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第四章 積年の孤独 4

第四章 積年の孤独

「どういうことでしょうか」
 ダン課長との通信を終了すると、マリアが聞いてきた。
「ありえないってことだ」
 ヤマトは表情を硬くした。
「マリア、トランスヒューマンのメンテナンスの頻度はどれくらいだ?」
「半年に一回程度です」
「その時に、部品の交換なんかはしないのか?」
「します。消耗品ですから」
 マリアが右手の手のひらを滑らかに裏返した。
「だろう。機械は人体と違って、再生しない。だから、劣化した部品を交換する必要がある。工場の機械でも同じだ。アンドロイドに限ったことじゃない」
 マリアがはっと顔を上げた。
「リンダは実在しなかったということですか?」
「いや、それはないだろう。ジョー博士名義の書類が残っている。あの書類はねつ造されたものじゃない。もし、そうなら、とっくに科捜研が騒いでいる。ジョー博士がアンドロイドを所有していたのは本当だろう」
「では、リンダは一度も部品の交換もせずに四年も動いていたということになります」
 マリアが微妙に表情を曇らせる。
「それが、ありえないことなんだ」
 これまでの被害者としてのジョー博士の像がぐにゃりと歪んだ。ジョー博士の身辺を今一度、違う角度から検証してみる必要がありそうだ。
 ヤマトはスマートカーのオート操縦をオフにした。
「ベースには戻らない。ジョー博士を調べる。死体発見現場と自宅に行こう」
 ヤマトは、スマートカーの行き先を「アンダータウン××‐××」とインプットした。

 夜のアンダータウンは、深閑としている。まだ、そこまで遅い時間ではないにも関わらず、人通りもまばらだ。ヤマトたちのいる警視庁タワーのある地区のきらびやかさはない。
 未開発エリアであることが、独特のノスタルジックな雰囲気を助長しているようだ。
 ヤマトとマリアは、アンダータウンの外のパーキングにスマートカーを置くと、徒歩で死体発見現場に向かった。
 空を見上げるが、星の光も少なく、繊月以外は見えない。
 商業施設を抜けると珍しいものが目に入る。映画館だ。フィルムで映像を流す映画館は廃れつつある施設だ。上映時間を終えているのか、入館しようとしている者はいなかった。
 今は動映館が主流だ。映画館と動映館では、臨場感に各段の差がある。ジョー博士もこの映画館でノスタルジックに浸っていたのだろうか。
 細長い道を進む。通りには、武家屋敷跡などもあり、週末には朝早くから賑わいを見せる。
 この界隈はノスタルジックな雰囲気を醸し出す。前時代を象徴するアナログなものが集まる。
「この国にもまだこういう土地があるんですね」
 暗闇の中には、この国の原風景ともいえる光景が拡がっている。
「何十年も前に、ここでオリンピックも開催されたんだぞ」
 ヤマトが設定したナビゲーションが目標に近づいていることを告げる。
 死体発見現場の空き地には、立ち入り禁止の電子プレートが掛けられていた。電子プレートは進入禁止のスマートロックの役割も果たしている。
 ヤマトが電子プレートにウェラブル端末をかざすと、スマートロックが解除される電子音が響いた。
 現場にはすでに何も残されていない。
 ジョー博士が事件の記録を呼び出すと、死体が横たわっていた場所がわずかに発光した。
「すぐに発見されそうな場所ですね」
 辺りを見回していたマリアが言った。
ヤマトは改めて、なぜ死体の遺棄がこの場所だったのかと自問自答した。
 ヤマトたちは発光するシルエットに向かって手を合わせると、空き地を出て、ジョー博士の自宅に向かった。
 アンダータウンでは、無秩序に家屋が並んでいる。しばらく歩くと、ジョー博士の自宅が見えてきた。意外にも、ジョー博士の自宅は、タワーマンションでも、スマートハウスでもなく、古い木造住宅だった。
「人がいます」
  初めにマリアが気づいた。
  暗がりに目を凝らすと、ジョー博士の自宅前に老女が佇んでいる。手に持った何かを揺らすような動作が気になった。
「こんばんは」
  近くまで行くと、ヤマトは老女を驚かせないように、明るい声色で話しかけた。
