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決戦・設楽原

と言うわけで、今週は、どうする家康などを見ていたわけで…
設楽原、いわゆる長篠の戦、終わりましたねぇ…
「並の将なら退くでしょうな」
そう、状況を考えると、普通なら退く
1万5千と3万越えで、まともに勝負には、ならない

けど、武田勝頼には、退けない理由があった訳で…

つまり、あそこで決戦しておかないと、じり貧なんですよ
というのは、相互の国力差を見ると、よくわかる

1575年当時の武田家周辺の大名家の状況
・武田家=130万石
・織田家=450万石
・徳川家=40万石
・北条家=140万石with小田原城
・上杉家=110万石with軍神

さて、この状況でどこを攻めますか?という話で

似た国力の上杉や北条を攻めてみますか?
上杉は父親の信玄ですら苦戦した軍神、上杉謙信がいるわけで…
北条はその上杉謙信や父親の武田信玄すら攻めきれなかった小田原城を本拠地にするわけで…
つまり、攻めたからと勝てる保証は、絶対にない
それではと、織田本国と決戦するとなると、戦力差3倍以上
似た国力とか、そういう話じゃ済まない

となると、徳川以外は攻める所がないわけです

ちなみに、徳川を攻めるメリット
・武田の国力でも、圧倒可能
・織田の援軍が来るだろうが、所詮は援軍

援軍というのは、基本、本気で戦ってはくれません
守備側というのは、本土防衛戦で士気も高く、粘り強く戦ってきますが、援軍は違う。
援軍は、率いる将も兵も、ぶっちゃけ本気で戦ってはくれません
「お茶を濁して誤魔化そうか。命は惜しい」
と来るわけです

実際に1573年には武田信玄が率いて、徳川家康が大敗した三方ヶ原の合戦がありましたが、これには、織田の援軍が参加しています。その数3000
大河ドラマでもろくに戦わず織田の援軍は退きましたが、援軍というのは、まさにあんな感じなのです。
勝ったところで、よその国の防衛戦では自分の領土が増えるわけじゃなし、義理を果たせる程度で問題ない。という認識

となると、武田からすると
「織田は本気では戦わないだろうし、ある程度戦えば退く。そうすれば徳川だけなら、自分たちでどうにでもなるだろう」
そういう打算が成り立つわけです

というよりも、他に選択肢は、ない

三方ヶ原(1573年)の戦いのときは300万石だった織田の領地は、既に450万石になっている。そしてさらに増えていく様相を示している
ここで徳川40万石を吸収合併して、170万石にまでなれば、上杉や北条と相対するなりしても有利に戦えるし、同盟して信長包囲網を作るなりしても、主導的立場を握れる…

そう、合戦するしか、なかったのです…

おそらく、先代の武田信玄なら、退いていたでしょう
「織田の子倅め、よくやりおる。今回は勘弁してやろう」と
だが、その場合、結局は広がる彼我の国力差で、最後は潰されてしまう
設楽原で討ち死にした将が生きている分、いくらかの抵抗は出来ただろうけど、それでも最後は同じになってしまう
つまり、あそこで戦い、勝つ以外に活路は無かったわけです

武田勝頼
偉大なる先代の幻影に苦しめられながら、彼は、彼のできる範囲以上に奮闘し、自分の3倍以上の国力を持つ相手に設楽原の後も7年もの間、国を保たせる事が出来た名将なのかもしれない
ただ、時勢と立地が家の存続を許さなかっただけで…。

もし、気が向いたなら…