ロードバイク履歴書|季節関係なく14年走り続けてきた軌跡
スポーツ歴
子供の頃からスポーツは水泳・サッカー・剣道・バドミントン・テニスと色々やってきた。中でも一番長いのは幼児期からやっていた水泳で10年弱ほど。
この中で一番好きだったのは剣道やけど、中学3年間取組み、入学した高校が全国クラスの部活だったのでやるならスタメンがいいと思い打算的にスタメン取れそうなバドミントン部へ。
でもバドミントンは性格上合わないというか競技として自分にとってはあまり楽しめなかった。
大学に入り興味を持っていたテニスのスクールに2年ほど通い、スポーツとしてとても好きだったので友人らとも趣味として大学院卒業するまでちょくちょくやっていたけどコートの予約抑えたり、そもそも一人でやれる練習が限られるので社会人になり自然と離れて行った。
ロードバイクとの出会い(2009-10年)
そんな経緯もあり、継続的に取り組んだことのあるスポーツがないのが若干コンプレックスであったりした。でも大学4回生からM1に進学するタイミングではじめたロードバイクにハマり、結果的に自分にとって10年以上続けている最長スポーツとなった。
弟も同時期に購入(表紙の青いGIOS)したので、一緒に走る仲間には最高に恵まれていた。当時は当たり前やったけど、家から出て帰るまでずっと一緒に走れるのは思えば最高なことである。
時間が合えば週末は一緒に走りに行くけど現役バスケットマンであった弟には常にひきづり回される形で兄としての威厳はゼロであった。。
たまたま高校時代からの友人も兄弟でロードに乗りはじめた、ということで一緒に琵琶湖一周したりと充実した自転車ライフを送り始める。研究室の向かいにはジムがあったので実験の合間に筋トレもしてた。
その年の9月には初めてのレースに出場。今も忘れることはない北播磨エンデューロ。ここで初めてのレースだったのに年間ポイントがもらえる位置でゴールできたのもロードにハマって行った一因と思われる。
リザルトを今になって調べると実業団でも上位の成績の人が優勝してたから初レースとしては健闘した方だと思う。
周りがカーボン車ばかりなのに対して10万円のアルミ完成車で挑んで上位に食い込めたのは性格悪い私からしたら快感だった記憶がある。今となってはカーボンに乗っているので逆の立場という・・・
何気なく調べたら22年12月時点でも当時の写真がallsportsで再掲載されていて驚いた。
その他では淡路島、しまなみ海道を弟と一緒に走破。淡路島で初輪行を経験した。
この経験を元に車で自転車を運べる方が自分にはあってると思い車を初代フリードにした。ファミリーカーなので結果結婚して子供が2人いる今も乗り続けている。何気にもう13年乗ってる。
社会人になっても乗り続ける(2011年3月-2014年4月)
2011年からは就職で愛知県配属に。人生初の海が近い生活。数ヶ月は社会人生活に慣れるまで殆ど自転車に乗れず。でも、それ以降は会社の先輩や後輩と一緒にサイクルライフを満喫。
この頃が一番色々なレースに顔を出していた。
関東に行っても乗り続ける(2014年5月〜2020年12月)
全然自転車仲間がいないので最初の1年は1人で江戸川走ったりショップチームの練習会に参加してみたりして走る場所を探していた。
でも大所帯でワイワイとやるのが余り性に合わない自分は、何回か顔を出すだけで終わるを繰り返す。
気心知れたわけでもない多くの人に気を遣いながら走ったりコミュニケーション取るのが地味にストレスなんやと思う。1人でも気心知れた人がいれば全然違うのやけど。
結局ひとりで走る方が気楽で段々とそちらに流れていく。
この年、ひとりでレース出ることを初めて経験したけど、レース会場で話す仲間もおらずもう寂しすぎて嫌になった。この時、関東でも本気で仲間を作ろうと心に誓った。
そして2015年は色々とチームを探すもしっくりくるところが見つからず「自分で作った方がはやいわ」という結論になり某サイトで一緒にチーム立ち上げてくれる人を募集した。
これが自分の中でも一つの大きな起点となった。8月に募集を開始。翌日には連絡が入り、9月末には3人で幕張のレースに出ていた。人が集まるんかな・・・?と思っていたけどあれよあれよと同志が集まってきてくれた。
人が入ったり抜けたりを繰り返しながらも結構な人数が集まった。
今はチームとしての活動はないけど、ここで繋がったメンバーも今でも繋がっているメンバーもいて、とてもよかった。
様々な人がいて自転車の楽しみ方の視野を広げてくれた。自転車だけじゃなくて生き様も。とても感謝しています。
悔いが残るのは、 チーム立ち上げて1ヶ月後に第一子の妊娠が発覚したりでプライベートが忙しくなり、自転車にもあまり乗れない状況な続いたためチーム運営をまともにできずにいたこと。
でも最低限器は作ることができたと思っているので許してください。
チームとしてまともに活動できていたのはごく僅かやったけど、関東に来ても自転車を楽しみ続けることができたのはこの時集まってくれたメンバーのおかげ。感謝してもしきれない。
この頃からメンバーとの活動時間や場所が合わなくなってきたので、家の近くを拠点とする他のチームにも顔を出すように。ここで知り合ったのが今のチームにも繋がるyzさんとの出会いだった。
2019年に第2子が生まれてからはますます自転車に乗る時間は無くなっていき、レースの出走も激減していった。安産祈願は妻が里帰り中にyzさんと登山にて。
コロナ禍でも屋内屋外関わらず乗り続ける(2020年1月〜現在まで)
自転車に乗る頻度が激減する中で、今度はコロナ禍に襲われる。そこでついにZWIFTの導入を行い、それをきっかけに久々に学生以来の日常的にトレーニングができる環境ができた。
コロナ禍になるなんて思ってもなくて新車を発注して20年3月に納品された頃には外が走りづらいという悲しい状況でもあった。
そんなこんなで今(23年4月)に至る。ということで色んな環境変化がありながらも、自転車に乗り続けている現状を考えると簡単に自転車を辞めることはないんやろなあ、と振り返って改めて思うのであった。
15年に立ち上げたチームのメンバー、yzさんの人脈、STRAVAでナンパしたりで今なお新たな仲間が徐々に増えている。
なんて幸せなことなんでしょう。
20年以降は最近のことすぎるので振り返るのはやめとこ。自己満振り返りにお付き合い頂きありがとうございました。
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