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知的障害児・者の学びについて考える

noteの以前の記事「豊中市の障害児教育 実践編」「なぜ日本の学校は障害児を分けるのか」に続いて、知的障害児・者の学びについて考えていきたいと思う。
というのは、今年(2023年)”「障害」児・者の生活と進路を考える会”が主催する「子育て・教育講演会」に参加して、豊中市が掲げる「ともに学び、ともに育つ教育」がこの50年もの間全く進歩していないように感じられたからである。「豊中市の障害児教育②~原学級保障から原学級での学びの保障へ」で書いた”原学級での学びを保障しつつ、個々の子どもに合った支援のあり方は大きな課題”でありながら、「ともに」いることのみを推し進める人たちの圧力で、「学び」が考えてこられなかったのではないか、という気がしている。

あきひろが就学していた時に、当時の”障害児・者の進路を考える会”の人が言った言葉が今でも忘れられない。

「この子はだめだから、まわりの人に理解してもらう」

意味としては、障害をもつ子を無理に伸ばそうとしないで、周りの人たちに助けてもらいながら生きていけたらいい、ということだと思うが、「この子はだめ」と言い切って教えることを一切せず、社会に差別解消を求めることをしていけばいいというのが、この人たちの考え方だと私には感じられた。

それならば、なぜ学校へ行くのか。
健常と呼ばれている子どもたちが受けている教育とは何なのか。
それは障害をもつ子には必要ないものなのか。

私があきひろにも学ばせたいと思うようになったのは、学生時代のサークル活動や職場で障害をもつ子と関わった経験が影響している。私が関わった子どもたちは障害も程度も様々だったが、どの子も皆それぞれに成長していく姿を見せてくれた。当たり前のことではあるが、どんな子でもそれぞれの伸びる力があることを、その時にとても感じた。

あきひろに言葉や概念を教えていく過程では、学ぶということ、「わかる」「できる」ということは本来、人にとって嬉しいことだということを肌で感じた。あきひろは今までできなかったことができた時、本当に嬉しそうだった。それがさらに、もっとやりたいという意欲につながって、あきひろにとって”お勉強”は今でも楽しいことのようだ。
障害児に勉強を教えて何になると考えている人たちは、勉強というものをとても狭い意味にとらえているのではないだろうか。この子たちに学びの機会を与えないことは、彼らから学ぶ喜びを奪うことではないかと、私は思う。

障害を理由に子どもを分けないということと、ひとりひとりの学びを保障するということはどちらも大事なことであり、どちらも叶えるにはどうしたらいいかという議論がされることなく、「ともに」いることのみ重視されてきたために、障害をもつ子の親は、「ともに」の地域の学校か「学び」の支援学校かの選択を迫られるのが現状のようである。

50年前に重度の障害児を地域の学校に受け入れ、そこがスタートラインであったはずなのに、どうやったらその子どもたちが学べるかということが、これほどまで進んでこなかったことはとても残念だと思う。
障害児教育が教育の基本だと言われるのは、その子のもっている力を見極めて、どうすれば引き出せるかということを試行錯誤していくそのことこそが、どの子にとっても必要な教育だからではないだろうか。

発達障害や軽度の知的障害の子どもが、地域の学校にはうまく馴染めなくて学校に行かれなくなり、支援学校を選択することが増えていることを見聞きするが、それをインクルーシブ教育に逆行すると責めるのではなく、一人ひとりの子どもがどうやったら学べるかということを考え直す時期に来ているのではないかと思う。どの子どもにとっても学ぶことが喜びとなり、それぞれが豊かな人生を歩んで行くための教育であってほしいと思う。



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