 老女はびくりと身体を震わせた後、こちらを振り返った。
「警察の方?」
 見かけよりもはっきりとした口調で、老女が言った。
 ヤマトとマリアは、慌てて、警察手帳を老女に見せた。
 まじまじと手帳を覗き込んでいる老女の手元を見て、納得がいった。老女が手にしているのはジョウロだった。
 玄関先の植木に水をやっていたようだ。
 ヤマトの視線に気が付いた老女が、そうそうと言って、ジョウロを撫でた。
「このところ、乾燥していたから、植木がかわいそうでね。ご主人があんなことになってしまって……」
 ジョー博士のことを言っているのだろう。老女はジョー博士の隣人だと言った。
 アンダータウンには、隣の家の植木まで気にするような細やかな人情が残っているようだ。
 ヤマトは、自分の隣人の顔すら、はっきりと思い出せないことを苦々しく思った。
「ご主人というのは?」
 マリアが当たり前のことを訊ねていた。
「ああ。ごめんなさい。ジョーさんのこと。私は、ジョーさんのお母さんとは付き合いが深かったものだから、ジョーさんたちとも少しは、お付き合いがあったんですよ」
 ようやく、ヤマトも老女の言葉に違和感を抱いた。
「こちらにお住まいだったのは、黒岩ジョー博士、お一人ではないのですか?」
「奥さんもいらっしゃいましたよ。綺麗な女の人でね。とっても気のいいお嬢さん。私が煮物なんか届けると、おいしそうですねぇって、にっこり受け取ってくれて。タッパーを返すときは、おすそ分けですって、和菓子を持ってきてくれて。そんな、気を使わなくてもいいのにねぇ」
 老女がにこやかに思い出を話し出した。
「ちょっと待ってください。ジョー博士は独身だったはずですが」
 老女は、ヤマトの言葉を全く信じようとしなかった。
「そんなことないわよ。ジョーさんはこの何年かは、病気をされたか何かで身体が不自由でしたから、奥さんが身の回りのことなど、いろいろお世話されてましたわ」
 埒の明かない老女との会話に、マリアが口を挟んだ。
「ジョー博士の奥様というのは、この方ですか?」
 見ると、Kポッドがリンダと同型だと言った家政婦アンドロイドの像だった。
「うーん。ちょっと髪型が違うけど、まあ、こんな感じだったかしらねぇ」
「奥様は、いつもおうちにいらしたんですか?」
「ええ。いましたよ。うちのリビングがあそこ」
 老女が道路に面した部屋をあごで示した。レースのカーテンからオレンジ色の明かりが窺える。
「このへんの家は結構くっついているでしょう。これだけ近いとね、お隣さんの出入りが結構目につくのよね。ほら、ジョーさんは、具合いが悪いから、たまーに外出するときなんかは、奥さんが付き添って歩いていたわよ」
 マリアが目配せしてくる。
「捜査にご協力ありがとうございました。では、我々は自宅の捜査に入りますので」
「お水はもう、よろしいのですか?」
 マリアが老女を気遣った。
「ええ。植木は水のやり過ぎもいけないんですよ。根腐れしてしまうから」
 老女はそう言うと、隣の家に帰っていった。
「お隣の方は、ジョー博士とリンダが夫婦だと思っていたようですね」
「まあ、そう考えるのが自然だろうな。人型アンドロイドか人間かなんて、ちょっと見ただけじゃ、区別がつかないからな。その女性がリンダかどうかは怪しいと思うがな」
ジョー博士の自宅はスマートロックで施錠してあった。先ほどの空き地のように人が自由に出入りできる場所でもないから、立ち入り禁止の電子プレートによる施錠は不要だったのだろう。所定の手続きでスマートロックを解除すると、二人は部屋の中に入った。
 ヤマトは窓から外を眺める。周囲は静寂に包まれている。月明りも少ない。
隣人宅に人がいることがわかっていても、何の音も聞こえることがなかった。静かすぎるほどだ。
「もともと、スマートロックが装備されていたところを見ると、セキュリティはしっかりしているんだろうけど、それにしても、今どき珍しいな」
 脳科学の博士というぐらいだから、スカイタワーマンションなどの最先端の家に住んでいるイメージがあった。実際、教授職の月給を考えれば、そんな暮らしも可能だっただろう。やはり、ジョー博士は動映館よりも映画館派かもしれない。
