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団塊世代/シーズン2:博打のバ、ギャンブルのブル

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シーズン2は、1988年4月から1992年3月の間の出来事を自分なりのバブル時代として掲載。登場する人物や企業の商権やプライバシーを配慮し、登場する人物、企業はすべてフィクション… もっと読む
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記事一覧

バブルの頃#116:外資=博打のバとギャンブルのブル -了-

1992年12月31日、事務所の備品を処分し、残った社員4人で近くのタイスキ(タイ料理)でささやかな昼食会をした。最後に電話回線を18時に解約。

ジャパンプロジェクトは消滅したが、法人化に向けて設立した子会社は株式会社として存続。代表は雇用契約に明記されていた多額のボーナスと相殺するかたちで、子会社を取得した。アドルフとは資本関係のない会社となり、東京にオフィスを移した。事務所の備品はすべてジャ

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バブルの頃#116:ジャパン総括「ジャパンプロジェクト解散」

考えられるすべての経験をしたと思う。仕事上やり残したことはほとんどない。
反省=解散
1988年春、アドルフの将来性に期待して横浜からニュールンベルグに仕事場を移した。言葉と文化の違いや嘘つき上司の存在などで馴染めないところもあった。1年の大半を海外と東京で過ごしたため、芦屋に残した家族とは5年間ほとんど話しをすることがなかった。1988年当時小学生であった息子たちは高校生になっていた。

家族と

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バブルの頃#115:ジャパン総括「企業への忠誠心」

企業はトップが替われば理念まで変更される。これでは一般社員の忠誠心は育ちにくい。国籍、宗教、民族の絆を通じた人脈によってポストが決まる。

ビジネスエリート集団による経営では、利益は上がってもブランドそのものの寿命は短くなる恐れがある。人材はブランドではなく、ビジネスエリートのまわりに集まる。この集団はひとたび企業のオーナーと対立すれば躊躇わずに魅力ある競合他社に移っていく。

一般社員は企業経営

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バブルの頃#114:ジャパン総括「ドイツ風ビジネスエリート」

1988年から1992年の5年間、ドイツ企業に在籍し、日本市場を担当する一人として四六時中、頭から離れることはなかったドイツのビジネスエリートたち。彼らは自分のジョブエリアではプロであり、たとえ知らないことがあっても、知っているとうそぶき切り抜ける。決して弱みを見せない。仕事は能率よく片付け残業はしない。休日は出社しない。時間内に終わらないのは、能率が悪く事務処理能力がないからだという。足を引っ張

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バブルの頃#113:日本オフィス総括「会話メモ」

某年7月10日(金)12:00~12:15
代表)今、M社の内藤さんから電話があって「話が違いますがどうなっているのですか」といわれたが、まったくどうなっているんだ。僕は何のことだかわからないから、答えられなかったが、どういうことだね。

経理)ただ私は代表から航空チケット代といわれましたので、その領収書とできれば宛名をジャパンで手配してもらえるよう、お願いしました。

代表)何をいっているのか、

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バブルの頃#112:日本オフィス総括「事務員」

ジャパンプロジェクトに参加して驚いたのは、事務員の質の悪さであった。学校を卒業して少しばかりの英語ができるので、優秀と勘違いをしながら外資に入社する。そこでは、上司の勤怠にあわせて仕事をする。上司が休めば休むし、遅刻することがわかっていれば朝はゆっくり出社する。もちろん上司が海外出張中は開店休業状態だ。
彼女らにも、言い分はある。
「男性社員は、なりふりかまわず、社内で権力闘争や派閥争いをして高給

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バブルの頃#111:日本オフィス総括「代表」

ジャパンの代表が詐欺師であるというのは、1986年から予想していたことである。会社は仲良しグループで運営されているのではないと考え、許容範囲にいれて仕事をしてきた。しかし詐欺行為と知っていながら部下として従えば、結局詐欺師の仲間になり、違法行為の共犯となってしまう。領収書の改ざん、架空出張旅費水増し請求などを目撃して、ジャパンの先行きに不安を感じた。

