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第四章 積年の孤独 3

 Kポッドに見送られながらベースを出た。二人はスマートカーに乗り込み、アスカ博士が勤務する汎用型人工知能研究所を目指した。
 汎用型人工知能研究所に到着すると、二人はしばらく黙って豪奢な建物を見上げた。
 汎用型人工知能研究所は、歴史を感じさせる大学とは異なり最新鋭の近代化された建物だった。
 近代的な建物全体は、エネルギーパネルになっている。おびただしい数の透明なエネルギーパネルが無機質感を強めていた。
 入り口の上には、合金で作られたエンブレムが輝いている。エンブレムのデザインは記号化された図柄のようにも、人とロボットがお互いを見つめているようにも見えた。
 セキュリティチェックはゲート式だった。人間用とアンドロイド用とで分けられている。そろって、人間用のゲートを通過すると、マリアだけ止められた。
「あなたはアンドロイドですか?」
 セキュリティアンドロイドがマリアをアンドロイド用のゲートに誘導しようとした。
「失礼なことを言うな、彼女は列記とした人間だ」
「チェックに引っかかったものでして」
 セキュリティアンドロイドは、なおもマリアを連れて行こうとする。セキュリティアンドロイドに詰め寄ろうとするヤマトを、マリアが制した。
「いいんですよ。身体の半分がサイボーグ化されているんです。セキュリティアンドロイドのチェック基準に近いくらい多くの回路が埋め込まれているんです」
 マリアは言いながら、セキュリティアンドロイドに警察手帳をかざした。
 セキュリティアンドロイドは、マリアと警察手帳を認識すると、「失礼いたしました」と言って、人間用ゲートを開いた。
 アスカ博士との面会場所は事前に指定を受けている。研究室ではなく、研究所の会議室で会うことになっていた。会議室の前まで来ると、自動でロックが解除された。
 中に入ると、そこは清冽な空気が流れていた。ひんやりとして無機質な感覚を伴う。背中に寒気を感じた。
広くて白い空間の真ん中に、アスカ博士が立っている。カナ博士が見せてくれた写真の女性に違いなかった。
「わざわざ遠いところ、大変でしたわね。刑事さんもご苦労様です。あなた、先ほど、入口で止められたようね」
アスカ博士がマリアに視線を投げかけた。
「失礼があって申し訳ありませんでした」
「いえ、全然問題ありません」
 マリアはアスカ博士の視線を正面から受け止めながら答えた。
「申し遅れました。二階堂アスカと申します」
 ヤマトもマリアも名乗り合い、いつものように、電子名刺の交換を済ませた。
 アスカ博士は、赤いワンピースの上から、白衣をまとっていた。背が高く、白衣から見える脚は白く細長い。博士というよりも、モデルと言われた方がしっくりきそうな体形だ。
 事前に目を通した資料にあった年齢よりも、実物の方が若く見える。
「あなた、羽川マリアさんといったかしら。トランスヒューマンね。身体の一部がサイボーグ化されているのね。右腕は完全にコネクショニングされている。でも、左利きのようだから、不幸中の幸いかしら?いや、そんな訳ないわね。五体満足なことがどれだけありがたいことか。ごめんなさいね」
アスカ博士は、トランスヒューマンが珍しいのか、マリアに興味を持ったのか、矢継ぎ早に言葉を発した。
「そういえば、ジョー博士も左利きだったなあ」
 懐かしむような口調になる。
「ねえ。たまに、右腕が痛むことはない?神経が通っていないにも関わらず」
 アスカ博士が大きな瞳をきょろっと動かしてマリアを見る。
「はい、あります」
 マリアが右腕に触れながら答えた。
「脳の中には幽霊が存在しているのよ」
 アスカ博士が不可解なことを口走る。
「科学者の先生なのに、また非科学的な話ですな」
 ヤマトはアスカ博士の独特のテンポにいくらか面喰いながら言った。
