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第四章 積年の孤独 1

 目の前にまだ年端もいかない年齢の少女が歩いている。両脇には、古田ヤマトよりも少し年齢の高いくらいの男性と女性が並んでいる。女の子の両親なのだろう。
 少女がこちらを振り返った。幼いながらも、整った顔立ちには、見覚えがある。十一歳の羽川マリアだ。
「お兄ちゃんはどこ?」
 大きな瞳の少女は、可愛らしい笑顔で、辺りを見回している。はっきりとした口調と、弾むような足取りは、ヤマトの知るマリアよりもずっと快活な印象を与えた。
 キャンパスの入り口には、「オープンキャンパス」と書かれた大きなバルーンのアーチが設置されていた。太陽は高いところにある。大学正門に向かう人々は、みな半袖の服を着ている。中にはノースリーブの学生もいる。季節は初夏だ。南国のようにからりとした夏空が広がっている。
 キャンパス内では、学生と見られる人間の他に、さまざまなロボットが来校者を歓迎している。十数年前ということもあり、どれも今では旧式と呼ばれるようになった特化型アンドロイドだ。
 そのころ、ヤマトはまだ駆け出しの刑事だった。念願叶って、刑事部に配属になったばかりの頃だ。そういえば、あの事件のあった夏は例年に比べてとても暑い夏だった。
 マリアは、ミストを噴射するロボットを見つけると、両親に断りもせずに、嬉しそうに駆け寄って行った。

 大学見学に来ている高校生たちに混ざって、大量のミストを浴び、歓声を上げている。
「お兄ちゃん!」
 マリアたちは室内にいた。
 教室の入り口から、受験生を相手に説明をしている白衣姿の男性をマリアが羨望を込めた眼差しで見つめている。
「あなた、羽川君の妹さん?」
 白衣姿の女性がマリアに声をかけた。
「はい」
 マリアは警戒するように、小さな声で返答している。
「ごめんなさい。ビックリさせたかしら。私は羽川君と同じ研究室で勉強している森内と言います」
 女性は、首から下げている「オープンキャンパス スタッフ・森内ナオミ」と書かれたネームプレートを、マリアの方に引っ張って見せた。
「お兄ちゃんのお友達?」
「そうね。お兄さんの同級生。マリアちゃんでしょう?羽川君、あなたの話、研究室でもよくしているのよ。お兄さんにとても似ているのね。すぐに分かったわ」
 ナオミが親しみを込めた笑顔をマリアに向けている。
 マリアは、恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、母親の顔をちらりと見た。
 マリアの両親に気が付いたナオミは、『羽川君にはいつもお世話になっています』と言って、頭を下げると、「呼んできましょうか?」と母親に尋ねた。
「いえ。今、説明の最中のようですから。終わるまで、一緒に見学させていただきます」
 母親が答えると、「では、中へどうぞ」と、ナオミは三人を教室内に案内した。
 教壇の近くでは、マリアの兄が熱心に話す声が聞こえてくる。兄のかたわらには、背丈が二メートルほどありそうなロボットがいる。
 人型アンドロイドとは違うが、二足歩行するタイプのロボットのようだ。
 マリアの兄は、かたわらのロボットについて、受験生に説明しているようだった。時折、兄がロボットに向かって何かを言っている。そのたびにロボットが動作する。指令通りに、ロボットが物を持ち上げたり、運んだりするというデモンストレーションを行っているようだった。
「このように、ホスロボは、人の指令に従って動きます。音声認識と画像認識が高度化したことに加え、ロボット自身が、人間の話を、人間が理解するように受け取ることができるプログラムの開発が僕たちの研究です」
 兄はまだ、マリアたちが後方の入り口から教室に入ってきたことに気づいていない。
 マリアが箱庭のようなミニチュアの模型に気が付いた。
「それ、興味ある?動かしてみようか?」
 マリアの視線に気づいたナオミが話しかけた。