 部屋は電子ランプが明滅しているが、ほぼ暗闇だった。ゆっくりと歩いていると、少しずつ目が暗闇に慣れてくる。マリアは視力や感覚もハイブリット化しているのか、ヤマトよりもずっとスムーズな身のこなしをしている。
「うなぎの寝床か」
 ジョー博士の住まいは、狭い間口から想像できないほど、奥に行くに連れて、ゆとりのある空間が広がっていた。
「一般的な住居よりも、部屋数は多いようですね。敷地の中央には中庭があるようです。四方をガラス壁で囲われています。廊下から見えますが、扉は見つかりませんでした。どこかに中庭に通じる出入口があると思うのですが……。後でよく探してみます」
「中庭があるのか。さすがは大学教授の家だな」
 ジョー博士の家は、目立った調度品もなく、内装もどちらかといえば質素といえる赴きだった。
 室内からうかがえるジョー博士の暮らしぶりは牧歌的であるとさえ思えた。
「ヤマト警部補、先ほどから考えていたのですが、リンダが家政婦アンドロイドではないと仮定すると、多くの疑問が解決するのではないでしょうか」
「リンダが家政婦アンドロイドではないとは、どういうことだ?」
「リンダは、毎年のアンドロイド点検を優良アンドロイドとしてパスしています。それも、四年間で、一つの部品交換もしていない。ありえません」
 通常のアンドロイドなら、消耗品の類の部品は一年間で交換するのが普通だ。消耗が早ければ、一年を待たずに不具合が出ることも少なくない。
「本物のリンダは購入後、その大半をスリープしていたということか」
「事実がそうなら、辻褄が合います」
 マリアが答えた。
「それなら、ジョー博士が一緒に暮らしていたアンドロイドは何者なんだ」
 そもそも、リンダがアンドロイドなのかどうかも疑わしくなってきた。考えていたマリアが答えた。
「アンドロイドとの近似性があるならば、トランスヒューマンでしょうか」
「そうだな。その可能性も考えられる」
 リンダがアンドロイドでないとすれば、ジョー博士の殺人も可能だろう。アンドロイドが殺人を犯したと考えるよりもよっぽど理屈に合う。
 マリアは、仮説を裏付ける証拠がないか調べたいと言って、部屋の奥に進んでいった。
 ヤマトは、水回りを調べることにした。住んでいる人間の生活感が最も出るのが水回りだ。玄関からほど近い場所にキッチンがあった。
 ヤマトはキッチンに踏み込むと、躊躇することなく、冷蔵庫を開けた。中にはほとんど食糧らしいものは入っていなかった。食べかけや使いかけの食材も見当たらない。コンロや流しも清潔に保たれているようだ。
 家政婦アンドロイドが掃除をしているためなのか、あまり使われていないからなのか、ヤマトには判断がつかなかった。いずれにしても生活感に乏しい印象を受けた。
 ヤマトは、次に洗面所と風呂場をのぞいた。歯ブラシなどの生活用品は一組しかなかった。
 ヤマトは、マリアが唱えた仮説を否定するしかなかった。ヤマト自身も、隣人の老女とのやり取りから、マリアと同じような筋書きが芽生えていただけに、遺憾なことではあった。
この家に住んでいた人間は、やはり、ジョー博士だけだとヤマトは結論付けた。
 もしも、リンダが人間ならば、ジョー博士を殺すことは可能だろう。ジョー博士を殺した犯人が人間であれば、アンドロイドのリンダは影武者の役割を果たしたとも考えられる。
 それならば、リンダがアンドロイドの定期点検で優良認定を取り、かつ部品交換をしていないことにも説明がつく。
 実際のリンダが年間のほとんどをスリープ状態で過ごしているとすれば、日常的なメンテナンスさえしておけばよいのだ。部品の消耗などわずかなものだっただろう。
 ヤマトは、仮説を裏付ける証拠を探したが、見つけることはできなかった。
 反対に、ジョー博士の家の家具や日用品の数々は、独身の男性が家政婦アンドロイドに身の回りのサポートを頼みながら生活していたことを物語っている。
 寝室もベッドがひとつ、枕がひとつあるだけだった。クローゼットを開くと、黒っぽい服が並んでいた。男物の衣類が無造作にかけられている。やはり女性の影は見当たらなかった。
 クローゼットを閉めて、ベッドルームから出ると、マリアが隣の部屋から出てきた。
