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おもいあがり~愛媛・高知同居男性傷害致死死体遺棄事件⑤

情状証人

公判5日目。
この日、弁護側が用意した情状証人が出廷する予定になっていた。
基本的には両親ら家族が出廷することが多いが、たとえば家族がいない被告の場合は、職場関係や過去の被告を知る人物などに要請が行くというが、基本的に被告に有利になる証言をしてもらわなければ意味がないため、その人選は結構大事だ。

過去に取り上げた北海道の2児殺害事件では、家族の証言だけでは弱いと思った弁護人が情状証人を探し回ったが、全員に拒否されるという結果になっており、犯行の内容や被告人のそれまでの人とのかかわりが大きくそれを左右するのは言うまでもない。

今回、光洋にはおそらく両親が出廷すると私は思っていた。
当日、いつものように午前9時ころ高知地方裁判所のロビーにいると、弁護人に付き添われた初老の夫婦が控室へ入っていった。
どうみても光洋の両親だったが、あまりじろじろ見るのは憚られたのでチラッとしか窺えなかったが、私はこの時、なんとも言えない違和感を抱いていた。

午前10時、開廷。
光洋が手錠に腰縄姿で入廷したとき、光洋のすぐそばに座っていた両親の様子が気になった。親であれば絶対に見たくない姿だろう。
父親は毅然と前を向いていたが、母親は光洋の姿をあえて見ないようにしているのか、カバンを探ったりして下を向き、落ち着きがなかったように見えた。
光洋も、両親がいる傍聴席に目をやることもなく、いつも通り席に着いた。

「それでは、今日は情状証人が来ているということでね、ではお願いします。」

裁判長のいつものおっとりとした言葉から始まったこの日の情状証人の証言は、この裁判というか、光洋のこれまで、そして光洋がしっかりと罪、現実と向き合っているかどうかがはっきりとわかる非常に重要なものとなった。

父親

最初に証言台に立ったのは、父親だった。
光洋とは関係が悪かったというわけではないものの、事件の前はあまり会話をすることはなかったという。
特に大きなケンカをしたというわけではなかったが、夕食時にだけ顔を合わせ、最低限の会話をするといった感じだったようだ。

事件は、勤務先にかかってきた妻からの電話で知ったという。
「パニック。頭が白くなった。」
自宅に住めなくなり、引っ越しを余儀なくされたというその父親の背中は、事件後6キロやせたということを示すかのように、背広の肩が合っていなかった。

光洋が逮捕監禁事件で警察に事情を聞かれた後は、家族で話し合いも持ち、しっかり反省するようにと促し、光洋を通院させるなど協力してきたという。
憔悴しきった父親の背中は痛々しく、野田さんを死亡させた今回の事件のことで、長年暮らした家を追われるように出、年老いて茨の道を息子とともに歩く決意をしているかのように見えた。

しかし、弁護人に今回の事件はなぜ起こったと思うかと聞かれた際、父親は
「他人のことに首を突っ込んだのが原因」
と話した。さらに、判決後どうやって向き合っていくか、という質問には、
「更生施設や医療機関などにお願いするなど、他人の協力を仰ぎたい」
と話した。また、「家に帰らせる」という発言もあった。
……刑務所、は?
弁護人が一応、という感じではあったが、「(判決出た後すぐに)家に帰れると思ってますか?」と確認すると、ハッとした感じで
「それはない、矯正施設へ……とにかく、ずっと監督していく」
と言ったが、刑務所という言葉は父親の口から出なかった。

野田さんに対してはお詫びのしようもないが、どうか許してほしい、成仏してもらいたいと、このあたりはもう思いつく言葉を並べるので必死という感じだった。

続いて、検察側の質問に移った。
この時質問に立ったのは、いつものイケイケ主任検察官ではなく、見た目も口調も穏やかな若い男性検察官だった。
しかし彼は静かに、そして明らかに怒っていた。

検察官:「あなたは検察の取り調べに対して、親として協力していくと言ってましたよね。何に対して協力しました?」
父親:「実況見分の立ち合いなど……」
検察官:「平成29年12月23日以降は?」
父親:「電話などで極力……弁護士さんと相談しながら……」
検察官:「録取以降、検察の取り調べに応じてないのはなんでですか?」
父親「外出していたり行き違いはあったと思うが、弁護士の指示で……」