 マリアがうなずくと、ナオミは、ハツカネズミほどの大きさの人形を何体か腕に抱えて持ってきた。どうやら、それらもロボットのようだ。丸い頭部に胴体と手足が付いただけの簡素な二足歩行ロボットだ。そのうち一体だけが青く、他の人形は白かった。いずれも顔がなく、昔のアニメで、自分と同じ姿になるロボットに似ているとヤマトは思った。
「では、これから実験を行います」
 ナオミがかしこまった口調でマリアに言った。
「このロボットは私です」
 ナオミが言うと、ロボットの白い頭部に「私」という文字が浮かび上がった。
「この模型は、私の家です。そして、この青いロボットは、私を助けてくれるロボット・ホスロボです。ホスロボっていうのは、私たちが開発しているロボットなの。ホスピタリティってわかるかな?『思いやり』とか『心からのおもてなし』っていう意味よ。これから、このホスロボにお留守番を頼みます」
 ナオミは、箱庭の中にある住居に青いロボットと「私ロボット」の二体を入れた。
「ホスロボ、誰も家に入れてはいけませんよ。私は出かけてきますからね」
 ナオミがそう言うと、「私ロボット」は歩き出した。その後を「ホスロボ」がついていく。「私ロボット」は、ゲートと書かれた場所に向かっているようだ。人形が一体通れるほどの通路がある。
「私ロボット」がゲートを通り抜けると、「ホスロボ」も一緒にゲートを出た。「私ロボット」は直進を続けたが、「ホスロボ」はゲートを一歩出たところで、ぴたりと止まった。
「さて、これで、上手にお留守番ができるでしょうか?」
ナオミは人形劇でも見せるように、「私ロボット」の隣に何体かの人形を並べた。それぞれに、「お母さん」、「友達」、「知らない人」という文字が浮かび上がっている。
「まずは、知らない人が家にやってきました」
 ナオミの言葉通り、「知らない人」と書かれたロボットがゲートに向かって歩いていく。すると、ぴたりと止まっていた「ホスロボ」が動き出し、「知らない人」の前に進み出ると、「知らない人」を追い返した。
「ちゃんとできた」と、マリアの興奮気味の声が弾む。
「次は、お友達が家にやってきました」
 今度は、「友達」と書かれたロボットが歩き出した。「ホスロボ」は、再び追い返す。
「まあ、そうだよね」と、マリアが応じる。
「その次は、お母さんがやってきました」
 マリアの期待をよそに、「ホスロボ」は、「お母さん」も追い返してしまう。しまいには、帰宅した「私」すら、中に入れてくれない。
「さて、何が悪かったのでしょうか?」
 ナオミがマリアに尋ねた。
 マリアは少し躊躇した様子を見せたが、好奇心の勝った瞳でナオミを見ると、答えた。
「誰も入れてはいけないと教えたところ」
「正解!」
 ナオミがにっこりとほほ笑んだ。研究者よりも、小学校の先生が似合いそうな女性だと、ヤマトは思った。
「ロボットは、人間のように、考えることができません。だから、ひとつずつ、丁寧に教えておいてあげる必要があります」
 ナオミの解説をマリアがじっと聞いている。
「この場合には、私以外の誰も家に入れないでね、と言っておけば良かったよね」
 ナオミはマリアに優しく話かけるように言った。マリアは、「私だけじゃなくて、お母さんも家に入れてもいいと思う」と応じて、笑いを誘った。
「では、私とお母さん以外は家に入れてはいけません、という指示に変更してみましょう」
 ナオミは微笑みながら言い、再度、手順を繰り返した。今度は成功だった。マリアは大きな笑顔を見せた。
「私たち人間は、誰も入れてはいけないと言っても、自分だけは入れるものだと、どこかで思っているよね。言わなくてもわかることを『暗黙の了解』っていうんだけど、そういうものが人間の世界にはたくさんあるの。だから、Aという命令を守るとBという命令が守れなくなるという問題もよく起こるの。それを人間は無意識で判断して、一番良さそうな答え、つまり『最適解』を見つけているんだよ」
 マリアがへえ、と声を出す。
「でも、ロボットにはそれができないから、矛盾することをひとつづつ解決してあげないといけないの。それをプログラミングと言います」
 ナオミの解説が終わると、いつも間にか、受験生への説明を終えたマリアの兄がそばに来ていた。
「見学に来たんだね」
 薄い茶色の瞳がマリアによく似ている。
「お兄ちゃん!」
 マリアが嬉しそうな顔をする。