「残念ながら、リンダが人間であるという仮説は、この家からは証明できそうにありませんね」
 マリアは、仮説の否定をさっさと受け入れたようだった。
「部屋は、リビングとベッドルーム、キッチンの他は、書斎のようですね」
 家中の部屋を探索し終えたマリアが、エアタブレットに間取りを書き込んでいく。
「書斎?」
「ええ。古書がたくさんあるようです」
 ヤマトはマリアから古書があると言われた部屋の一つを覗き込んだ。
「脳科学の学者といっても、けっこうアナログなものを使用するんだな」
 マリアが一冊本を手に取り、ページをめくる。
「脳の可塑性、意識と無意識、潜在意識、量子コンピューター……」
マリアが呟きながら、ヤマトに本を手渡した。
「何となく聞いたことのある言葉もあるけど、わからないな。マリアはわかるのか?」
「いいえ」
「俺たち凡人には、天才の頭の中は理解できないよな」
 ヤマトは本を閉じて、元の部屋に戻した。
「この部屋。何か違和感を感じませんか?他の部屋も見てきましたが、見当たらないんです。ジョー博士は脳科学者ですよね。博士の書斎なら当然あってしかるべきものが、全くないと思いませんか?」
 ふと、思い立ったように、マリアがデータにアクセスし始めた。
 ヤマトは、木製の重厚なデスクに目をやった。当然あるべきものがない。いくら外観などはレトロにこだわっていたとしても、研究には最新の技術が欠かせないはずだ。
 部屋のあちこちを見回すがやはりない。手近な引き出しを手あたり次第開けてみたがめぼしいものは見つからなかった。
「コンピューターの類が一切ないな。おかしい」
「捜査本部の捜査でも、被害者宅から持ち出したリストに電子機器の類はないようです」
 ヤマトも確認したが、たしかにマリアの言う通りだった。
「休職の期間中には、研究を中断していたのでしょうか。それとも、全ての研究機器は、大学に置いてあるということなのでしょうか」
「いや。そんなことはないだろう。公的研究費を使って購入した機器であっても、申請さえすれば、自宅での使用も認められているはずだ」
「では、予定していた退職に際して、電子機器の一切を返納してしまったのでしょうか?」
「退職の件は、大学の運営サイドの耳には入っていない。それに、休職中とはいえ、ジョー博士が研究をすっぱりと辞めたとは考えにくい」
「そうですね。プライベート用の電子機器も見当たらないのは、違和感があります」
 マリアが書斎をさらに詮索する。引き出しの一つを開けたマリアの表情が曇る。続いて、ヤマトも本棚に納められたファイルを引き抜いた。ファイルは何の重みもなく、するりと本棚から引き抜けた。中身がない。部屋のファイルは、ほとんどが空だった。机の引き出しなども探すが、電子デバイス関係も一切ない。
「ここには、もともと研究に関する資料も機材も一切置いていなかったのか」
「あるいは、私たちが来る前に、誰かが持ち出したのかもしれません」
 確かにこの家に生活感は感じられない。ヤマトはこの住まい自体がフェイクだった可能性に思い至った。
 しかし、隣人の証言からジョー博士はここで暮らしていたと考えて間違いつものないだろう。先ほどの老女が偽証しているようには見えなかった。
「どういうことだ」
「ジョー博士は、少なくともここを研究の拠点にしてはいないようですね」
「別宅があったというのか?」
「いえ、それは考えにくいと思います。リンダがいましたから。リンダの登録はこの家だけです。スキャリングなしに、家政婦アンドロイドを使用するのは無謀でしょう」
「ジョー博士は、研究の拠点を別に用意していたのかもしれないという事か」
 ヤマトは首を傾げた。つられるように、マリアも首を傾けている。
「ジョー博士は、自分が殺される運命にあるとも知らずに、研究の拠点を自宅から別の場所に移す準備をしていたのか……」
 この推論が事実ならば、病床のジョー博士の労力は無駄に終わったということになる。
「だが、ジョー博士は退職を考えていたんだったよな。もう生涯研究する気をなくして、処分した可能性だってあるよな」
死人に口なしとはよく言ったものだ。本人に確かめようがないのだから、わかりようがない。真相は遠い。
 マリアは部屋の細部を調べ始めた。