「比喩ですわ。脳は感覚を忘れないのよ。脳の一部を損傷すると、その機能の一部が誤作動を起こすの。ある人は無くした手足の感覚を、ある人は見えないものが見えたりね。一説には、脳はこの広大な宇宙で最も複雑な組織だと言われているの」
 アスカ博士が、空中を撫でるように手を動かした。エアタッチパネルを操作しているようだ。すると、突然床から応接セットが現れた。
捜査で方々を歩いているヤマトでも、大型の家具が出現するタイプの建造物は初めてだ。汎用型人工知能研究所がどれだけ先進的な施設なのかがわかる。
 アスカ博士は、二人が棒立ちになっているのを見ると、ソファに促した。ヤマトとマリアはソファに腰を下ろした。二人に続き、アスカ博士も座ると、今度はメイド型アンドロイドが飲み物を運んできた。
 マリアは、メイド型アンドロイドがティーカップを置きやすいように身体をずらした。
 場が落ち着いたところで、ヤマトは、簡潔にこの研究所を訪れた理由を説明した。ジョー博士が死亡したことを伝えると、アスカ博士は胸の前で十字を切りながら、悲痛な面持ちになった。
「ジョー博士は、脳科学の先進的な研究者でしたよ。私は、今でもジョー博士を尊敬しています。人間の脳は、ご存知のとおり、まだまだ謎が多いんです。これだけ科学が発達しているのに、脳科学には明らかにされていないことがたくさんあります。そういうこともあって、脳だけは人工知能との置き換えが法律で許されていないのです。本当に脳は神秘で複雑なんです」
「アスカ博士のご専門は人工知能ですよね」
 マリアが少し顎を引きながら聞いた。
「ええ」
 アスカ博士は自身の威厳を誇示するように大きくうなづいた。
「ジョー博士の共同研究者だったと聞いておりましたが、脳科学にもお詳しいのですか」
「脳科学と人工知能は深い関係がありますから。私は脳科学で解明されたことを、人工知能に反映させるための研究者です。つまり、脳科学の研究がもっと進めば、私の研究も進みますわ。人間の脳と意識の問題が解明されるかは、ジョー博士にかかってると言っても過言ではないわ」
 マリアの視線が一瞬、空中を彷徨い、思案顔になる。
「アスカ博士は、大学でジョー博士の共同研究者をされた後、人工知能研究所に所属されておられたようですが、こちらにはどういった理由で移られたのですか?」
 マリアがだしぬけに質問した。
「それは、答えなくてはいけないかしら?」
 ヤマトは、プライベートな理由を想像して、口を開きかけたが、マリアが「お願いします」と強い口調で言ったのを聞き、口を閉じた。
「こちらの汎用型人工知能研究所は設立から一年ほどの新しい研究所だと聞いています。人工知能研究の権威を誇る機関に所属している研究員が、研究所としては、まだ実績らしいものもない機関にあえて移籍するメリットがわからないのです」
 マリアの質問に、アスカ博士は薄笑いのような表情を浮かべながら応じた。
「人工知能研究は、新しい学問分野ですよ。機関としての設立が古いとか、伝統があるとかいうことにこだわるのはナンセンスだと思わない?」
「では、質問を変えます。人工知能研究所と汎用型人工知能研究所には、大きな違いがあります。自前のアンドロイド工房を持っているかどうかという点です」
そういえば、Kポッドが用意した資料にそのようなことが書いてあった。ヤマトはさして気に留めなかった部分だ。
「ええ。そうね。確かに、ここの研究所の方針で、人工知能を実用化することに主眼を置いているのよ。実学的な精神を持っている研究所だから。ここのアンドロイド研究の分野に出資している会社もありますから」
「オフィスリエゾンですね。リエゾンマインド社の子会社の」
「よく調べていること」
 そのことは資料にはなかった情報だ。
「ここでは、開発した人工知能を使って、新しいアンドロイドを製造しているのではないですか?」
 アスカ博士が首を縦に振る。
「実学とはそういうものよ。評価されることであっても、非難されることではないわ」