「お兄ちゃんの作ったロボットを見に来たんだよ」
 兄の隣に進み出たマリアが、顔を見上げて、甘えたような声で言う。
「じゃあ、早速、とっておきのロボットをお見せしよう。こっちに来いよ、ホスロボエイト」
 兄が友人にでも声をかけるように呼び掛けると、巨大ホスロボがこちらに歩いてきた。重々しい見かけよりもずっと軽やかな足取りだった。
「先週、ニュースにも出ていたけど、このホスロボエイトは、うちの大学とリエゾンマインド社との共同開発なんだ。今期中に実用化が予定されている」
 兄が気軽にホスロボエイトに触れるのを見ると、マリアは恐る恐るといった様子で、足のあたりにさっと手を触れた。
「マリア、大丈夫。触ってごらん。怖くないよ。ホスロボエイトは、優しいロボットだ。危害を加えることはない。むしろ、お前を守ってくれるよ」
 マリアが大きな瞳で、兄を見上げてから、同じようにホスロボエイトの顔を見上げた。
「ホスロボエイト、彼女はマリアだ。僕の妹。家族だよ」
 ホスロボエイトの頭部のランプが青く点滅した。
「はじめまして。マリア。私はホスロボエイトと言います。よろしくお願いします。」
 流暢な言葉だった。マリアも驚いているようだ。
「ロボット開発の産学連携プロジェクトとしては、こんなに大きなプロジェクトは他にありません。それも、相手は一流企業の代名詞のようなリエゾンマインド社です。普及品に近い形での開発に成功するなんて、大学としても、大変名誉なことなんです」
 ナオミが誇らしそうに説明を追加する。
「まあ、見た目の派手さもあって、ハードであるうちの大学開発のロボットが注目されているけど、画期的なのは、搭載されている人工知能が上かなと、思っているけどね」
「また、羽川君はすぐにそうやって謙遜するんだから」
 ナオミが渋い顔をする。
「森内さんにホスロボの実験を見せてもらっただろう。あれは、すべて人工知能がロボットの動きを制御しているんだよ。人工知能開発におけるリエゾンマインド社の研究部門は本当にたいしたものだよ」
「あら、羽川君だって、人工知能開発まで手伝っていたじゃない。私たちは大事な若手ロボット工学の研究者を人工知能の方に取られるんじゃないかと、ひやひやしてたのよ」
実用化アンドロイド製造の大手であるリエゾンマインド社との産学連携がこの大学で行われていたとは、ヤマトには初耳だった。
 だが、第二のラッダイト運動が勃発したのは、リエゾンマインド社が人工知能のバージョンを上げ、アンドロイド製造の量産ラインの開発に成功したことを発表した翌週の事件であることは、ヤマトの記憶にもあった。
 ホスロボエイトとマリアたち家族の会話はまだ続いていた。
「おしゃべりが上手ね。人間みたい」
 マリアが友達に向けるような笑顔で、ホスロボエイトに話しかけている。
「すごいだろう。マリア」
「どうして、こんなに上手におしゃべりできるの?」
 マリアの手はホスロボエイトの大きな手に繋がれている。
「それは、ホスロボエイトが人間に近づけるようにたくさん練習したからだよ」
 兄が優しく教える。
「上達の秘訣と同じことさ。上達したい何かがあるときには、とにかくうまい人の真似をすることだよ。マリアは書道を習っているよな?うまくなりたいと思ったら、どうする?」
「えっと、先生のお手本をよく見て、同じように書けるようにたくさん練習する」
「そう。先生と同じ筆の運びをしっかり何度も練習して、マスターすれば、先生のようにうまく書けるようになるよな」
マリアは、教師に指名された生徒が正解した時のようなほっとした表情を見せて、うなずく。
「ピアノでも、野球でも同じさ。うまくなりたければ、最初はうまい人がやっているのと同じように練習をする。とにかく実践を重ねていく。人間のように動けるロボットを作るのも、すべてはそういった学習が元になるんだ。ロボットの場合は、お手本になる人間のやり方、考え方をたくさんインプットして、思考や行動をひとつひとつ、覚えさせていく。今はロボット自身が自動学習できるから、行動をパターン化することで、とてつもない量のインプットが可能になった。それをホスロボエイトにやったんだ」
マリアの兄は、いとおしそうにホスロボエイトに触れた。
