体の身元は判明していなかったが、光洋の供述や遺体の大きさなどから子供ではないとされていた。
そして、その後の調べで、遺体は光洋が数か月前から同居していた西条市在住の野田育男さん(当時60歳)と判明した。

ふたりの出会い

光洋は西条市で両親と兄の4人暮らしだった。
西条高校を卒業後、大阪の外語専門学校へ進み、その後は通関士助手として働いていた。
しかし数年前からは地元へと戻り、派遣の仕事を中心に働いていたが、逮捕された時点では職業不詳とされた。
婚姻歴はなく、地元へ戻ってからはずっと実家で生活していたようだが、ある時から知人宅と自宅を行き来するような生活を始めていた。

被害者の野田さんは、西条市内の氷見という土地で両親と妹と暮らしていたが、父親を亡くし、その後妹も亡くし、平成16年には母親も交通事故で死亡していた。
野田さんは、詳しいことはわからないが誰かの支えがなければ生活する力がなく、母親が死亡して以降はその生活は完全に崩壊していた。
幸いに住む家は残されていたため、寝泊まりする場所はあったものの、仕事もしておらず、残された貯蓄はどんどん減っていったという。

平成23年、光洋はJR西条駅のうどん屋で野田さんと出会う。
野田さんは知人らしき数人といたようだが、どうやらその時その知人らの食事代も野田さんが支払っていたようなのである。
光洋は、そんな野田さんに対し、「おいちゃん、羽振りがえぇねぇ」と声をかけたという。
そして、ふたりが再会したのは平成27年のことである。
同じくJR西条駅で野田さんを見かけた光洋は驚愕した。あんなに羽振りがよさそうだった野田さんが、浮浪者同然の格好でうろついていたからである。

声をかけた光洋に、野田さんはにこにこと近づいてきて、「煙草をおくれ」といったという。
聞けば野田さんは一人になってから、金銭の管理が出来ないことにつけこんだ知人らにタカられていたというのだ。
母親の保険金なども底をつき、近隣の家を回っては物乞いをして日々を凌いでいた。時には寸借詐欺も働き、トラブルになったこともあったという。
そんな野田さんの境遇を知った光洋は、とりあえず弁当などを野田さんに購入してやり、それ以降野田さんと連絡を取るようになった。

連絡を取ると言っても、野田さんは「放浪癖」もあり、思いつくと何日も近所をうろついたりしていたため、光洋は野田さんの自宅を訪ねて野田さんの身の回りの世話をするようになっていく。
そんな光洋に、野田さんも嬉しそうだったという。

野田さんの家は電気もガスも止められていたため、光洋はひとまず滞納していた公共料金を支払ってやり、一緒に市役所へ生活保護の申請にも行った。
しかし、野田さんは自宅のほかに親から譲り受けた土地があったため、生活保護の申請は難航したという。
結局、生活保護申請がスムーズに受け付けられなかったために、光洋は野田さんに仕事を紹介する。その頃光洋は建設業などを営む知人らから人夫集めのような仕事を依頼されることがあったといい、野田さんを紹介したのだが、待ち合わせの時間に野田さんは姿を見せなかった。

結局、仕事もしない野田さんを放っても置けず、光洋は野田さん方で寝泊まりしながら野田さんの生活を支えようと決意したのだった。

献身とストレス

野田さんの度重なる家出は、特に何か予兆があるわけではなく、突然ふらりといなくなり、すぐ帰ってくることもあれば数日から数週間帰ってこないこともあった。
帰ってこないとき野田さんは、コンビニやコインランドリー、公民館の軒先などで寝泊まりしていたという。
このことで、何度も通報されることもあり、警察でも野田さんはいわば有名人であった。
野田さんが家出をするたび、光洋はあらゆるところを探し回った。最寄りのコンビニには電話番号を渡して、野田さんが来たら教えてほしいと頼んでいた。

野田さんは家にトイレがあるにもかかわらず、わざわざよそでトイレをするクセもあった。また、西条市は”うちぬき”という地下水が有名で、野田さんもうちぬきが好きだったのだが残念なことに野田さん宅はうちぬきが出ない地区だったという。
そのため、うちぬきを飲むためだけに出かけていったりもしていた。
光洋は野田さんを見つけては連れ戻し、汚れた衣服を取り換え風呂に入れて髭を剃り、少しでも栄養を、と野菜たっぷりの食事の用意もした。
一方で、野田さんの精神状態や体調に不安を覚えた光洋は、精神科のある西条市の道前病院を受診させる。そこで入院を勧められた野田さんだったが、泣いてそれを拒否したという。
理由は、野田さんの友達が精神科に入院した際、意に沿わない対応をされたと聞かされていたようで、とにかく入院はしたくないと訴えた。
もとより入院には親族の許可が必要で、光洋にその権限はなく、すぐの入院は無理だった。
そこで光洋は親族を捜して、野田さんの身元引受人になってくれないかと頼んでみた。しかし、あまり付き合いをしていなかった野田さんのことを親身に思う親族はおらず、「そんなに言うならあんたが面倒みればええ」などと言われる始末だった。