 アスカ博士はぴしゃりと言った。
 ヤマトには、アンドロイド製造の設備にマリアがこだわる理由がわかりかねた。
「私が移籍した理由は、ヘッドハンティングよ。創立の浅い研究所では、よくあることだわ。移籍に見合った報酬を提示されて、それを飲んだだけ。これで満足かしら」
 長い足を組みなおしながら、アスカ博士が言い放った。
「ありがとうございます」
 マリアが慇懃に頭を下げた。
「最後に一つだけお訊ねしたいのですが」
 ヤマトが言った。
「人工知能を搭載したアンドロイドが、反乱を起こして、人類に破滅的な結果をもたらすことはあるとお思いですか?」
「あくまで人工知能は人間が作ったものです。アンドロイドには、人間がプログラミングした以上のことはできません。所詮、コンピューターですから、プログラムに反した振る舞いは考えられませんね」
「なぜ?」
「人間の感情は、知性と感情と意志で構成されています。その中には、いわゆるカオスと呼ばれる様々なものが含まれます。恐怖や欲望もそうです。そのどれかが特化しない限り、脳を備えたアンドロイドが個人的な欲望、渇望感を持つこともありません」
 ヤマトは「特化」という言葉を聞いて、鉄腕アトムの中で、そのようなシーンがあったことを思い出していた。
「アスカ博士、鉄腕アトムって知っていますか?」
「もちろん」
 アスカ博士は、首をかしげた。
「二十世紀の偉大な漫画家が生み出した優秀な汎用型ロボットだわ。そういえば、手塚治虫……彼は医者の資格を持っていたわね。単なる空想にとどまらない作品のクオリティが後世の評価を得ているのでしょう」
「彼の作品の根底にあるテーマをご存知ですか?」
「ええ。『生命への尊厳』よ。私はこの点で、とても共感しているの。それと、鉄腕アトムは科学の希望のように思われがちだけど、決してそうじゃないわ。よく読めば、発達した科学への警告を含んだ作品だということもわかる」
 アスカ博士は、話過ぎたというように口を噤むと、ヤマトに話の続きをうながした。
「うろ覚えなんですが、鉄腕アトムの中では、確か憎悪に特化したアンドロイドが描かれていたような記憶があるのですが……。もし、アンドロイドを悪用しようとする人間がアンドロイドを使って犯罪を起こそうとしたらどうなりますか?」
 薬師寺博士に投げかけた質問をここでも聞いた。
「アンドロイドが人間を殺す存在になるわけがありません。我々、科学者がアンドロイドを危険なものにするわけがありませんわ。高齢者や障がい者、病気や怪我で身体の自由を奪われた人のために、科学やテクノロジーは進歩します。もちろん、戦争によって、そのような技術が進歩することだってあるでしょうけど、少なくとも科学者は何かしらの社会貢献への強固な意志があるから研究を続けられるのです」
 アスカ博士の真剣に科学者の本意を語る口調や眼差しには力強さが感じられた。
 強固な意志。刑事と同じだなと、ヤマトは思った。
 ヤマトは一つと言っておきながら、なおも続ける。
「科学者がそうだとしても、それ以外の人間もいるのではないでしょうか」
 ヤマトが食い下がると、「技術というのは、日進月歩するものですが、研究というものは、往々に遅々として進みませんから」とアスカ博士は笑みを浮かべて切り返した。

 研究所を出ると、陽が落ち始めていた。冬の夕暮れは早い。
沈みかけた太陽の方向に目をやると、オレンジから濃紺へとみごとなグラデーションを描いている。マジックアワーか。昼から夜に変わるわずかな時間にだけ見える色だ。
気温もぐっと下がっている。ヤマトは木枯らしから身を守るように、コートの襟を立てた。
 ヤマトのすぐ後ろを、マリアがついて歩く。ヤマトは踵を返し、豪奢な造りの研究所を見上げた。

「アスカ博士が言っていたが、本当に右腕が痛むのか?」
 スマートカーの中で、ヤマトは聞いた。
