その街角に_ヘッダー

その街角に似合う帽子

ファーストデートなんていう言葉、常日頃の生活の中で、そうそう思い出したり使ったりはしない。でも、こんな風に問いかけられてみると、案外魅力的で、なにやら便乗したい気持ちがサワサワと。しかし、そこではたと思う。何をもって、ファーストデートと呼ぶのか。

もちろん、ちゃんと一般的な意味があることは百も承知だが、でもこれ、考えようによっては、なかなかに興味深い切り口ではないだろうか。なぜなら、その他大勢でうようよと繰り出した中に、意中の人がいたならば、それはもう密かに「私の」ファーストデートと呼んでみたいと思うだろうし、なし崩しに付きあわされて、ニヤニヤされた時間をそう呼ばなければならないというのなら、そんな理不尽なことありえない!と思わず抗議したくなるのも本当だろうと思うからだ。

なので私はまず、私にとってのファーストデートの定義なるものを作ってみることにした。マイnote はマイワールド、ちょっと強引だが許されるだろう。というわけで、ここはもう、とことんこだわりたいと思う。

ファーストデートとは、ある特定の一人と、前もって約束を交わし、かなりテンション高めで指定地に赴き、二人だけで「素敵すぎる」時間を初めて過ごすというもの。

これでもかの条件付きである。でもこれでいい。これは特別なことではなくてはいけないのだと、なぜかそう強く思うからだ。「初めての◯◯」なんて、大体は失敗作に近いものだったりする。だから、これくらいは夢を見させてほしい。それを踏まえた上で振り返る。あるのか、あったのか、なんだった?

遠い時間を掘り起こし、絞りに絞って引き出した結果、飛び出してきたものに私は深く納得する。そして、ああ、よかった。私のファーストデートなるものがこれでよかったと、しみじみ思う。

週末ともなれば、待ち合わせて深夜まで盛り上がっていた私たち。何もかもが弾けていたような時代、私を呼び出す、他の大学に通う先輩たちの弾けぶりも相当なものだったが、その傍らにひっそり便乗する私は、数ヶ月前までは制服を着ていたお子ちゃまだったわけで、そんなお姉様方に比べると随分と控えめで、好印象だったのだろう。グループの強力なスポンサーである先輩のおじさまに、もっと我がままを言っていいんだよ、と思いのほか甘やかされることとなった。

会うのはいつもきらびやかな夜の女子会。紳士で大人なおじさまは先輩たちにいつだって大人気だった。そんなおじさまが私を甘やかす姿を見て、先輩たちには随分はやし立てられたりもしたが、私には、頼りがいのあるお父さんみたいな人で、それ以上でもそれ以下でもなかった。

私は思っていたのだ。長い夜を過ごしても、結局は付かず離れずの私たちは、おじさまにとってきっとちょっとかわいいだけのお人形なのだ。才色兼備という言葉がぴったりな先輩たちならいざしらず、若さだけが取り柄のような私なんて、一人前の女性扱いされなくて当然だろう。けれど、目一杯精一杯背伸びしたい、誰かの唯一無二になりたい、そんな繊細なお年頃だった私は、やっぱりどこかでモヤモヤした気持ちを抱えずにはいられなかった。

その夜、一人帰り着いた部屋で大きなため息を吐き出したとき、電話が鳴った。反射的にそれを取った私は、思った以上に愛情に飢えていたのかもしれない。それはおじさまからの電話なのだ。

彼はみんなに公平だったから、お開きとなってからも、姪である先輩以外の誰かと一緒に帰ることはなかった。女の子たちは女の子たちでタクシーなりなんなりに乗り合わせて帰宅する。でも、帰り着いた頃に必ず電話がかかってきて、いつも無事に着いたことを確認されるようになったのはいつの頃からだっただろうか。おやすみを言うためだけの電話は、考えようによってはかなり素敵なものだったわけだが、自分は子供だと、卑屈になりかけていた私には、そんなことに結びつけられる余裕はなかった。