「僕は、この技術がすべての人の役に立つと信じている」
 兄の言葉は力強く、自信に満ちている。いつの間にか、マリアたちだけでなく、他の見学者までが彼の話に聞き入っている。
 ヤマトは、マリアの兄にただならぬオーラを感じた。研究にかける熱い情熱が溢れている。並々ならぬ努力がそれをより強固にしているのだろう。
 彼は、この国を牽引するような優秀な科学者になるだろうと、ヤマトは思った。マリアの羨望に満ちた瞳がきらきらと輝いている。
 ずしん。地響きがした。ずしん、ずしんと立て続けに地面が揺れる。
「地震?」
「違う。爆発だ!」
 皆が窓の外を見ているのに気がついて、ヤマトも窓の外に目をやった。
 反対側の五階建ての校舎から黒煙が上がっている。
 建物の中はすでに火の海だ。目線の先の最上階と見られるフロアで何かが動いている。
 燃え盛る炎の奥に人影か見えた。窓枠にたどり着いた人影が、窓の外に飛び出し、そのまま落ちていく。もはや、肌の色はわからない。人型に炭化した物体であった。
「いやあああ」
 絶叫が響いた。マリアだった。飛び出しそうなほどに見開かれた目は、信じられない光景を写している。
 ずどん。
 先ほどよりも、ひときわ大きな振動が身体に走る。
 まずい。ここも、とヤマトが思った瞬間、爆音が轟いた。前後の教場の戸が吹っ飛ばされて熱風が巻き込んで来る。
「ナオミ!」
 マリアの兄が叫んだ。
 ナオミがいた場所には、吹き飛ばされた教場の戸で床がえぐられている。黒々とした燃えかすのような筋を目でたどると、窓枠と戸に挟まれて身体を潰されたナオミの姿があった。おびただしい量の血液が流れだし、すき間から見える肢体はぴくりとも動かない。すでに事切れているのは明らかだった。
 戸が無くなった入り口からは、めらめらと火柱を上げる炎が舐めるように、壁をつたって教場の中に侵入しつつあった。
 とてつもなく熱い。熱を多分に含んだ空気を吸い込んで、気道が腫れ上がるような錯覚を覚える。
 火の回りがとても早い。無色無臭の発火性のある物質が廊下にまかれていたのは、のちの捜査で明らかになったことだ。晴れて乾燥した天気も状況を悪くしていた。廊下はすでに火の海だ。前後の出入り口からはもはや脱出できそうにない。
 マリアを見ると、恐怖のあまり、立ちすくんでいる。火の手はすぐそこまで来ている。マリアの両親が娘をかばうように後退するが、逃げ場がない。
 バリバリと何かが弾け飛ぶ音がした。音のした方を見ると、マリアの兄がカーテンをレールから力いっぱい引きちぎっている。
 外したカーテンを手にして、兄はマリアの元にかけよった。カーテンの一部はナオミの血で濡れていた。
「マリア、ここから脱出するんだ。ホスロボエイトが無事にここから運んでくれる」
 手にした防火カーテンでマリアを包もうと兄が手をかける。マリアはその手を振り払い、必死に抵抗する。
「やだ!みんなはどうするの?お父さん!お母さん!」
 状況を察したマリアの両親も、兄に加勢しマリアをなだめて、兄を手伝い始めた。
 この後の展開を瞬時に予測した聡明な少女は、両親に抱き留められながら、手足をばたつかせて泣き叫んだ。
 母親が涙に濡れたマリアの丸い頬を手のひらで包みながら、マリアに懸命に話しかけている。
 泣き叫びながら煙を吸い込んだマリアは、激しく咳こんだ。
マリアの口元をハンカチで覆い、背中をさする母親の頬も涙と煤で汚れていた。
 兄がホスロボエイトにケーブルを繋げた。兄はケーブルに繋がれた機器を手早く操作し、ホスロボエイトに指令を与えた。
「頼むから、兄ちゃんの最後の願いを聞いてくれ」
 苦しそうに肩で息をするマリアは、しゃくりあげながら、観念した。泣き叫ぶことを止めたマリアの喉は、その想いを代弁するかのように、嗚咽を漏らしていた。
 マリアの両手を両親が握った。
 兄の懇願を聞き入れたマリアは、カーテンで何重にも包まれ、ホスロボエイトに抱えられた。ホスロボエイトは炎の中に消えて行った。
 次の瞬間、マリアの家族が炎に包まれた。

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