「ヤマト警部補、見てください」
 マリアが壁紙の一部を指でなぞった。
「何かを動かした跡があります」
 暗がりでヤマトにはよく見えないが、壁紙に色の違いがあるようだった。日焼けによる濃淡だと思えないこともない。
「事件に関係がありそうか?」
 マリアはなおも、壁紙をじっと見ている。
「ポスターか何かを剥がした跡かもしれないぞ」
ヒントが少なすぎる。これだけでは、何の跡かも分かりそうもない。ヤマトは視線を落として、あっと声を上げた。
「おい。もしかしたら、これはリンダの充電ステーションが設置されていた跡じゃないか」
 床には、人が一人立てるほどの面積だけ四角く床の色を残している。
 ヤマトは、記憶の中で、これより一回り小さな充電ステーションが壁付けされている光景を見ていた。チャイルドタイプのアンドロイドが、目を閉じて、眠るようにして、充電ステーションに収まっている。
「その可能性がありますね」
 マリアはしゃがみ込むと、「床も日焼けによる退色で間違えないでしょう」と言った。
「やっぱり、リンダが犯人なんだよな」
 ヤマトは、ため息交じりに弱々しい口調で言った。
「充電ステーションが消えているということは、リンダがどこかで動いているということだろう。こんな大きなものを一体どうやって……。だが、主人のジョー博士を殺して、自分だけが動き続ける必要があるのか?」
目を瞑り、腕を組みながら、唸り声を上げる。
「ますます、謎が増えたな」
ヤマトにも、迷いが生じ始めていた。少ない証拠ではあるが、状況判断から言えば犯人はリンダだ。リンダ以外に殺害する可能性が高いものはいない。事実、リンダは姿を消しているのだ。それも、自分の生命線である充電ステーションと共に。
そう考えてみても、不可解な点は多い。
 なぜ、リンダはジョー博士を殺したのか?なぜ、リンダは姿を隠しているのか?
 リンダが部品交換もせずに、長期間に渡って定期点検をクリアしている点も謎のままだ。
 この事件はもっと複雑な何かが絡んでいるのかもしれない。
「リンダが誰かに脅されて犯行に及んだとは考えられませんか?」
 沈黙を破って、マリアが口を開いた。
「しかし、誰に?リンダの主人はジョー博士だ。家政婦アンドロイドが主人以外の命令を聞くとは考えられない。それに、ロボット工学三原則がある。故意であれば、なおさらアンドロイドに殺人はできない」
 マリアが、立ち上がる。
「待てよ。そうか、人間の共犯者がいるということなら、話の辻褄が合いそうだな。そうなると、リンダはもう始末されているかもしれないか」
「人間がジョー博士の首をレーザーカッターで切断して殺害。それをリンダの仕業に見せかけたということでしょうか」
「だが、頭部の持ち去りは、どう解釈すればいいんだ」
 ヤマトは厳しい顔つきになる。焦りもあった。ダン課長との約束の期日までもう折り返しに来ている。
「あと、調べていないところは?」
「中庭だけです」
 マリアが答える。
「入口は見つかったのか?」
「はい。ガラス面の一部が扉になっていました。開かないところを見ると、施錠されているようです」
 中庭は広々としており、広さは二十畳はありそうだった。床材はタイルが用いられているようだ。タイルには濃淡の異なる二色が市松模様に並べられている。中央には、小ぶりの樹木が中庭を絵になる風景に仕立て上げていた。
 中庭を囲むガラス壁は、ロの字に囲まれており、中庭を望めるスペースは広めの廊下になっている。
 リビングより先の部屋は、どの部屋も廊下に面しており、部屋から出ると中庭を眺められる造りにしているのだろう。
 マリアがガラス壁を端から端まで指で撫でながら、ぐるりと一回りして戻ってきた。
「だめですね。ロックを解除しないと入れそうにありません」
「そうか」
 ヤマトは時間を確認した。思った以上に時間が経っていた。これから応援を要請するには、緊急性に欠けるだろうと、ヤマトは思った。
「仕方がない。今日は引き上げるしかないな。明日の朝一番で応援を要請して中庭を調べよう」
「ヤマト警部補。待ってください」
 玄関に向かいかけたヤマトの背中にマリアが声をかけた。
「どうした」
「あの木の下を見てください。何か黒いものが見えませんか」