父親は、検察官に対し事件解明に向けて協力してきた、と話していたが、実際には事件直後を除いてほぼほぼ検察官の取り調べに応じていなかった。
さらに、検察官の怒りは続く。

検察官:「逮捕監禁事件の後、引っ越しましたよね。(警察、検察に)連絡しました?」
父親:「……してません」
検察官:「え、なんで?それでどう協力したというんですか?」
父親:「弁護士と相談して……、でも協力してました!し尽くしました!」

父親は若干感情的な様相を呈していたが、とりあえず弁護士のせいにしまくっている印象だった。
いつもと違って完全にむくれた感じの検察官はさらに続ける。

検察官:「あなた方はこの裁判、傍聴してませんよね。今日初めて来たんですよね、それはどうしてですか?」
父親:「遠いので。あと妻の具合が良くない」
検察官:「事件が起こった原因について、他人のことに首を突っ込んだという話をしていたが、それは証拠を見ていってるんですか?」
父親:「証拠は見てません。本人の性格とか、弁護士から聞いたことで(判断した)」
検察官:「直接証拠も見なくてわかるんですか?」
父親:「報道されたことや、弁護士から聞いたりして……」
検察官:「その程度で一生監督していくとか言うんですか?出来るんですか?!」
父親:「……道義的責任で……(もはや言葉にならない)」

父親は確かに責任を感じていたし、親としてやれる精一杯のことを今後していくつもりだと話した。
しかし、どこかそれは、その場しのぎというか、今この時だけなんとかやり過ごせたら、という思いが透けて見えるようでもあった。
検察官から聞かれたことにも、考えずにしゃべっている印象を受けた。言葉に詰まったり、そういうことはなく、とにかく「私たちはやるだけのことはやった」ということをひたすら強調しているように思えた。
野田さんに対する思いを聞かれても、まるで光洋が巻き込まれたかのような言い分だったし、それはどこか周囲の人や社会に対する恨み言にも聞こえた。

質問者は主任検察官へと移る。

主任検察官:「弁護士からはなんて聞いてるんですか?」
父親:「傷害致死、逮捕監禁致傷、死体損壊、遺棄……」
主任検察官:「でも一部否認してますよね、それについてどう思います?傍聴もしてなくてそれで監督って出来るんですかね?」
父親はこの問いに対しても、「弁護士から聞いて、本人から聞いて、(親の)責務としてやらないかんと……」と繰り返すのみだった。

続いて、光洋が野田さん宅で生活していたころの質問へと移った。
主任検察官:「生活はどうやってると思ってたんですか?被告は当時仕事をしてなかったのですが」
父親:「どこで寝泊まりしているかは知らなかった。金は本人の金だと……。母親が(光洋の)金を管理していたので。」
主任検察官:「伊予銀行の口座のことですか?そこにはお金は入ってません。どこにあると思ってたんですか?」
父親:「……どこかの口座にあると……」

ありがちな話だが、面倒なことは妻に任せきりだったのだろう。ちょっと考えれば、確認すればすぐに真実が分かることだ。もしも夫婦間で光洋の生活のことを話し合ったことが一度でもあれば、「どうやって生活してるのだ」と疑問がわいたわけで、光洋に問い質すこともできたはずだ。
しかし、父親は聞かなかった、確信を持って言うが、「聞いてはならない」と思っていたはずだ。もし、それを確認してしまったら、途端に自分もこの厄介ごとに巻き込まれてしまうからだ。親として。
厳しい見方をすると、あえて深く知ろうとしないことで、この父親は自己保身を図っていたのだ。

主任検察官は、さらに野田さんの金を使い込んでいたことを父親に問い質す。
主任検察官:「野田さんのお金をつかっていたこと、土地を売ろうとしたり、遺言書かせたりしてたこと知ってます?」
父親:「はい、事件後に(知った)。全然気づけず、ショックだった」
主任検察官:「何が足りなかったと思います?」
父親:「幼いころからの教育が……」

ここで主任検察官はかぶせるように続けた。
「知らないこともあるだろうけど、そんな状態(真実を知ろうとしない)で本当にやってけるんですか?」

「……はい。責任があるんで。」

父親の最後の言葉は、もはや聞き取ることも困難だった。

母親


父親の証言が終わり、続いて母親が証言台に立った。
父親よりも弱々しさが見てとれる母親は、背広姿の父親とは違い、「ちょっとそこまで」といった感じの服装だった。
私が抱いた違和感はこれか、とその時思った。夫婦でなにか噛み合っていない。二人して正装して来いとは言わないけれど、父親の格好とはそぐわない格好に思えたからだ。

