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「私にもまだできることがある」

母に電話した。
母は失禁が膀胱直腸障害からくるものではなくて、圧迫骨折も現状程度安静が保てていれば大きく悪化することもないから、どっちにしろ手術はいらないし何かしらの麻痺にもならないと医者に言われたことがよほど嬉しかったようだ。私との言い争いから2日経ってみると、母の嫌いな月曜のデイサービスの話をしても、ベッドに丸まる人の話は蒸し返してこなかった。失禁問題からの放免が全体的な拒絶案件を半分くらい恩赦したようで、あれほど嫌がっていたデイサービスすらもそこまで嫌ではなくなったらしい。現時点で、だけど。


せっかくだからブーストをかけようと、適当に「お母さんはムードメーカーらしいよ」「ニコニコと手招きしてくるおばあさんは、きっとお母さんのことを慕っているんだよ」と言ってみたら、「でも何も会話なんか成り立たないよ」と自分本位に言うから、「おばあさんからしたら、元気に歩き回っているたった一人の利用者さんを見て職員さんみたいに親しみを持っているのかも」と反対の視点を投げかけてみたら、反応ががらっと変わった。

母はその視点の変化に食いついた。

私は役に立つなんて立派なことができると思ってはないけど、元看護師だし、会話はできなくてもおばあちゃんのそばで話しかけることはできる。私が話しかけたらとてもニコニコしている。その程度でも役に立つならこんなにうれしいことはない、と。

週2で通っているデイサービス両方の日付を、仲良しのお友達と合わせようかと訪問看護師さんと相談していたが、そちらにしても、孤独な人生を歩んでいるお友達にとってお母さんは頼もしいのかもしれないし、デイサービスで出会う人に、何かしてあげられることが、お母さんにはあるのかもしれないね。

これは母にとって、ものすごく嬉しいことだったようだ。
まだ私にそんな道が残されていたなんて、と。
月曜日のデイサービスでは、自分はしてもらう側じゃなくて「してあげる側」の人間かもしれないという認識が、大きな自信になったようだった。
人間にとって、求められる「場」があることは、こんなに大きなことなんだなと今日、思い知った。


母は完全独居は難しいけどできることもまだ色々ある。母はまだ、誰かに気にかけてもらうという形での「居場所」じゃなくて、「必要とされる居場所」を自力で作れるのかもしれない。
何より母自身がそう思ったみたいで、驚くべきことに、もう全く未練はないといっていた書道に実は未練があって、小筆で小さな作品を書くだけでもいいからやってみたい、なんてことまで言い出した。
母は何十年も書道をやっていて、準師範までストレートで上がったけれど、師範免許の試験でいろいろあって落ちたのにへそを曲げて、そこそこ評価も高くて書が雑誌に載ったりしていたのに、辞めるだけでなく道具も作品も皆捨ててしまったのだった。

でも、高い硯と小筆を何本かは残してあるらしい。

今度行ったときに、余裕があったら、書道の道具を探しに行ってもいいかもしれない。きっとそれは、母が自分の内側に目を向けるいい機会になるはずだ。80を超えても、認知症になっても、まだ新しいことができる。なんて本人が自信を持てる小さな一歩が踏み出せたら、母の生活はずっと晴れやかになるだろう。

そんで、当然私の人生もぐっと楽になる。
母が私のほかに目を向けてくれる可能性が残されている、かもしれない。
あまり大きな期待はしないでおこう。

でも、人間の能力って、わかんないなあ。

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