見出し画像

【考察】組曲とかセレクションはなぜ存在する? 〜作曲家の生き残りをかけた苦肉の策〜

バレエやオペラなど数時間に渡るクラシック音楽は現代でいう映画のような壮大なスケールの作品です。
しかしながら時間がない人は今も昔も存在します。そんな方々にも長時間作品の魅力をかいつまんで知ってもらおうとしたのが『組曲』や『セレクション』といったものです。

○管楽器や弦楽器や声楽を用いた演奏の成り立ち
○現代の話
○組曲やセレクションへの問題提起
○おわりに
○クラシック音楽の成り立ちについて
○今後の計画

本日のお題目

○管楽器や弦楽器や声楽を用いた演奏の成り立ち


主にかなりざっくりカテゴライズすると、
民謡
協会音楽
軍楽隊


そこから派生・進化して

宮廷などの上流階級向けの室内楽演奏会(現代でいう会員制とでも・・)
酒場などでの大衆向けの演奏会(上流階級の流行を知れる場であった)


時代が進むと
ベートーヴェンが会員制演奏会を廃止する立役者に。(史上初のフリーランス作曲家でも有名ですね)
G・ホルスト(ジュピターなどで有名な)軍楽隊と室内楽を1つのものにし、吹奏楽として確立し始めた。

この中の上流階級向けの演奏会で長めの曲が演奏されていた中で、一般市民も流行の曲を聴きたいという需要があったため、管楽器奏者がアルバイトとして一般市民が集う酒場でオーケストラの曲を自らアレンジして演奏していた。

源流は管楽器奏者が自らアレンジして演奏から始まっていたことになりますね。

最初はいわば非公認なところから始まっていましたが、オーケストラなど編成が大きくなったり演奏スタイルが多様化してくると作曲家が得意な楽器で作曲して、それを編曲するというスタイルも出てきます。
例えばピアノが得意な作曲家であればピアノの楽譜で作曲をして、次にオーケストラの楽譜に肉付けをしていく、など。
そんな感じで、ついで?というか公式にさまざまなアレンジが出てくるようになります。

ヴィヴァルディやバッハのように宮廷の雇われの身や家族間だけで完結していた作曲家と違いベートーヴェン以後からのフリーランス作曲家も競争の時代が激化してきます。そこで心配なのは、「今は人気だけど自分が死んだ後にこの作品忘れられないか?」ということです。
今回は出典元である音楽之友社出版【チャイコフスキー バレエ組曲《白鳥の湖》作品20】を例にしたいと思います。

演奏会用組曲についての項より

1882年に、チャイコフスキーはバレエ《白鳥の湖》の楽曲の中から演奏会組曲を創ることを考えた。(中略・以下手紙を送った内容)「バレエがその場限りのものなので,彼はその中から演奏会組曲を創りました。先日,私の《白鳥の湖》のことを考えて,いくつかの良い楽曲を含んでいるこの音楽の忘却から守りたいと思いました。」

まず1880年代どんな時代背景だったかというと、日本は明治で初代総理大臣(伊藤博文)が選出された時代です。
自動車の進化や国交貿易に進化が現れたりしました。(冷凍肉の輸送に成功したよう。出典:Wikipedia)
産業革命は英国から18世紀に起こった訳ですが、蒸気機関自体は17世紀から存在するので、今までは馬車などでそれほど遠くの範囲まで移動できないことや、娯楽の少なさにより音楽鑑賞というジャンルが守られていたのが、この先そうでもなくなるという予想は安易にできたと思います。
そうでなくとも、今は売れっ子作曲家でも死後は忘れられた存在というのに危機感を示して、より身近な音楽をということで演奏会組曲を創る原動力になったのではと思います。

また後日作品の詳細を紹介できたらと思いますが、【チャイコフスキー バレエ組曲《白鳥の湖》作品20】の演奏会用なのですが、公式でさえ順番が入れ替わったり、なぜその曲?みたいな。指揮者によっては必ずそのセットリストではないという何とも複雑な感じなのです。
これはチャイコフスキーだけかもしれないですが、オペラの話の流れに即した、というよりかは単にメロディが良いからこれにしようみたいな決め方だったのかなと思います。(この辺ちょっとよくわからないですが)

○現代の話
現代でも一つの曲を複数アレンジは作曲家が出している場合もあれば、いわゆるカバー曲ということでほかの演奏家(いわゆる歌手とか)がアレンジしていたり、複雑化しています。
日本の吹奏楽に限定していうと、日本吹奏楽連盟主催のコンクール(いわゆる夏のコンクールですね)は時間制限があるため、それ用に作曲家が作曲したり、それでも間に合わない場合は出版社が編曲したり、それでもダメな場合は部活の顧問の先生が編曲(抜粋)したり、この辺は意見が分かれるところです。

○組曲やセレクションへの問題提起
個人的には抜粋系は嫌いな人間なのですが(小学校の時の移動音楽教室の一楽章だけとか許せない人間だった)、プロが自然に辻褄を合わせてくれるのは良いのですが、曲の構造理解が不十分なまま一部分を切り取っていく現代の編曲のあり方には賛同し得ないなと感じております。
この話は難しいのと、ここ何年か吹奏楽の世界から離れたので関心が薄くなってきたので、5年前だったら語れましたね。この話題は関心が強い方に丸投げしたいと思います。

○おわりに
今回は長年の疑問【組曲やセレクションの存在意義】に焦点を当てました。
ふつうに原曲をそのまま演奏すればいいと思うんですよ。
でも他にもやることがあったり時間が限られている中でそれは違うなというのが当時からあったということ。
キャッチーなフレーズからその作品を好きになってもらって、その作品を忘れないでほしいという作曲家の意図だったり、さまざまなんだなと感じました。
ある意味テレビCMも15秒の中で説明しているのも、本来はプレスリリースで長い文章を読んでもらって・・をかいつまんだ結晶が15秒のCMな訳ですよね。
という良い面もあれば、抜粋することで新たな誤解性も生まれることを考えることも大切だなと。
最近私はジブリ映画の裏話のyoutubeにハマっていて、映画の宣伝のキャッチフレーズで鈴木敏夫と宮崎駿が揉めたという話だったり(もののけ姫だったか。アシタカせっきのくだりですね)取り扱い注意なところですかね。

○クラシック音楽の成り立ちについて
この話をするにあたって冒頭に成り立ちをざっくり書いたのですが、この辺の話も詳しく書きたいなと思っています。
音楽の歴史概要みたいなところは学生時代研究していて、90分の授業を三人で割るはずが二人欠席して尺を全部使って解説する伝説的講義をしたことがあるくらい濃い内容なので、その辺もまとめていければと考えています。

○今後の計画
久々に演奏会に出るので(只今リハビリ中)演奏旅行実況みたいなこと考えています。

拙い文章ですがお読み頂きありがとうございます! 私の詳しくは https://t.co/c3ikR7p8Ht インスタ: https://www.instagram.com/cbyoshida/