けれどその晩は、いつもより長く話した。ふと思い出して、初めて一人で海外旅行にいくことになったのだと言えば、あれこれ心配してくれる。その話の流れで、スーツケースが必要だと私が言ったとき、ふと間が空いた。おじさまが息を吸いこむ音が聞こえた。

「じゃあ、来週末、一緒に出掛けよう」

それは初めての約束だった。土曜日の、それもお昼の約束だ。そんな明るい時間の待ち合わせなんて、これまた初めてだった。ありがとうと返して受話器を置いた途端、急に緊張してきた。恋愛感情なんて一切ないのに、もうこれは女の本能なのだろうか。何を着ていくのか、靴は?髪は?ハンドバックは?目的はスーツケースのはずなのに、まるでパーティーに行くかのような大騒ぎになってしまったその後の一週間。その他大勢の一人じゃなくて、ちゃんと私を見て、私だけにしてくれた約束が、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのかもしれない。

日射しが強くなり始めた大通りを抜けて、冷房の効いたデパート内に到着したのは約束の何分前だったのか、彼はすでに来ていたのかどうか、最初に何と言ったのか、もう覚えてはいない。すぐにスーツケース売り場に行き、助言に従って買物をする。私の目的は、あっという間に達せられてしまった。さてこの後どうするかと思ったとき、おじさまが言った。

「帽子は持っていくの?」

帽子?首を傾げる私に彼は続けた。夏のお出かけなんだから、帽子は必要だろ?そう言うと私の手を握り、迷いない足取りで帽子売り場へと向かったのだ。思ってもみなかった展開に私は戸惑った。旅行に何を着ていくのか、まだ考えてもいなかったから、合わせる帽子のイメージなど湧くはずもない。いや、帽子をかぶっていくなどという発想そのものすらなかった。焦るばかりでどうしていいのかわからない。

そんな私に、まるでマダムのようなつばの広いエレガントな帽子を次々とかぶせていくおじさま。こんなの似合わないよと文句を言えば、ヨーロッパの素敵な街に行くんだから、これくらいがいいんだよ。そう言って実に楽しそうにしている。

あれもこれもとかぶせられつつ、長い間鏡の前に立っていれば、そこはどんどん遠い国の夏の街角になっていく。やがて、胸の高まりに気づいてどぎまぎするものの、最後の最後までなされるがまま、着せ替え人形よろしく鏡を見つめるばかりだった。

「これなら、きっと何にでも合う、長く使えるな」

そう言って選んでくれたのは、黒いストローのつばの広いものだった。飾りもないシンプルなものだったけれど、形がずば抜けて良くて、大人っぽくも可愛らしくもかぶれるような気がした。なによりも、それは本当にヨーロッパの街角に似合いそうで、私の胸の高鳴りは増すばかりだ。

外の日射しはきつくなっているだろうか。せっかくだからかぶっていこうかと提案すれば、おじさまが静かに首を振った。

「ちょっと待ってて」

しばらくあと、備え付けの椅子に座って大人しく待っていた私が、微笑む店員さんから手渡されたのは、きれいな絵が描かれている丸い箱だった。帽子の箱だ。生まれて初めて、そんな大きなものをもらった。

あまりに素敵で、高鳴っていた胸はもう震えんばかりだった。脳内には、さっきまで鏡の中にそびえていた大聖堂らしきものが再び出現し、その鐘がこれでもかと打ち鳴らされている。

それがおじさまからのプレゼントだということに興奮しているのではない。憧れのヨーロッパを前に、まるで自分が映画のヒロインかなにかになってしまったような、おめでたい勘違いが発動しているだけである。それだけ、この素敵な帽子の箱は威力が凄まじかったということだ。私はいいようもなく興奮していた。

その後、早目のディナーも素敵な所で食べたように思う。けれど何を話したのか、何を飲んだのか、これまたやっぱり覚えてはいない。ただちらちらと、自分の隣りに置いた帽子の箱を見ては、その都度、胸をときめかしていたことは覚えている。

