見出し画像

金言745:始末書の思い出

初めて就職した会社には15年勤続し最初の事業所で始末書を2通提出しました。
一つは、指示通りに業務を遂行したにもかかわらず会社に10万円ほどの損失を出した時です。当時、600室のホテルのフロント係をしていて、予約受付係が予約カードに記載された連絡先に前日までに予約確認電話をして所在確認がとれているお客様に対して、チェックイン時に室料の2倍の前金をいただきました。
ところが、この方はルームサービスで高額なメニューをたくさん注文し、前金を超える売掛が発生しました。そしてチェックアウト時にいなくなりました。いわゆるスキッパーでした。経理が所在を確認すると、両親と連絡がとれましたが本人は居所不明でした。結局会社はこの売掛回収をあきらめ、職場長はチェックイン処理をした当日の担当者に始末書を書くように指示しました。
当時、指示どおりに仕事をして、その責めを負い始末書を書かされることに納得がいきませんでしたが、提出しました。始末書のひな形を渡され、経過報告の中に一言「結果として」という文言を挿入して提出しました。この5文字を支配人が納得しませんでした。本人は反省していないということで、「結果として」を削除して再提出を命じられ書き直して再提出しました。
今でもこの始末書提出を思い出します。指示通りに処理したことで不都合な事態が発生した場合、当日のインチャージ(当時遅番の責任者をこう呼びました)が責めを負うべきです。異常な額の伝票がフロントキャッシャーにリアルタイムで届いている時、これをチェックできる立場にあったのはフロントキャッシャーでした。チェックインを担当するフロントレセプションには、チェックイン後のお客様の売掛発生状況はわかりませんし、担当外のことでした。
何はともあれ、良き時代でした。だれかが始末書を書くことで一件落着でした。それにより、だれのキャリアも傷がつきませんでした。ババ抜きのようなものでした。何しろセレブの顧客から頂戴するチップが給料を上回る時代でしたから、会社も従業員も10万円の焦げ付きなど細かいことにこだわる必要はまったくありませんでした。あの頃の業界水準は湯水のようにコストを使い、原価の3倍の価格で売り、粗利は3割といわれていました。10万の売掛の原価は3万ですから客室1室売れば取り戻せる勘定でした、おおらかな時代でした。
思えば、あの始末書は損金処理の手順として、必要な書類を整えただけのことだったわけです。
2通目の始末書の顛末は忘れました。いずれにしろ、定型書類を提出して一件落着というお約束の業務フローだったような気がしています。

いただいたサポートはこれからやってくる未知のウイルス感染対策、首都直下型大地震の有事対策費用に充当します。