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【エッセイ】僕らこうしてオトナになった

その日の午後、絵葉書が届いた。
見覚えのある懐かしい綺麗な文字。

「お元気ですか?」



僕は子供の頃、ごくごく普通のどこにでもある公立の小学校に通っていた。

お受験を通過して、ある程度均一化された子供達が入学する私学と違い、公立の小学校というのは勉学における知識を身につける場というよりも、むしろ「世の中には色々な人がいる」という事を学ぶ場なのではないだろうか。

中には成長するにつれてヤンキーになった奴もいるし、宗教にハマった奴もいる。
そしていまだに集まって仲良くしてる奴もいる。

とにかくその様々な人種との出会い、一つ一つに意味があって今の僕を作り上げてきたのだろう。



村田くんという同級生がいた。

僕らは特別仲良くした記憶も、仲が悪かった記憶もない。でも彼との出会いも今の僕を形成する要素の一つなんだろう、きっと。

村田くんはいつも1人だった。

彼はスポーツが苦手だった。
とにかく走るのが遅かった。

小学校という世代独特の「走るのが早い奴は人気者」という理論からいくと、彼にはまず人気者になる要素が無いのだ。

彼は自己主張が苦手だった。

他人との会話が苦手なのだ。
案の定、僕の記憶の引き出しをどれだけ探しても心に響く会話をした覚えがない。

彼は勉強も苦手だった。
とにかく「どもる」のだ。
本読みなんてさせたら授業が終わらない。

「おお、おおき、おおきな・・・おお・・きなか、おおきなかぶ!」

みんなそれを見てクスクスと笑い、目を見合わせる。

村田くんはいつも1人だった。
いつも1人で絵を描いていた。


そして、彼は知的障害者だった。


幸いにも僕らのクラスで表立った「いじめ」は無かった。でもそれは僕らが勝手に思う事で、知らず知らず彼を傷つけてしまった事も多々あっただろう。


一方で学校には嫌な奴もいる。
そういう奴とも上手くやっていく、それもまた大人になる為の通過点。
人間形成の一つなのだろう。

5年時の担任だった中野先生が僕は大嫌いだった。
特別怖い先生だったって事もないんだけど、とにかく怒らせたらネチネチとうるさい嫌味な奴。

村田くんへの態度も許せなかった。

「じゃあ次の行を・・・村田、読んで」

みんな知っている。
村田くんは本読みが苦手なんだ。

「えとえとえと、たたたたいらのきよきよ、たいらのきよも・・りによる・・・」

案の定、クスクスと笑い声。
必死で文字を追う村田くんは顔を赤くする。

彼はそれをネチネチと楽しむかのように毎回村田くんを当てるのだ。

先生「村田が終わらないと休憩時間減るぞ!」
皆「えーーーっ!!」
村田くん「ごごごごめごめんなさい」

ニヤニヤ、ホント嫌なやつ。

体育では二重飛びが出来ず足に引っかかってよろける村田くんに何度でも皆の前で飛ばせる。
ヨロヨロする彼を笑い者にでもしたいのだろうか。

先生「村田が終わらないと休憩時間減るぞ!」
皆「えーーーっ!!」
村田くん「ごごごごめごめんなさい」

ニヤニヤ、ホント嫌なやつ。

こんな事が許されるのか?
村田くんにはハンディキャップがあるんだ。
大人だからって何をやっても良いのか?



そんな中野先生も村田くんの絵だけはさすがに認めざるを得ない。

「村田は絵だけは得意なんだよなぁ~、絵だけは。他のことも絵ぐらい上手く出来たら良いのに」

ってもうちょっと良い褒め方があるだろ!

中野先生は何かあるとこんなセリフを言う。

「お前たちも大人になったら分かる」

僕らからすれば
「はいはい、勝手にやってください」
って感じ。

大人になったからって、
いったい何が分かるっていうのだろう?