 マリアの声が緊張を含んでいるのが伝わってくる。
 ヤマトは暗がりに目を凝らしたが、その物体が何なのか、判然としなかった。
「何なんだ。あれは」
 マリアは答えなかった。「確かめてきますので、ここで待っていてください」と言うとマリアは玄関から出て行った。
 しばらくすると、ヤマトのいる廊下から、マリアが見えた。マリアは屋根の上にいた。マリアは屋根から音もなく飛び立つと、中庭に降り立った。
「すごいな。トランスヒューマンってやつは」
 ヤマトが感心していると、マリアは木の根元の辺りにしゃがみ込んだ。
「ヤマト警部補」
マリアの声だ。通信機能を使っている。
ヤマトも同じようにして、マリアとコンタクトを取った。
「何だか分かったか」
「焼けた……かと」
 マリアの声はかすれて聞き取れなかった。
「なんだって」
 ヤマトは聞き返した。
「まだ……あつい……」
 マリアがポータブルの容器に収めようとした時、中庭に閃光が走った。
 暗闇に慣れたヤマトは自分の視力が一瞬失われたのを感じた。
「マリア!」
 ヤマトは叫んだ。
 空白のように感じていた視界が再び視力を取り戻すと、ヤマトはマリアを探した。
 視線の先に見たのは、マリアが倒れている姿だった。その姿には違和感があった。マリアの片腕がなかったからだ。
信じられないことに、マリアの片腕は、ちぎれてヤマトの目の前まで飛ばされていた。
「奴か!」
 ヤマトは暗闇の中で人影を見つけた。
「警察だ!」
 レーザー銃を構えるが、暗闇で目の前にいる人物の姿はよく見えない。ガラス越しに銃口を向けて、もう一度叫んだ。
「動くな。警察だ」
ヤマトが叫ぶと同時にその人物は、こちらを振り返った。驚いたことに、次の瞬間、その人影は、すばやく中庭から屋根に駆け上がった。
 ヤマトはレーザー銃を向けたが、すでに確実な射程範囲を超えている。
「くそっ」
 ヤマトは家から飛び出した。ジョー博士の家の屋根から飛び降りた後ろ姿が目に入る。ヤマトはすぐに後を追った。
 相手はこちらを攻撃する様子を見せていない。逃げるつもりだ。ヤマトは後を追って、走り出す。
「待て、止まらないなら撃つぞ!」
 ヤマトは必死に走りながら、追いかけるが相手のスピードは桁違いだ。追いつけそうにない。
 ヤマトは肩で大きく息を切らしながら、立ち止まり、レーザー銃を構え、オート照準機能で、相手をロックオンした。引き金を引くと、あっという間に、熱線がその人物を捉える。
 命中した。人影は、一瞬のよろめきの後、すぐに何事もなかったように走り去っていった。
 ヤマトは、息を切らしてその様子を見た。ただその場に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
 気配を感じて振り返ると、ジョー博士の玄関の前にマリアが立っていた。胸に片腕を抱いている。
「マリア!大丈夫か」
 ヤマトはマリアに駆け寄った。
「ええ。大丈夫です」
 ヤマトの顔を見ると、マリアは「トランスヒューマンを甘く見ないでください」と軽口をたたいた。
 心配させまいとするマリアの気遣いだった。
「すまん。しくじってしまって」
 ヤマトは手にしたレーザー銃を仕舞った。
 マリアはかぶりを振る。
「奴を近くで見たか」
「はい。リンダに間違いないと思います」
「狙撃してきたのは、リンダなのか」
「一瞬のことだったので、打ったところを見たわけではありませんが。おそらく」
 マリアは躊躇しながら答えた。
「あいつは人間を狙えるのか」
 ヤマトにとって、この事実は衝撃だった。ダン課長から指令を受けた後も、心のどこかで、リンダに人間は殺せないのではないかと思っていたせいだろう。
「ところで、中庭のあれは何だったんだ」
「人骨かと思われます。それも、かなりの高温で焼き尽くしたようです。残骸がほとんど残っていませんでしたから」
「それは、まさか」
 マリアも同じことを考えているようだった。
「明日、調査を依頼すれば、はっきりするでしょう」
 片腕を無くしたマリアは、涼しい顔で言った。

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