見出し画像

第15号(2018年11月30日) INF問題とロシアの言い分


存在感を増す「軍事大国ロシア」を軍事アナリスト小泉悠とともに読み解くメールマガジンをお届けします。
定期購読はこちらからどうぞ。

【インサイト】INF条約違反疑惑に関するロシア外務省のブリーフィング

 今週は「質問箱」のコーナーをお休みして、新コーナー「インサイト」をお届けしたいと思います。
 ロシアが1987年の中距離核戦力(INF)条約に違反して長射程地上発射巡航ミサイル(GLCM)9M729(NATO名:SS-C-8スクリュードライバー)を配備しているとの疑惑が持たれていることについては、本メルマガ第10号(2018年10月26日配信)でも紹介したとおりです。
 これに対して米国のトランプ政権はINF条約からの脱退を表明しており、アルゼンチンでのG20サミットに合わせて12月1日に開催される予定の米露首脳会談で協議が予定されていました。「いました」というのは、先日発生したアゾフ海でのウクライナ軍艦艇拿捕事件によって開催中止が決定されたためです。とはいえ米露両首脳は核軍縮に関する話し合い自体には前向きなので、いずれこの問題は首脳会談の議論に登るものと思われます。

 閑話休題。
 米国の指摘に対し、最近のロシアは「たしかに9M729というミサイルを配備してはいるが、条約違反の射程では試験していない」という主張を展開するようになりました。上記の本メルマガ第10号で紹介した、リャプコフ外務次官による2018年10月3日のブリーフィングがその典型例です。
 ここで外務省が出てくるのは日本的にちょっと違和感がありますが、冷戦期以来、軍備管理交渉は米国務省とソ連/ロシア外務省が担当してきました。このため、ロシア外務省はリャプコフ外務次官やアントノフ駐米大使(一時期、国防次官として国防省に出向)など、核戦略家を数多く抱えています。
 そのリャプコフ外務次官が、11月26日、ロシアのINF条約違反疑惑について反論する詳細なブリーフィングを行いました。主張の多くは従来からロシア政府が繰り返してきたものですが、新たな論点も幾つか含まれているので「インサイト」として取り上げようと思います。

 第1に、リャプコフ外務次官は、INF条約の意義を高く評価しています。それは射程500-5500kmの地上配備型ミサイルを米ソ間で全廃するという画期的な条約であり、欧州大西洋地域の安全保障に大きく寄与するものでした。
 しかし、第2に、ミサイル技術の拡散によって米ソ(露)以外の国々がINF相当のミサイルを保有するようになったことで、INF条約を「強化」する必要が生じたとリャプコフ外務次官は指摘します。2007年以降にロシアが提起し、結局は受け入れられなかったINFの「グローバル化」がそれです。
 第3に、ロシアが保有する地上発射型巡航ミサイルの一つに関する米国の主張は受け入れられないとリャプコフ外務次官は述べています。ここでリャプコフ外務次官は、米国の主張が「INF条約で禁じられた射程で実験を行った」というものであるとしていますが、これは事実に反します。
 本メルマガ第10号で触れたように、INF条約ではGLCMに関して「当該ミサイルの標準設計形態において燃料が枯渇するまで飛行した場合の発射地点から落下地点までの飛行経路を地球の表面上に投影した場合の最大距離と見なす」と規定されているためです。
 米国の主張はまさにこの点を問題にしているのであって、実際の試験における射程だけを基準としたIRBM(中距離弾道ミサイル)とは出発点がそもそも異なっているわけです。
 そこで問題になるのが、9M729/SS-C-8の最大射程がどのくらいになるかです。
 この点についてリャプコフ外務次官は、次のように説明しています。

・ロシア軍には確かに9M729というGLCMが存在する
・これは9K720イスカンデル-M戦術ミサイル・システム用巡航ミサイル(9M728)の改良型である。主な改良は弾頭部に関係している
・同ミサイルは2017年9月18日、「ザーパド2017」演習の一環としてカプスティン・ヤール演習場から最大射程で試射された。飛翔距離は480kmであった
・同ミサイルはそれ以前のバージョンと同様、INF条約に違反する距離で設計されておらず、試験もされていない

 このように、リャプコフ外務次官は9M729の存在を認めつつも、あくまでも9M728の弾頭を改良したバージョンであって射程は伸びていないと主張しています。この点は発射試験の射程ではなく、性能自体を問題としたINF条約の規定を意識したものでしょう。
というのも、9M729については(9M728の改良型というよりも)艦艇発射型の3M14カリブル巡航ミサイルをGLCM化したものであるという見方が有力であるためです。カリブルの射程は1500-2000kmくらいとされていますから、9M729がそのGLCMバージョンであるとすれば、発射試験の射程を何kmに抑えようともINF条約でいう「性能」の規制に抵触することは明らかです。
 さらにリャプコフ外務次官は、米国が「9M729の発射試験は燃料を減らした状態で行っている」と主張していること(つまり満タン状態では本来の射程はもっと長い)について、9M729の燃料システムに関する特性を「照らし出した(подсветить)」としています。ここでリャプコフ外務次官が「照らし出す」という言葉を用いた理由ははっきりしませんが、9M729の燃料システムに関してなんらかの情報提供を行い、米国の主張に反論を行ったのだと思われます。
 それにしても、9M729が昨年の「ザーパド2017」演習で発射されていたというのはちょっと驚きでした。「ザーパド2017」の実施期間中にロシア国防省が発表した情報にはカプスティン・ヤールでのミサイル発射訓練は含まれていませんが、少なくともこの時点では9M729が試験段階を脱し、実戦的な兵器となっていたことが伺われます。