最初は、タクシー領収書の書き換えだった。気が

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バブルの頃#110:総括「CEOガイザー」その3

仏人オーナーは、95%の株を高く売却しようとし、一方の経営責任者は赤字を出して会社の資産価値を下げ、MBOを仕掛けた。この経緯が、業界ゴシップ新聞に詳細に連載され、社員は記事の内容を事実と認識していた。心ある人物は転職を選んだ。仏人オーナーはCEOを解雇すると脅し、CEOはやれるものならやってみろという。CEOは1年かけて有力なライバルを一掃していたので、もはやドイツ名門企業には後継CEOに指名さ

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バブルの頃#109:総括「CEOガイザー」その2

CEOルネ・ガイザーは就任2年目、大手広告代理店からマーケティングの責任者を招き、リサーチ会社に自社ブランド調査を依頼した。10CMほどの結果レポートを読んだ古参の幹部社員は、いままで蓄積してきたブランドイメージの理解と大差ないことを知り、調査費は浪費であると非難した。また、同じくリサーチ会社の社員を生産管理の責任者として役員待遇で迎えた。異業種からの人材と、前職や友人でチームを組み組織改革を断行

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バブルの頃#108:総括「CEOガイザー」その1

アドルフのCEOルネ・ガイザーは1992年1月、年内に辞任すると公表。しかしながら11月まで辞任せず、その間に多くのライバルを解雇し株主のフランス人投資家と覇権を競い、同時に替わりのパトロンを探してMBOでオーナー社長になろうとした。

ガイザーは、アドルフの2代目が急死した1987年当時、副社長で38歳であった。創業家は顧問弁護士を後継者に考えたが叶わずガイザーが就任した。2代目の4人の姉妹と2

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バブルの頃#107:日本オフィス閉鎖

1992年1月ドイツ本社CEOが年内に辞任すると発表。10月26日ドイツ、ニュールンベルグで開催されたセールスミーティングでジャパン閉鎖が発表された。11月6日 CEOガイザー辞任。12月31日 ジャパン閉鎖。ジャパンの代表はアドバイザーとして残り、ボーナスとして30万ドイツマルクを受け取る。(雇用契約に明記されていた)

総括
1987年日本法人を設立するため、連絡事務所が開設されたが、まず2代

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バブルの頃#106:会社売却

ふたつのブランドの創業者は兄弟であった。ニュールンベルグはヒトラーが旗揚げしたことで有名な場所だが、そのニュールンベルグ郊外の小さな村が発祥の地である。村の中心を流れる小川の両側にそれぞれ本社をかまえていた。弟が創業した会社はすでに香港の商社に売却されている。

1987年アドルフの2代目が急死し、2代目の未亡人と4人の先代の娘という5人の女性に所有権が移った。アドルフ家は相続税の支払いのために世

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バブルの頃#105:工場見学

台湾(台中)、中国(シンセン、上海)、フランス、ベルギー、イタリア、日本(九州、広島、阪神地区、横浜)のシューズ、ラケット、サッカーボール、スポーツバッグの工場を見学した。驚いたのはほとんどが手作業で生産していたことである。材料が天然皮革、石油製品、天然ゴムなどで、どれも悪臭、騒音、汚れのひどい職場環境である。中国のシューズ工場の女子工員の月給は70米ドル。

工場を訪問すると各職場のマネージャー

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バブルの頃#104:ルーティン

◆ISPO、SUPER SHOW、NSGA
年2回ミュンヘンのメッセゲレンデで開催されるISPOはスポーツ用品展示会の中でも最大規模のイベントであり、この会場では、いまだにアドルフ社は過去の栄光を保っている。アトランタで開催されるSUPER SHOWは名称と同じで派手なショーが来場者の楽しみになっている。ここは米国エキンの独壇場で、同社の商品開発力、広告販促活動、営業方針は他社の見本となっている。

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