困り果てた光洋は、交番などにも相談に行ったものの、良いアドバイスはもらえなかった。

同時期、野田さんから妙な話を聞かされた。
「変な男が二人夜にやってきて、土地を売ってくれちゅうて言うんよ・・・」
神妙な顔で訴える野田さんは、その男たちが怖くて家にいたくないとも話していたという。
光洋自身も、野田さん宅にいた際、夜中にバイク(のような音がするもの)が敷地に入ってきたのを音だけではあるが聞いたことがあった。
野田さんの家出とそれに伴うトラブルなどで光洋もかなりストレスがたまっていた。

平成29年8月14日、光洋は野田さん方で野焼きをして、消防が出動する騒ぎを起こす。さらにその4日後、信じられない事件が起こる。

「ほどいて」

8月18日午後5時半ころ、野田さん宅の近くにある石岡(いわおか)神社の宮司は、社務所のインターフォンを鳴らした野田さんを見て仰天する。
野田さんは全裸で、両手をナイロン製の細いロープで後ろ手に縛られ、両肩をたすき掛けのような状態でロープを通された上、首は輪にしたロープでくくられていた。

「どうしたん!?」

あわてて駆け寄った宮司は、咄嗟にロープの結び目をほどこうとしたが、結び目は固くおよそ自分でやったようには思えない状態だったという。加えて、長時間この状態だったのではないか、とも思えた。
野田さんは、「ほどいて、ほどいて」というだけで、誰にやられたなどとは話さなかった。宮司はとにもかくにもバスタオルを持ってきて野田さんの下半身に巻いてやった。
全裸で縛られている現状、さらにその結び目の固さに犯罪性を感じ取った宮司は、ほどいてやりたいとはやる気持ちを抑え、証拠のためにスマートフォンで野田さんを撮影した。
ふと顔を見ると、野田さんの左目は充血し、頬の辺りも腫れているようだった。足やひじなどにも擦過傷、靴擦れのような水膨れ、皮膚の変色などありとあらゆる場所に大きくはないものの怪我をしていた。

写真を取り終え、宮司は110番通報する。
宮司は、以前から野田さん宅に光洋が寝泊まりしていることや、野田さんの身の回りの世話をしていると話していたのを知っていたが、自宅からこんな状態で逃げてきた以上、野田さんにこのようなことをしたのは光洋だと思わざるを得なかった。
しばらくすると光洋が帰宅、同時に警察官に事情を聞かれ始めた。
「神野君にやられたんか?」
そう聞いたが、野田さんは無言で見つめるだけだったという。

現場検証などにも素直に応じた光洋は、警察で事情を聞かれたものの野田さん自身に処罰感情がなく被害届けも出さなかったため、その日のうちに一旦釈放となった。

夜、母親を伴い宮司宅に光洋が現れた。
「あんな事したらいかんだろが!なんであんな事した?」
そう問い詰めた宮司に対し、光洋は素直に
「どうもすみません。野田さんが徘徊しないように思わず縛ってしまったんです…」
と頭を下げた。光洋は、全裸で徘徊しようとする野田さんを何とかしようと思い、自分が用事で外出する間見張れないためやむを得ず縛ったのだ、という話をしたという。
現に、野田さんが逃げ出したとき光洋は外出中だった。

宮司は光洋に対して説教をし、二度とあんなひどいことはしないようにと釘を刺したが、気になることがあった。
光洋は野田さんが「全裸で徘徊する癖がある」などと言っていたが、長年近所に暮らす宮司はそんな野田さんの姿を見たことはなかった。
たしかに野田さんは自転車で市内をうろついたり、物乞いのような行為をしてはいたものの、会えば挨拶もし、会話もできていた。近隣の人に眉を顰められることはあっても、露出行為をしたり危害を加えたりという「危険な男」ではなかった。
そんな全裸で徘徊するような精神状態とは思えなかったのだ。

宮司だけでなく近隣の人も、光洋に対し「関わらない方がお互い良いのではないか」と話した人もいたようだったが、それでも光洋は野田さんとの同居を解消しなかった。

突然の死


平成29年12月1日。
その日深夜、野田さんは警察官に伴われて帰宅した。野田さんはこの日まで、およそ2週間ほど家出していたという。
西条市小松町にある「大型コインランドリー小松」内で、浮浪者が寝ていると通報があったことから、西条西警察署の警察官2名が現場に赴き、室内の長椅子に横になっていた野田さんを発見したのだった。
光洋は、2週間も放浪していた野田さんに、風呂に入るようすすめ、自身がその日食べたキムチ鍋にごはんをいれて雑炊をつくった。
しかし、野田さんは何となく元気のない様子で、光洋がこしらえたキムチ鍋も箸がすすまない様子だったという。
ふと、野田さんの足元を見ると、右足の甲に怪我をしていた。出血もした跡があり、光洋はケガを治療するよう野田さんに言った。