「今はもう痛みはありません。手術をする前と、手術後には、正直ありました。当時は、神経がないのに、激しい痛みにも襲われました。本来、感じないものなので、対処のしようもなくて、大変でした。主治医には幻肢だと言われました」
「げんし?」
「幻肢です。幻の四肢と書きます。なくなったあとも心の中から消えない腕や脚のことを言うらしいです」
 失った腕に痛みを感じるとは、さぞかし大変なことだっただろう。ヤマトは何と声をかけたらいいかわからず、「そうか」とだけつぶやいた。
「幸い、利き手ではなかったので、まだよかったです。不便でしたけどね」
マリアが努めて明るく振る舞おうとしている。ヤマトはマリアが自分と打ち解け始めていることを感じた。
「マリアは左利きなんだな。例のアンドロイドのリンダもアンドロイドだけど、左利きらしい。アンドロイドにも一応、利き腕あるんだな。笑っちゃうよ」
ヤマトはそういってから、事件の手口に思い至り、表情を引き締めた。
「切断も左手で行われたそうだ。ジョー博士の切断面は左から右にかけて切られている。つまり、左手でやったということだな」
 マリアは神妙に聞いている。
「ジョー博士が脳科学の権威ということはわかった。アスカ博士は、脳科学の分野に関しては、ジョー博士に全幅の信頼を置いていたようだな」
それから、とヤマトは言葉を切った。
「アンドロイドに殺人はできない、科学者は皆そう言うな。これが科学者の共通認識ということか」
「そうですね」
 マリアが同意を込めたトーンで返す。
「次はリンダの足取りだな」
「ええ。そのつもりです」
 マリアが治安維持監視システムにアクセスを試みる。
「だめですね。未だに何のアラートもありません」
「人間の容疑者なら、治安維持監視システムを使った捜査網から隠れるなんて、まず無理なんだが。一体、どんな手を使っていやがるんだ」
 ヤマトは舌打ちをした。
リンダに犯行が可能かどうかは、理論上の議論ではどうにも決着が付けられそうにない。そうならば、リンダの身柄を押さえて、検証していくしかないだろう。
「やっぱり、アンドロイドの思考回路はブラックボックスなんだろうな。システムでもアンドロイドの行動予測まではできないようだし。まったく、どこに行っちまったんだ」
 ヤマトは、窓の外に目を転じた。スマートカーは陽が落ちた街を速度を落とすことなく進んでいく。
 ふと、窓ガラスにマリアの横顔が映った。いつになく、神妙な表情に、ヤマトはどきりとした。
「マリア、どうかしたのか?」
「いえ。ちょっと考え事を……」
「何だ?」
 マリアは少し躊躇した後、口を開いた。
「アンドロイドのことを考えていました。私にもわからないことがあります。アンドロイドにも心はあるんでしょうか?故障すれば、ガラクタ同然に捨てられるんです。アンドロイドの廃棄は、未だに粗大ごみと何ら変わりません。特化型のアンドロイドなら、見た目はロボットですけど、人型アンドロイドは精巧で人間と遜色ありません。中身は機械がつまっていても、外見は人間そのもの。なんだか、切ないですね。彼らに思考する力があるなら、もしも、心があるとしたらなおさら……」
 ヤマトは心の奥がずきりと痛んだ。
 ヤマトは結婚していたことがある。だが、結婚生活は長くは続かなかった。
どんな言い方をしても、言い訳になるのはわかっていたが、忙しすぎたのだ。仕事の特性上、ヤマトには家庭を顧みる余裕がなかった。
結婚という責任は、ヤマトを仕事に駆り立てた。妻もそれを望んでいると思っていた。ヤマトが仕事に熱を入れれば入れるほど、妻と過ごす時間は減っていった。妻が何を思っているのか、ヤマトが理解できるほどの時間が、二人の間にはなかった。妻には寂しい思いをさせていたと今更ながら悔やむ。
 子どもを授かれば、状況は変わっていたかもしれない。残念ながら、妻は妊娠することはなかった。
そんなときに、ヤマトは、チャイルドタイプのアンドロイドを購入した。妻が喜ぶと思った。子は鎹というが、もしかしたら、このチャイルドアンドロイドが子どもの代わりになるのではないか、期待を抱きながら、自宅に帰った。
