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団塊の世代/シーズン3:春のうららの隅田川

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第二部のドイツ企業の資金を元手にニュールンベルグロンドン台中香港大阪を舞台にした「外資=博打のバとギャンブルのブル」に続き、自分なりの2個目のバブルの話です。第三部のバブルの舞台… もっと読む
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記事一覧

バブルの頃#139:自分なりの2度目のバブル崩壊

展望が切り開けなくなった時点で、内容が薄くなっていることがわかりましたので、本編をそろそ…

バブルの頃#138:4年間の総括

金は能力についてまわるとヘッドハンティングのコンサルタントがいっていた。今はそんなに欲し…

バブルの頃#137:1994年6月

生活が落ち着いてきたが、社内には敵対的な態度を示す古参の社員がいる。年齢が近い分、摩擦が…

バブルの頃#136:1994年5月

学校を卒業して以来、異動しても転職しても最初の職場のバーバーに毎月通い続けている。 この…

バブルの頃#135:4月

会社に新部門を新設してもらい、マーケティング課という名称をつけた。マーケティングマインド…

バブルの頃#134:1994年2月3月

2月 3連休の2日目と3日目が25年ぶりの大雪で、日銭商売は打撃を受けた。高速道路は通行止…

バブルの頃#133:1994年1月

外資から撤退して1年たった。 バブルの恩恵を受けて、あらゆる電気製品や事務用品の新製品を買い、それがまだ残っている。液晶パネル付のビデオカメラ、オールカーボンフレームでイタリアからサンプル輸入した自転車、ダイナブック1300GT、マックSE30など。 ビデオカメラは箱から出してもいない。自転車は道路を走らせたことがない。PCはエクセルの表すら作っていない。ファクス、電子タイプライター、レーザープリンタなどいつでも事務所が開ける機材が未使用に近い状態で陳列。SOHOのモデルル

バブルの頃#132:1993年12月

去年、ロンドンの経営会議で聞いた話。 「CEOは会社にとって必要な人間ではなく、自分にと…

バブルの頃#131:1993年11月 自分が辞めれば会社は困る

11月4日 古典落語を得意とする一門で、真打になっている友人と渋谷で食事をした。笑点でレギ…

バブルの頃#130:1993年10月1日

解雇したアルバイトの父親(乃木坂にある国の施設で通信部にいる)が不当解雇という書状を出し…

バブルの頃#129:1993年9月

毎日英文でのレポートやディストリクトとの取引や社内の覇権争いに翻弄され、あわただしく1週…

バブルの頃#128:1993年8月

1日 天気が良かった。ベランダに布団を干し、靴を磨き、サマージャケットを買い、ビールを4…

バブルの頃#127:1993年7月

4日 東京に拠点を移したが、10年以上借りていた横浜の駐車場は解約しなかった。生まれ育った…

バブルの頃#126:5年ぶりの日本企業。

この3月からの動揺、あせり、まよい、そして挫折感を忘れてはいけないと思いながら、一方では、忘れようとして安易な道を選んだかもしれません。 19日 職場の環境が変わったので、何となく精神不安定なような気がする。ゼロからやり直すといえばカッコウがいいが、つらいものだ。職があるということはないよりだが、大した仕事がない。不平不満はきりがない。狭いオフィスのなかで営業マン10人近くが、朝、お茶を飲みながら喫煙している。今は居候の身だから我慢するしかないか。土曜の朝、電車がすいている