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『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』 坂井豊貴

構成員一人一人の意見が共同体の意思決定に反映される民主制。多数決は、その意思決定の代表的であり最も有名なプロセスだ。
その多数決を「疑う」という本書、内容が気になって読んでみたら、とても面白く勉強になった。

★多数決の弱点

著者はまず、多数決による決定において生じうるいくつかのパラドックスを、選挙という例を使って説明する。

(例1)
1人の有権者が1名の候補者だけに投票する単記式の多数決による選挙を想定した時に、まずここに、AとBという2名の候補者がいたとする。
有権者の60%がA支持、40%がB支持であり、Aの当選が予想されていた。
ここに遅れて出馬を表明したÁが現れる。
Áの支持層はAの支持層とかぶっていた。
そのため、A支持者の一部がÁ支持に流れ、選挙結果はA:Á:Bが35:25:40となりBの当選が確定する。
支持層の重なる2名の間で票が割れたため、本来の民意とはズレた結果となった。

(例2)
ここにX、Y、Zの3人の候補者がいたとする。
選挙結果はXの当選だった。
しかし有権者がどの候補者をどの順番で支持したかの内訳を見てみると、Xの得票数は確かに最も多いが、その人数を上回る過半数の有権者がX不支持者であった。
Yの得票数はXと僅差であり、Yを第二に支持する人数を鑑みればもっとも支持層が厚いYが選ばれるのが妥当であったところを、X不支持者の中で一位の支持がYとZに割れてしまったため、決定的な得票でXに負けることになった。

これでは、民主制の象徴である多数決のはずが、違和感満載ではないか。
この違和感を説明するのが、「票の割れに弱い」という多数決の弱点である。

多数決を安易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種である。

相当言っている。
もちろん著者は多数決の利点も認めている。選択肢が2つであれば、これほど明快な手段はない。問題は選択肢が3つ以上になった時に、信用がおけなくなることである。

多数決で人々の意見が適切に集約できないのならば、それは間違った方法を採用しているということになる、ということだ。
著者はここから出発して、より優れた意思集約の方式を模索していく。

★ボルダルール

多数決を含む集約ルールの研究は、フランス革命前のパリ王立アカデミーで本格的にはじまった。主導したのはジャン=シャルル・ド・ボルダとニコラ・ド・コンドルセ。
本書は2人の考案した集約ルールを順に解説、考察する。

ボルダは、各有権者が選択肢(候補者)に順位づけを行い、1位に3点、2位に2点、3位に1点というように、順位に従い等差で点数加算をして、最高得点を得た選択肢を勝者とするという意思集約ルール(ボルダルール)を考案する。
上記のX、Y、Zのパラドックスを解消する、優れた集約ルールだ。
(配点を等差にすることがポイントで、これを1点、1/2点、1/3点のような配点にしたり、配点を自由に割り当てる仕組みにしたりすると、齟齬が生じる可能性が出てくる。実際に試してみると納得できて面白い)

★コンドルセ

次に紹介されるコンドルセは、ボルダルールのような加算式の方法を批判し、これに替わる意思集約プロセスを提示した。
選択肢を2つずつのペアとして取り出してペアごとに多数決をして、それらの勝敗のデータを吟味して正しい順序を推測するという方法である。
しかしこの代替案は未完成であり、例えばX>Y>Z>Xのような、蛇が自分の尻尾をくわえているようなサイクルが起こり得る。
この問題に関しては、200年後に経済学者ペイトン・ヤングが「最尤法」を持ち出して補完したということだが、まだ、ふわっとした感が残る。

★正しい判断とルソーの一般意志

ここからはさらに根本的、理念的な議論が登場する。

陪審裁判では、被告の有罪無罪は陪審員の多数決で決定する。
まず陪審員が1人である場合、その多数決が正しくなる(真実に合致した有罪無罪の判断を下している)のは、1人中1人、つまり全員が正しい判断をした時である。
これが3人となると、全員が正しい判断をした時に加えて、3人中2人が正しい判断をしている時も、多数決の結果は正しくなる。多数決のもとでは、正しい判断をした者が半数をわずかでも上回れば結果は正しい方になるからだ。
そしてその確率は、陪審員の人数が増えるにつれ、100%近くまで上昇する。
「陪審定理」と呼ばれるこの定理は、コンドルセの議論を整理したものだが、コンドルセ自身が考えていたのは陪審ではなく通常の投票についてであったという。
選挙で到達するのは単なる個人の意見の集約ではなく、全社会のための真実であるべきという姿勢を、彼は強く持っていたのだろう。

つまり私は、私だけにとってよいと思うものを選ぶべきではない。自分自身の意見から抜け出たうえで何が理性と真理に適合するか選ばねばならない。(Condorcet 1785, pp.cvi-cvii)

投票において有権者が求められるのは、私的な利益ではなく公的な利益への判断であるという、このコンドルセの意識の源流になっているのは、ルソーの思想であるという。
本書ではルソーの入り組んだ論理の中から、「社会における意思決定」という文脈に焦点を絞って、人民主権や社会契約をおさらいしてくれるが、明晰で分かりやすい解説だ。
ここで、自由で対等な社会を運営するキーワードとなる「一般意志」が取り上げらるのだが、これこそ民主主義社会における難所であると感じた。
「自己利益の追求をひとまず脇に置いて、自分を含む多様な人間がともに必要とするもの何かを探る」意思である一般意志。まさに民主制の土台となる成熟した心理であるのだが。。。

★今ある仕組みを疑う

「民主化ルートの強化」という章では、民主制の名の下で事実上有権者の意思を黙殺した行政の執行が行われる現状に焦点が当てられる。

「いまある現実は、あるべき姿と混同されがち」という一節が胸に刺さった。
著者の指摘する「『いま現実がこうだから、それが民主制なのだ』という混同」は、平和に慣れた日本社会がまさに警戒しなければならないことだろう。

行政の暴挙を防ぎ、市民のニーズを正しく反映した行政執行が行われるための、俎上の案に対して有権者が金額で評価をするという「クラークメカニズム」が紹介されていて、その斬新さと巧妙さに驚いた。

☆☆☆

抽象論と具体例がほどよくミックスされ読みやすかった。
登場する定理やルールの解説は、数学的な頭の体操にもなる。

それにしても、意思集約の世界は面白いくらい奥が深い。
理性を働かせること、広い視野を持つこと、固定観念にとらわれないこと。正しい判断のためにおさえるべきポイントを、今一度確認したい。