母親はか細い声で絞り出すように、弁護人の質問に答えていく。
光洋とは親子の会話をほぼ毎日していた、と話す一方で、その中身はというと母親が一方的にその時思いついたことや注意することなどを告げていた、そういう「会話」だったという。
野田さんにかかわり始めた光洋から、野田さんの不遇な状態を知らされて野田さんのことを知った母親は、
「それはあなたがすべきことではない」
と諭したという。光洋は夕食で余ったご飯をおにぎりにして、野田さんに食べさせていた。そういったことも含め、なぜ光洋がそんなことをするのか、母親も理解できなかった。

ただ、ここでいう「あなたがすべきことではない」という意味は、私の解釈とは少し違っていた。
母親は、野田さんのことを「浮浪者みたいな人だと聞いていて怖い人だと思ったので、関わるなと話した」と言った。
後の質問でも、「あのね、髪の毛がね、腰くらいまで伸ばしてて風呂にも入らんと、物乞いしてるって聞いて。近所にそんな人おらんので、(野田さんを)怖いと思った」とやや興奮気味に答えていた。
この母親は、光洋がしていることは本来専門職の人の分野であるから、出来もしないことにしゃしゃり出るな、それはかえって迷惑だ、ということで「関わるな」と言ったのではなく、野田さんがいわば光洋に悪影響を及ぼすと思っていたのだ。

事件が起こった原因についても、父親同様、「首を突っ込んだから」と話した。

逮捕監禁事件後、人目を避ける生活を余儀なくされたといい、判決後のことについても父親同様、
「罪を償い更生してもらって、社会に役立つ人間に生まれ変わってほしい。母親として、更生施設や病院で治療して社会復帰にむけて支援したい。」
と、これまた刑務所ではなく更生施設、病院という言葉を使った。
野田さんに対しても、父親と同じようなお詫びの言葉を述べた。
そして、傍聴を今日だけにしたことについては、「体調が悪くて行けなかった、夫は6キロもやせて周囲の人も心配している」と、体調の悪さをアピールした。

検察官からの質問は、父親同様、なぜこんな事件が起こったのかの親としての認識を再度問うことから始まった。
母親:「……えーと、本人の、うまく表現できないんですけど、近所の人にいろいろ頼まれたりというのをね、自分にその、物乞いに行くのをあのー、止めたいと思って、その責任感からじゃないかと。原因というのはわからんですけど、徘徊しないように……」
検察官:「もういいです。」
と、ここまで話した母親の答えを検察官は打ち切った。こわー。

はっきり言って、検察官でなくともこの母親の証言はイライラした。原因は何かと聞かれても、原因はよくわからないけれども自分としてはこうじゃないかと思う、と、全く現実を、証拠を見ようとしないのだ。そしてそれに全く気付いていないのだ。
分からないけどこうだと思う、という「それ」はいつも、自分たちの都合の良い解釈に終始していた。

「は?なにがですか?」

ふと、主任検察官が事件と関係ない、光洋の過去について母親に質問し始めた。
主任検察官:「被告人がこういうトラブルを起こしたのは初めてですか?」
母親:「まぁ、いろいろありました……」
主任検察官:「伊藤さん(仮名)とのこと覚えてますか?」
母親:「(ちょっと明るい声で)仲良く、家族ぐるみで仲良くしてました!」
主任検察官:「車の件。車が壊れた件で修理代120万円請求されませんでした?相手は車を勝手に乗り回されて、壊されたと主張してるんですけど。」
母親:「あ……それは……聞いてません」

母親が言った「聞いてない」というのは、120万円の請求のことではなく、家族ぐるみで仲が良かったという相手が「光洋に車を取り上げられたと話している」という点だ。トラブル自体については、この母親がその修理代金120万円を支払っているので知らないわけがなかった。
ここでも母親の「ようわからんのですけど」は炸裂する。

母親:「原因はようわからんのですけど、そういうことはありました」

この母親は、何かトラブルがあっても全くその原因を突き詰めようとしてこなかった。車のトラブルについても、120万円請求されたから支払っただけで、なぜそんなことが起きたのか、相手はどう思っているのか、といったことは全力でスルーしまくっていた。だから、家族ぐるみで仲が良かったはずの相手方が、車を取り上げられたと主張していることを知り得なかったのだ。

