見出し画像

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』 若林正恭

 20代。
 ぼくの部屋にはエアコンがなかった。エアコンというものがこの世に誕生する前、エアコンがないことが辛くて自殺した人間はいるだろうか?
 ぼくはエアコンがないことが辛いのではなくて、エアコンをほとんどの人が持っているのに、自分が持っていないことが辛かった。

 もちろん、カストロもゲバラも魅力的だ。男として心酔したくなる部分も多い。しかし、革命博物館でぼくの心をとらえたのは彼らの政治的なイデオロギーではなく彼らの”目”だった。バティスタ政権を打倒しようとする若者のような目をあまり見たことがなかった。

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか? あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

というゲバラの名言がある。
 ぼくは革命博物館で涙を流さなかったし、今の生き方も考え方も変えるつもりはなかった。だけど、ぼくはきっと命を「延している」人間の目をしていて、彼らは命を「使っている」目をしていた。

……新自由主義に競争させられていると思っていたが、元々人間は競争したい生き物なのかもしれない。

 元々、良い服が着たい生き物。
 元々、良いものが食べたい生き物。
 元々、良い家に住みたい生き物。

 それは当たり前なのだが、それが「元々、平等でありたいという気持ち」をだいぶ上回っていたというところが、社会主義が「失敗したもの」と言われる所以ではないだろうか。
 で、競争心に寄り添ったのが資本主義であり、新自由主義だとすると、やはり「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」ということがマッチベターとなるのだろうな。

 ただ、格差が広がって上位5%しか勝てないような競争は上位5%の人たちしか望んでいないのではないだろうか?
 月並みな言葉だけど、バランスだよな。
 だが、人類の歴史でそのバランスが丁度よかった国や時代など存在するのだろうか?
 感じ方も人によって違うし、勝てている人にとってはその場所と時代が丁度いいのだろう。
 個人的には「めんどくさいから、中の上でいいんだよ」である。

 小学生の頃のとある日、親父とぼくは隅田川沿いの公園でキャッチボールをしていた。帰りに、滑り台の前を通りかかると、1学年上の男子児童数人が集まっていた。滑り台の上には、腕を骨折でもしているのか、三角巾で吊っている子が体育座りのような恰好で泣いている。他の児童が下から「早く滑れよ!」と囃し立て、他の奴らは笑っている。

「ちょっと待ってろ」

 親父はそう言うと、滑り台の方へゆっくりと歩いていった。ぼくは視線を足元に落とした。しばらくして、チラッと目をやると親父が滑り台の下の児童たちに向かって何かを話している。ぼくは視線をまた足元に戻した。しばらくすると、子供たちはふてくされたような足取りで滑り台から離れていった。
 その後、三角市の子は滑り台を下りてきて、親父はその子の手を取って立ち上がらせた。
親父はその子の頭を撫でるとこちらに向かって歩いてきた。

「行くぞ」

 ぼくは親父の後ろをついて歩きだした。その日から今日まで親父はずっとぼくのヒーローだった。

 親父が死んでから、ぼくは悲しみたかった。
 でも「俺は物心ついた時から親父はいなかった」とか「37歳まで親父が健在だったんだから幸運じゃないか」と言われると、悲しんではいけない気がした。
 東京では。
 この街では、肉親が死んだ時に悲しみに暮れることさえも、自意識過剰になってしまっている。
 だから、逃げることにした。

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』若林正恭


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?