発覚時を振り返る
3年前
乳がんになった。
精密検査の結果を待たずに手術の日が決められた。
エコーや触診でもうわかる程のものだったようだ。
「検査は受けていなかったの?」
1年半前に受けたこと、エコーだったことを伝える。
「やっぱりマンモじゃないとね」
言われなかったけど、たぶん
「なんでもっと早く来なかったのか」と言いたかったんだと思う。
それくらい私のがん細胞は大きくなっていた。
手術はもちろん全摘。
「今の時代、乳がんは9割治るから」
先生がこの言葉を言ったからなのかもしれない。
私は自分が乳がんだとわかっても、泣いたり落ち込んだり悲観的になったりしなかった。
治療すれば治るんだな。
今思えば、歯医者さんに行って虫歯を治すくらいの気持ちだったような。
がんが実際に自分の胸にあること
それを摘出すること
実感できていなかったし、
自分の身に起こっていることと思えなかった。
リンパには転移していないだろう、とのこと。
でも開けてみて転移していたらリンパも取る、とのこと。
手術の説明があるまで、知識を身につけるのに役立ったのが、がん保険の資料だった。
がんになったとわかって、がん保険に連絡して、送られてきた資料がすごくわかりやすかった。
それを読んでリンパのこともわかっていた。
もちろん乳がん経験者のブログも読みまくり。
経験者の方の詳しいブログは本当にありがたかった。
なのでリンパ節に転移していないということが良いということもわかっていた。
このとき、長女小学3年生、長男小学2年生になったばかり。コロナで新学年になっても学校に行けずにいたときのことだった。
子どもたちは母が病気だと聞いても動じない。
母自身が実感できていないのだから、そうだよね。
長女は「ママが死んだらそのスマホもらえるの?」と聞いてきたので、
おそらく心の中では不安があったんだと思う。その不安を消すために、思ってもいないこんな言葉を発してしまったのだと思う。いや、そう思いたい。そうでなければ恐ろしい。
次女は1才になったばかり。
卒乳しても乳腺炎のしこりがなくならないことが心配になり受診したので、卒乳が遅かったら発見がもっと遅れていたかもしれない。
元々右側の母乳だけ飲んでくれなくて、ずっと前から異常を教えてくれていたのだけど。
子どもたち3人がいたら家で一人考えこむ時間もなく。もちろん1才児がいれば手もかかるし。
それもあったかなー。
泣く時間も嘆く時間もなかった。
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