翌朝、野田さんの様子が気になったものの、疲れているのだろうと思った光洋は起こすことはせず、自室でゲームをして過ごしていた。夕方近くにになって、ふと玄関ポストを覗くと、その日の新聞がそのままになっていた。ポストから新聞などを持ってくるのは野田さんの日課だったため、光洋は不安になって野田さんを見に行くと、台所に野田さんがいた。
サンダルをはいた状態で、座っていたという。
その後、光洋は野田さんに前々から探していた土鍋のありかを訊ね、探すように言う。しかし、野田さんは土鍋を探さず横になったという。
それに苛立った光洋は、野田さんの背中を足の甲で軽く蹴った。さらに、何度探すように言っても要領を得ない野田さんに対し、両手で肩付近を押さえて膝蹴りにし、さらにそこにあった孫の手で野田さんの頭を2回叩いた。

夜になり、野田さんの具合がいよいよ悪くなってきた。
台所にいた野田さんが、突然胸を押さえて苦しみだし、床に頭から倒れこんだ。そしてその際、野田さんは側頭部を強かに打ち付けたという。
光洋は「119番しよか?」と野田さんに訊ねたものの、野田さんは「寝とったら治る」とそれを断ったため、台所に野田さんの布団を持ち込み、かけてやった。

光洋は自身の痔の調子が思わしくなかったため、その後何度もトイレと自室を往復したという。
トイレに入っているとき、「ガタン!」というかなり大きな音がしたため、驚いて野田さんの様子を見てみると、足を布団からはみ出させた状態で寝ていた。
気にはなったものの、再び自室のこたつでうとうとした後、再び野田さんの様子を見に行くと、野田さんは目を見開いたまま、冷たくなっていた。

死体損壊と遺棄

仰天した光洋は、咄嗟に「このままでは自分が疑われてしまう」と狼狽する。夏に野田さんを縛ったことがあったからだ。その件については野田さんが被害届をださなかったため、未だに事件化はされていなかったが、野田さんの死が公になれば過去のことと結び付けられるに決まっている、光洋はそう思い込んだという。

光洋は午後9時53分、実家の母親に電話をかけた。野田さんが亡くなったことを伝えようと思ったが、その電話には母出なかった。
しかたなく、実家の家電に電話をかけたところ、父が出た。光洋は父には話せず、母親に電話をくれるよう伝言を頼んだという。
しかし、折り返しかかってきた電話で、光洋は野田さんの死を母親に伝えられなかった。

途方に暮れた光洋は、すでに体が硬くなり始めていたという野田さんのそばで3時間ほど考え込んだ。その後、野田さんを抱え、母屋と離れの間にある庭先へと出た。
その際、誤って野田さんを頭から落としてしまったという。その日は野田さんをそのままにするしかなかった光洋は、パニック状態のまま一夜を明かした。

翌日の12月3日。
夕方頃になって光洋は、知り合いの自動車修理工場へ行って1台の軽トラックを1日の予定で借りた。同時に、「草刈り後の草を積むから」といって、飛散防止のビニールカバーも借り受けた。
その後、市内の大型ホームセンター「コメリ西条店」で混合油と灯油18リットルを購入。
軽トラックの返却期限を1日延長した光洋は、軽トラックに布団でくるんだ野田さんの遺体を乗せると、寒風山を目指した。
そして、橋の下の河原で野田さんの遺体に灯油や混合油をかけて焼いたのだった。

光洋はその場所に野田さんの遺体を埋めて立ち去ったが、その後何度も現場を訪れたという。
そのうち、どうやらここに何らかの調査が入ると聞いたことで、慌てた光洋は野田さんの遺体を掘り起こし、別の場所へ移動させようとしたところを逮捕されたのだった。

弁護人は、こう強調した。
「被告と野田さんはお互いをパートナーとして支えあっていました。その野田さんが突然死亡し、なぜ亡くなったのかわからず、自己保身の気持ちと後ろめたさ(過去の逮捕監禁事件)もあり、死体を損壊遺棄してしまったのです。
被告は野田さんが死亡した後、泣いていました。そんな被告が、野田さんを死に追いやることなどあるでしょうか?被告は野田さんを死亡させていません。よって、傷害致死は成立せず、また死体損壊遺棄についても減刑を求めます。」

光洋自身も、過去に通院歴があり、発達障害(ADHD)と診断されていたという。

たしかに、この傷害致死については密室の出来事であるために目撃者がおらず、また凶器などによる致命傷もない。
光洋がなんらかの理由で野田さんを死に至らしめたという合理的疑いの余地があるかどうか、裁判の争点はまさにそこだった。

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