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発達障害は診断を受けた方がいいのか

先程、コンビニに行ったら、幼馴染を見かけました。
10代の頃は、親友といっていい存在でしたが、社会人になって
疎遠になり、それから○十年会ってません。
しかし、すぐに彼と分かりました。
「声をかけようか」と思った後、すぐに「やめておこう」という
ネガティブな思考になり、声をかけずじまいでした。
伝え聞くところでは彼は教師でも、かなり上の立場にいるそうです。
一方の僕は、稼げない音楽家で、かつ「障害者」という身。
「よう!久しぶり!」など、堂々と声をかける訳にも
いきませんでした。

ADHD、自閉症スペクトラムの診断を受けて3年半になります。
3年半という年月は人を変えるに充分です。

人には「自分とは何か」というアイデンティティがあります。
僕は人間である。僕は男である。僕はギター弾きである。
僕は○○の夫である。僕は........等々。
3年半という年月は、「僕は発達障害である」「僕は障害者である」と
自覚するに充分な長さでした。

診断を受ける前はどうだったでしょうか?
自分が発達障害(イコール障害者)など思ってもいなかったし、
健常者ではあるが、性格に起因するものか、神経質で怒りっぽく、
落ち込む時は激しく、人間関係が苦手で、何事も長続きしない男、
くらいの意識でした。
そして、そのことで、すごく生き辛さを感じてはいましたが、
内科から貰う漢方の抑肝散や柴胡加竜骨牡蛎湯(いずれも漢方では
メンタルに効くとされている)でしのいでました。
(というか、○十年“生きて”ゆくことは出来ていた)

その頃の僕が今日の同級生と会ったのなら、「やぁ、久しぶり」と
堂々と彼の肩を叩いたでしょう。

つまり僕は、発達障害という診断を受けたことで、世界を狭くして
しまってる面があるのです。
そう考えると、発達障害という診断を受けたことが100%よかったのか
甚だ疑問に思えます。
まぁ結論をいえば、診断を受けたことで、薬を処方され
それで「生きやすく」なっているのだから、結果オーライではありますが、
「全てよし」ではないということです。

発達障害の診断は、コロナの診断と同じようなものだと思います。
健常者が100人検査を受ければ、3割〜5割の人が程度の差はあれ
発達障害だと診断されるような気がするのです。
であれば、「それ」を知らないまま一生を終えるのも有りかな、と。

繰り返しますが、発達障害にも程度があるので、
生き辛さに限界を感じたり、周囲の人々に影響を与えているのなら
診断、そして治療に繋げることは必要だと思います。
しかし、コロナと同じで、多くの人は、そうであっても
気づかないままでいる可能性だってあるのです。

そんなことをつらつら思う休日の午後でした。

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