 妻はヤマトの意に反して、ただ泣いた。
 その後、捨てたチャイルドタイプのアンドロイドは、どうなったのだろうか。
「ヤマト警部補だって、もしかしたら自分自身が人間なのかアンドロイドなのかわからないかもしれませんよ」
 マリアの声で現実に引き戻される。沈みかけた意識の底は果て無く深い。
「俺がアンドロイド?馬鹿言うなよ」
「冗談ですよ」
 でも、とマリアが言った。
「私はわからなくなることがあります。時々、夢を見るんです。それも、決まって最後の場面は同じ」
 ヤマトはマリアを見た。マリアはうつむいていた。長い睫毛から影が頬に落ちている。
「出術台に寝かされているんです。複雑な電子部品や機械の部品が次から次へと運ばれてきて、プラモデルのパーツをはめていくように、私の身体が部品に覆われていく。その作業をしているのは、アンドロイドなのか人間なのかわかりません。私は意識があって、自分にされていることをただ眺めているんです。そんな中で、何時間も作業は続けられます。誰かが『脳を取り付けるぞ』と言うんです。最後には決まって、自分が完全なアンドロイドになったことに気づいたところで、夢が覚めるんです」
 ヤマトには、マリアが背負っている重荷の輪郭が見え始めていた。
物静かな雰囲気は、マリアが頭脳明晰で冷静な人物である所以ではない。マリアはそもそも快活な人間だったのだ。少女時代のマリアがそれを教えてくれた。十数年前のあのまま成長すれば、周りを照らすほどの明るい女性になっていただろう。
 だが、そうはならなかった。
 マリアは孤独に耐えて生きてきた。両親と兄の生を賭けた命をマリアは背負っている。マリアは命の重みを知っている。人間がなかなか気づくことができない重みだ。マリアは、その重みに静かに耐えてきた。
人は誰しも荷物を背負っている。その荷物の重さや形、頻度や期間は、人によって異なる。
 マリアもしかり。それは、ヤマトも例外ではない。
 マリアが空虚な眼で見つめてくる。私たちは生きている。その奇跡が、あなたにわかりますか、と無言で問うているようだった。
 彼女の内部に流れる血は、紛れもなく人間の血なのは確かだ。
 ヤマトは思った。マリアとなら、この事件は解決へ導ける。それは根拠のない、刑事の直感だった。

 車内に電子音が響いた。筒井ダン課長からの受信だ。ヤマトのエアタブレット上にダン課長の立像が出現する。
「捜査の進捗状況はどうだ?」
「被害者のことをよく知る人物に会ってみましたが、なかなか手がかりが掴めません。容疑者が人間なら怨恨など動機から捜査が進展しやすいのですが、アンドロイドとなると、いつものようには……」
 ヤマトは改めて事件の進展が思わしくないことを痛感して、頼りない口調になった。
「検挙率ナンバーワンのヤマト警部補も、相手がアンドロイドとなるとお手上げか」
 ダン課長の皮肉が耳に痛い。
「捜査本部の捜査で進展があった。リンダがジョー博士に購入されてから、優良アンドロイドとして定期点検をパスしていたことは前に伝えた通りだ。行方を捜していた点検業者が見つかった」
こいつだ、というダン課長の低い声と共に、気弱そうな老齢の男の立像が現れた。
「残念ながら、こいつは事件とは無関係だ。廃業した理由にも、怪しい点はない。高齢になったから隠居したという平凡な理由だ。今は、田舎暮らしをしている」
 ダン課長の立像があごを撫でながら話を続ける。
「こいつが、几帳面な店主でな。部品交換の記録台帳が残っていた。今から画像を転送する」
 すぐに帳簿の電子コピーが送られてきた。
 マリアもスマートカーのシートから身を乗り出すように、画像をのぞいている。
「奇妙なことだと思わないか。リンダの部品交換の記録が一度もないんだ」
 ダン課長の声が不穏な色を帯びた。


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