まったくもって失礼な奴である。けれど、そんな風でも私が随分と嬉しそうだったからか、おじさまはとても満足そうだった。笑っている私を見て彼が笑い、そんな彼を見て私がまた笑う。なんだかそのシーンだけはやけに鮮やかで、今もくっきりと思い出すことができる。

食事が終わり、送っていこうかと切り出されたときは、まさかの一言に驚いた。でも、それを受け入れてしまうと、今までの素敵な思い出が全部駄目になるような気がして、私は首を振った。おじさまは無理を言うことなく、そのわがままを聞いてくれた。

感謝することがあまりにも多い一日だった。けれど今ここで、あれもこれもとあげていくわけにはいかない。なので、どうかそんなことがすべて伝わりますようにと祈りを込めて、私は満面の笑顔とともにありがとうを言った。

じゃあ気をつけて、とホームまで送られ、続けて「おやすみ」と直接ささやきかけられたとき、私は唐突に思ったのだ。ああこの人は、親子程年の離れた私のことを、今日一日、ちゃんと一人前の女性扱いしてくれていたんだ、と。そう理解した途端、私は全身が燃え上がるかと思うほど強烈に照れてしまった。嬉しさを通り越して、それはまさに青天の霹靂だった。

声にならないように必死で叫びを押し殺し、私はいつになくうわずった心でおやすみなさいと返した。けれど私の顔は、きっとそんな心を隠しきれていなかったのだろう。私を見たおじさまが、今まで見た中で一番優しい微笑みを見せたような気がしたとき、ドアは閉まった。

素敵な帽子はスーツケースに入れずに、大事に手に持って空港へ向かった。けれど夏の終わりの街で、その帽子が必要になることはなかった。私はそれをスーツケースに入れて持ち帰り、一人暮らしの部屋のクローゼットの上段に、あの綺麗な箱に収めて片付けた。

夏を境に女子会は解散し、私はもうおじさまに会うことはなかった。改めてお礼を言おうと思ったときに気がついた。いつもかけてもらってばかりだった電話、私は彼の連絡先さえ知らなかったのだ。先輩を通せばそんなことは簡単だっただろうが、私はそうはしなかった。

彼もかけてはこないだろう。そういう人なのだ。決して無理強いはしない。いつだって相手の気持ちを優先してくれる。だからきっと、これでいいのだ。私は、夏の日差しのきらめきのような思い出を、帽子と一緒にしまった。素敵なものは、永遠に素敵なままでいい。

そのあと、帽子に出番はあったのか、記憶は曖昧で思い出せない。ただ、それを褒めてくれるようなボーイフレンドを持たなかったとことだけはたしかだ。けれど思うのだ。あのデパートの鏡の前で、夏のヨーロッパの街角に想いを馳せながらかぶった以上に、素敵なシチュエーションはなかったと。

そんなファーストデートの中に絶妙に隠された、想いの欠片や駆け引きやらを見つけ出して育てることができなかった私は、恋愛関係において、自分が思う以上にやっぱり子供だったわけだ。けれど、十代最後の夏を前にした私を、彼はあの日、一人前のレディとしてエスコートしてくれた。今思えばその時間が、本当の意味で私を大人への道へと送り出してくれたのかもしれない。

ファーストデートの定義に、恋愛感情のある、と書かなかった自分に私は今、拍手を送りたい気分だ。気の赴くままに書いた「素敵すぎる」時間という条件が、時を超えて遠い日の感情に結びつき、もう決して手放したりはしないだろう至宝の思い出を、ようやく見つけ出してくれたような気がする。

私はこのとき、学んだんだと思う。何もないところから感情が生まれる瞬間を、恋とは愛とはそんなものなのかもしれないということを、その先の切なさや拙さの存在すら。こだわりまくって選んだ「初めてのデート」は、やっぱり「初めての〇〇」らしく不恰好なものとなったけれど、それはあまりにも別格で、私はまた、胸が震えんばかりだ。




*エッセイやポエムは、主軸の庭作りやクッキングエピソードとは別枠で、
 ぽろりぽろりと、思った時にランダムに挟んでいこうと思います。
 マガジン「言葉あそび」にまとめておきます。


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