検察官は言う。「原因を突き詰めようとしないその性格で、どうやって監督していくというんですか?」

傍聴に来なかったことももちろん問い質した。
母親:「血圧が高くて、寝込んでましたし、遠いですし……」
私が暮らす松山市の松山ICから高知ICまでは1時間半もあれば十分到着する。この両親が暮らす西条市、新居浜市辺りは松山よりも高知に近い(高速道路経由の場合)。
ゆっくり来ても2時間はかからない。いや、そういう問題ではなかろう、我が息子が人を死に追いやり、遺体を焼き棄てた罪に問われているのだ。血反吐を吐いてでも、這いずってでも来るべきではなかったか。
もちろん、「いい年した大人がやったこと、親は関係ない」というならばそれでも良い。ムカつくが筋は通っている。
しかしこの両親は、今後一生監督していくと証言しているのだ。そうであるならば、傍聴に来ないというのはどう考えてもあり得ない。

それを何度も検察に突っ込まれても、両親は目も耳も塞いでいた。とにかく、この時間がどうにか過ぎさえすればいい、頭を下げて、とにかく謝っちゃおう、そんな態度にしか見えなかった。
検察官の質問に、誠心誠意答えている風には全く見えなかった。だからこそ、検察官は苛立ちを隠さなかったのだ。
光洋がどうやって生活しているのかも、何の仕事をしているのかも、母親は「ようわからんのですけど」を連発した。
しかし、光洋が保険金を使い込んでいたことに関してだけは、声を荒らげて「それは私は知りません!!」と答えた。

主任検察官はそれでも母親に訊ねた。
「そんな知らないことばかりで、よくわからないことばかりで、監督していくことなどできますか?」
これに対する母親の答えは思いもよらない答えだった。

母親:「それは今から本人の考えで、生まれ変わると信じてます!」

さすがの検察も一瞬意味が解らなかったのか、間が開いた。聞いている私も、意味が解らなかった。
主任検察官:「……お母さん自身を変える気はありますか?」
母親:「は?何がですか?」

検察官としては、光洋が自分を見つめ、反省するのは当たり前のことであり、これまで現実と向き合わずに来た両親も、この先監督していくというのであればこのままではいけないのでは?と再三聞いてきたつもりだった。
主任検察官:「お母さんとしては、変えていくところや反省すべき点はない、と?」
母親:「……そうですね、ないですね。」

ちーん。ちーん。もう頭の中でちーんしかなかった。これではダメだ、おそらく弁護人もちーんだったと思う。
裁判官も裁判員も、みんな同じ顔をしていた。母親ひとりだけが、なんでそんな事を言われるのか全く理解できてなかった。その証拠に、「は?何がですか?」を2回言った。

主任検察官はため息交じりに、そして穏やかな声で最後にこう言った。

「お母さんのその考えが正しいかどうかを見極めるためにも、しっかり証拠を見なければならなかったと思いませんか?」

さすがに母親も「は?何がですか?」とはもう言わなかった。
この日一番小さな声で、「……思います」と呟いた。

論告求刑

検察は、3つの争点と情状面について意見を述べた。
一つ目は、傷害致死の成立にかかわる、野田さんが病気や事故によるケガで死亡したのではないという点。
死因は外傷性ショック死で、多発ろっ骨骨折や硬膜下血腫、肩にあった帯状の圧痕などの複数の要因が重なり、ミオグロビン血症からのショック死である。
生前外傷は野田さんの自傷とは考えられず、また、警察官による直前の対応、防犯カメラの様子からも、野田さんが死に至るような怪我を負っていなかったこと、たとえどこかで転んでいたとしても、1度の事故で負うような怪我ではないことをここでもう一度確認した。

古宮医師による所見では、他者によってもたらされた殴打痕、圧痕なども見られ、セカンドオピニオンでも同様の回答を得ていることなどを強調した。

私は裁判の中で、この野田さんの肩に残された帯状の圧痕がどうもよくわからなかった。
普通、人を縛るとき、手首を前か後ろで縛る、というのが一般的に思えたし、リュックを背負った際にちょうど肩紐がくるような位置を縛ってどうなるんだろう?と思っていた。
しかし、当初から検察も弁護側も、この圧痕についてはかなりこだわりを見せていたのだ。
そこがどうにもよくわからなかった。なぜこれにこだわるのかと。