そもそも「ハンディキャップのある人には優しくしましょう」なんて事を言うのはいつだって大人たちだ。

それなのに・・・

僕は絶対、こんな大人にならないようにしよう



5年も終わりに差し掛かった頃「中野先生が他の学校に行く事になった」という知らせがあった。

事情はよく知らない。
今になって思えば転勤なんだろう。
きっと大人の事情ってやつだ。
ただ僕らは嫌な先生がいなくなるって事で大いに喜んだ。

「村田に嫌なことばっかりしてるからバチが当たったんじゃない?」
なんて噂も流れていた。

大人も色々あって大変ですね。
でも僕ら子供には関係のない話。

大人たちは僕らの知らないところで
「終業式でクラスの代表が中野先生に手紙を読む」
なんて事を勝手に決めていた。
全く迷惑な話だ。

誰かが言った。
「村田が手紙読めば良いやん!
 中野先生に仕返ししてやろうぜ」

村田「いいいいや、ぼぼぼくうまうまくよよよ読めないし・・・」

しかし多数決で手紙を読むという大役は村田くんに決まった。子供の世界でも民主主義ってやつは恐ろしい。
本当は誰も中野先生がいなくなる事に、大人の事情なんて事に興味なんてないんだ。


そして終業式の日、僕らは講堂に集められた。

僕ら子供はもう春休み気分で、みんな村田くんが手紙を読むなんて事も忘れている。

校長先生から
「春休みは保護者がいない時、繁華街に出てはいけない」
などという大人のありがたいお話を聞かされた後、中野先生の異動が伝えられ村田くんの手紙の番になった。

そー言えば、
村田が先生に仕返しの手紙を読むんだっけ?

僕らはようやく思い出した。
そしてその内容が楽しみでざわついていた。

あいつ一体どんな事を話すんだろう。

マイクの前に立った村田くんは緊張で顔が真っ赤だった。
心なしか中野先生まで緊張してるようだ。
いつもの嫌味な顔が強張っている。
大人のくせに情けないヤツだ。


そんな中、村田くんはいつも以上の「どもり口調」で静かに手紙を読み始めた。

な・・なかなななななかのせせせんせい


僕らは村田くんの不器用な話し方に慣れている。
でもやっぱり講堂はざわついた。
クスクス笑ってるヤツもいる。

これが子供たちのリアル

一体どれぐらいの人がちゃんと聞き取れたのだろう。

でも村田くんが手紙を読んでいる間、僕らのクラスで笑うヤツは1人もいなかった。

みんな村田くんの手紙に吸い込まれていた。

僕は決して、この日の事を忘れない。

僕らには確かにこう聞こえたのだ。



「中野先生、いつもありがとうございました。

放課後に本読みの練習してくれてありがとうございました。

縄跳びも逆上がりも出来なかったけど、いつも一緒に練習してくれてありがとうございました。

絵を教えてくれてありがとうございました。

みんなと同じように怒ってくれてありがとうございました。

笑われても気にしません。

僕はみんなと仲良くなれました。」



中野先生は人前で肩を震わせて泣いていた。

時折、村田くんが詰まるたびに「村田っ!」と声をかけ顔を真っ赤にして肩を震わせていた。
いつまでも、いつまでも。


大人になるってどういう事なんだろう?
「お前たちも大人になったら分かる」
ねぇ、先生。
僕らにもいつか分かる時が来るのかな?



その日の午後、絵葉書が届いた。
見覚えのある懐かしい綺麗な文字。

「お元気ですか?」

差出人は中野先生だった。

小学5年の時、皆さんの担任をしていた中野です。
当時クラスメイトだった村田くんが画家として活躍されていることは皆さんご存知であると思います。
このたび彼が個展を開くことになりました。
皆で顔を出して彼を励ましてあげましょう。
会場で大人になった皆さんに会えるのを心から楽しみにしております。


先生はまだどこかで先生をしているのだろうか。
そして村田くんの感性に触れて、僕は失った何かを取り戻す事が出来るだろうか。


きっと今この時も時間は流れている。

もう夏の暑さが嘘みたいに涼しくなった。

今、窓の外を駆け抜けた風は、きっとこの後どこかの街を通り抜けて行くんだろう。
そして今どこかで吹いた冷たい風がやがてこの街に冬を連れてくるんだ。

こんなことが繰り返されているうちに、僕らは知識と引き換えに何かを失いながら、少しずつ、少しずつ大人になっていった。

流れゆく時の中で、
この街とこの僕とどっちが変わったんだろう?

「お前たちも大人になれば分かる」

先生、僕はまだ分からない事だらけだ。
何度も挫折を味わって、何度も涙を流した。
自分の人生がこれで良いのかさえ分かっちゃいない。

きっと正解なんて無いんだろ?


でもね、あの頃あなたが村田くんになぜあんな態度をとったのか、そしてあの日のあなたの涙の意味、それぐらいは分かるようになりました。


僕はお気に入りのボールペンを手に取って、昔から大して上達していない字で返事を書き始めたんだ。

僕の住むこの街の写真を添えて。

「お元気ですか?・・・」

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