 また、9M729が9M728の改良型であるというリャプコフ外務次官の発言は、もうひとつの問題を孕んでいます。この主張を素直に受け取るならば、9M729は9M728と同じく、イスカンデル-M用の9P78-1自走発射機ないしその改良型から発射されている可能性が高くなるためです。こうなると、9M729がINF条約違反と認めたが最後、イスカンデル-M全てが条約違反の発射プラットフォームということになりかねず、ロシアが米国の主張を容れる余地はさらに狭まったものと思われます。

(追記)
 リャプコフ外務次官が9M729を9M728の弾頭部改良型と表現したことについては、9M728の核弾頭型であるという解釈もたしかに成り立つでしょう。イスカンデル-Mから発射される9M728 GLCMと9M723 SRBMは高い命中精度を誇り、核弾頭の搭載はあくまでもオプションとされてきました。
 ただ、単に弾頭が通常型から核へと変更されただけでは、射程距離がINF条約の制限範囲下限である500kmを大きく上回ることはないでしょう(数十〜100kmくらい超えるのは「おまけ」してもらえるものと思われます)。
 米国がこれだけ執拗にロシアのINF条約違反を訴える以上、9M729の射程は9M728のそれを大幅に上回っている可能性がやはり高いのではないでしょうか。

関連記事

【今週のニュース】空挺部隊の「機動軍」化?

・11月16日、外国武官団との会見に臨んだアレクサンドル・ヴャズニコフVDV(空挺部隊)副司令官は、将来のVDVには独自の「航空部隊、防空部隊、ミサイル防衛部隊」が配備されるとの見通しを示した。
 VDVが陸軍から独立した「独立兵科」と位置付けられる戦略兵力であるが、固有の航空兵力は持たず、防空能力についても歩兵携行型防空システム(MANPADS)程度しか保有していない。あくまでもVDVは緊急展開兵力であり、あと詰めで展開してくる陸軍主力との連携が前提であるためだが、VDVを大幅に強化して、「機動軍」化しようという議論はソ連崩壊後の初期段階から存在してきた。
 今回のヴャズニコフ発言が軍内部でどの程度調整されたものであるかは不明だが、今後のロシアの軍事態勢を考える上で、その行方が注目される。


【NEW BOOKS】Weapons of the weak: Russia and AI-driven asymmetric warfare

“The Uncertain Future of Warfare,” Stratfor, 2018.11.21.
・Nicu popsecu and Stanislav Secrieru eds., Hacks, leaks and disruptions: Russian cyber strategies, Institute for Security Studies (European Union), October 2018. 
・Alina Polyakova, Weapons of the weak: Russia and AI-driven asymmetric warfare, 2018.11.15. 

 最近、テクノロジーと軍事イノヴェーションの関係に関心を持っており、慣れないAIやらサイバーやらの文献にも手を出し始めました。今回はその中から、比較的最近出たものをご紹介しています。
 特に最後のポリャコワ論文は、常に西側に対して劣勢に置かれがちなロシアの「非対称戦略」という文脈からAI兵器開発を扱っている点に興味を惹かれました。


【編集後記】前回はおまけということで

 前回の第14回を発行する段になって知ったんですが、発行日が祝日の場合は本来、メルマガもお休みなんですね。知らずに書いてそのまま発行してしまいました。おまけみたいなものと思ってご笑覧いただければと思います。

 一方、今回は「インサイト」という新コーナーを導入してみました。特に読者の方からご質問があったわけではないんだけれどメルマガで取り上げたい、というテーマをこのコーナーで紹介していくつもりです。
 再来週には旧ソ連バルト諸国のラトヴィアとエストニアを訪問する予定ですので、「見聞録」のコーナーもいずれお楽しみに。

 11月のメルマガはこれで最後です。
 次回の配信はとうとう12月。1年が経つのが本当に早いですね。
 急に寒くなってきましたので皆様もお風邪などひかれませぬよう。

===============================================
当メルマガでは読者のみなさんからの質問を受け付けています。
ご質問はnuclearblue1982@gmail.comまたは質問箱(https://peing.net/ja/cccp1917)まで。
いただいたご質問の中から、読者の皆さんに関心が高そうなものについて当メルマガでお答えしていきます。

【発行者】
小泉悠(軍事アナリスト)
Twitter:@CCCP1917

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?