その答えは、8月の逮捕監禁事件にあった。
助けた宮司が撮った野田さんの写真がモニターに映し出されたとき、私は息をのんだ。
縛られた状態の野田さんのその両肩に、まさに遺体に残されていたと同じ場所、状態でヒモがかけられていたのだ。
この8月の逮捕監禁は、光洋が縛ったことが認定されている。そもそも光洋以外にいなかった。
こんな縛り方は、誰もが思いつくような縛り方ではない。それと同じ場所に残された圧痕、これこそ、光洋が野田さんをその日長時間にわたって縛り上げていた証拠ではないのか。

弁護側が執拗に縛ったことを認めないのも、頷ける。

二つ目は、人物特定の根拠である。
野田さんにけがをさせて死に至らしめたのは誰か、という点だ。
野田さんが死亡していたのは自宅であること、これは光洋の供述でわかったことであるから、その点に争いはなかった。
弁護側が主張するような、家出中に大きなケガをしたのでは、という点も、先ほど述べた通り警察官と防犯カメラの映像から少なくとも自転車を普通にこげており、肩と太腿のけがはしていなかったことは明らかである。
野田さんが死亡した後、光洋は野田さんを担ぎ上げ、一旦庭先へ出た。その際、誤って野田さんを頭から落としてしまったという。この点は弁護側も認めている。
しかし、実はこの時、光洋は野田さんをドラム缶の中に落とし込んでいたのだ。
ドラム缶に遺体を入れる目的は、そのままコンクリ流し込むか、焼くかのどちらかである、異論は認めない。
この時点で光洋の心に、野田さんの遺体を損壊する意図があったのではないか。
さらに、検察は野田さんが死亡した後の光洋の行動に言及した。

光洋は、母親に電話をした際、「野田さんが死亡したことを伝えるつもりだったが、伝えられなかった」としか話していなかったが、実は、「軽トラを貸してほしい」と頼んでいたのだ。
当時父親とケンカしていたため、事情など露ほども知らない母親は「お父さんとケンカしてるのだから貸せない」と言って断っている。
このことを問われた光洋は、「洗濯機を移動させる予定があったから(貸してほしいと頼んだ)」と言ったが、なんで野田さんが死んで横たわっているパニック状態で、洗濯機を動かすことなどを考えるのか。この言い訳には呆れてしまった。

また、ホームセンターで草刈機のレンタルをしていたことは先に述べたとおりだが、これにも実は光洋の「企み」が窺われた。
光洋は野田さんが死亡した後、結構な人数に対して「野田さんはよそへ仕事に行っている」という話をしている。
その際に、「草刈りをやらせてみたらできた、なので草刈りの仕事なら野田さんにも勤まるから」と言っていたのだ。
まさに、ホームセンターでの草刈り機レンタルは、そのでっち上げた話に信憑性を持たせるためにしたことではないか。
しかしこれについても、「もともと草刈りをする予定があった」と光洋は答えたが、だからなんで野田さんが死亡した直後に「あ、草刈りしなくちゃ」などと思うのか。どう考えても笑いが出るほどありえないのだが、光洋は大まじめに言い切ったのだ。
検察は、このような隠ぺい工作は、野田さんの外傷を隠したいがためであり、それはまさに光洋本人がつけた傷であるという負い目があったからで、知人らに野田さんが生きているかのように装ったのも疚しさがあるからしたことだと断言した。

ふたりの証人の話も、具体的であり他の目撃証言とも一致するなど整合性があって信用できるとした。

そして、光洋と弁護人が主張するそれぞれに対する「いいわけ」を否定できるとし、光洋が犯人ではないという疑いをはさむ余地はない、とした。

三つめは、光洋の責任能力である。
実は光洋は通院歴があった。複数の心療内科に通った履歴があり、光洋自身の口からも過去に被害妄想に陥るなどの症状があったことが述べられていた。
しかし、通院と言っても長く通っておらず、仮に発達障害や被害妄想などがあったとしても込み入った隠ぺい工作や嘘をついている点から自分自身が「やましいことをしている」という自覚があったとした。
その上で、病気がそうさせたのではなく、光洋の元来の性格、人格によるものだとした。

情状面についても、まさに死人に口なしの状態で言いたい放題の光洋を厳しく断罪し、落ち度のない野田さんの財産を搾取し、挙句死に至らしめ、さらには遺体を損壊するなど、死者に対する畏敬の念すら持ち合わせていないとした。
野田さんは母が遺した財産を取り上げられ、両親が遺してくれた生まれ育った家で命を奪われた。
当時9歳の妹を亡くし、その10年後には父を、そして母も亡くした野田さんには、野田さんの死を悼み、遺族としての悲しみを訴える人の存在がなかった。それをいいことに、光洋は言いたい放題、自分の都合のいいことばかりを訴えていた。
焼き棄てられた野田さんの体の一部は、まだ発見されていない部分もある。
情状証人として出廷した光洋の両親の証言が全く心に響かなかったのは言うまでもなかったのだろう、言及すらされなかった。

求刑懲役16年

検察は、前例の提示として単独犯、被害者に落ち度がなく、示談に至っていないケースをいくつか挙げた。
5年以下というものについては、家族間の突発的な事案であるため参考にならないとし、10年以上に相当するとした。
暴力で支配し、かつ、金銭を搾取するなどといった今回のケースは、傷害致死だけでもかなり重い部類に入るとし、そこへ死体損壊、遺棄が加わるということ、反省の色もなく、それぞれを個別に考えても一つ一つが悪質であるとして、懲役16年を求刑した。

対する弁護側は、8月の逮捕監禁事件で野田さんを縛っていた事実が独り歩きしていると、検察を非難した。
警察からもたらされた、過去に縛られていたという情報を鵜呑みにした解剖医が、その思い込みで検案書を書いたというのだ。
さらに、ふたりは社会からあぶれた者同士で、お互いを思いあっていたと強調。
そんな光洋が、野田さんを死なせるわけがない、そもそも致命傷が何かすらもわからず、立証不十分である。そこで傷害致死は成立せず、また、認めている死体損壊遺棄についても責任能力が著しく減退していたことは明白であり、逮捕から2年も拘置所暮らしをしていることで刑務所に入っていたも同様であるから、死体損壊遺棄については執行猶予を求めます!キリッ!みたいなことを言っていた。
要するに、弁護側としては傷害致死は認めないから無罪、死体損壊遺棄も執行猶予が妥当で、実質刑に服す必要性を感じない、というわけだ。

その理由について、いくつか述べてはいたが、その中で許せない発言があった。
野田さん自身が、必死で世話を焼こうとする光洋の思いを軽んじ、その思いを無碍にしたこと、そしてそれは、献身的に介護を行う人間が「思わず」虐待に走ってしまうケースに似ている、と言ったのだ。
率直に腹が立った。それはただの弱い者に対する驕りではないのか。世話をしてやっているのに、こんなに一生懸命やっているのに、思い通りにならない、感謝してくれない、だから叩く、やりすぎて死亡させたとして、それは酌量に値する理由なのか。これがまかり通るのであれば、介護に限らず育児にも当てはまるではないか。そんなことはあってはならない。

弁護人までもが、言いたい放題という印象はぬぐえなかった。遺族が傍聴していても、これが言えたのだろうか。
野田さんの命がこれほどまでに軽いとは、私は言い知れぬ恐怖すら感じていた。

保険金を折半したのも、一般的には理解しがたいかもしれないが、それほどまでにふたりは結びついていて、特別な関係であったのだと述べた。
さらに、証人に立った久保田さんがそもそも保険金を狙っていて、それから守るためにした行動なのだと言い放った。

そして最後に、弁護人はこう締めくくった。

「過去には縛ったが、今回は縛ってないのです!」

判決

令和2年2月7日。高知地裁は光洋に対し、求刑通りの懲役16年の判決を下した。
検察、証人による証言を全面的に認めた内容となった。
ひも状のもので野田さんを拘束し、一方的に激しい暴力を加えた挙句死に至らしめた一連の行為は許されざることであり、野田さんの無念は計り知れない、と裁判所は野田さんの心に言及してくれた。
さらには野田さんを思って両親が遺してくれた財産を奪うなど、身勝手極まると厳しく光洋を非難した。

8月に逮捕監禁行為が発覚し、両親らの知るところにもなって反省する機会を得たにもかかわらず、同じ行為によって野田さんを死亡させたことに加え、野田さんが生きていた証までも抹殺するような行動をとっており、その罪は重大であるとした。

前科がない、両親が更生に尽力すると証言したことを鑑みても、光洋にとって優位に判断は出来ない、と締めくくった。

弁護側は、「控訴については被告人と相談して慎重に判断します」と言葉少なだったが、わたしはなんとなく、控訴するだろうなと感じていた。

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