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球場観戦記@マツダズームズームスタジアム広島

 広島が復興のシンボルだった広島市民球場からマツダスタジアムへと移転して10余年が経った。この期間が長いか短いかと考えたら、長年ファンの思いが蓄積された市民球場と考えると軽いだろう。しかし、マツダスタジアムへと移転してから赤ヘル人気が爆発したのもまた事実で、今季は既にコロナ禍以前のような盛り上がりを見せている。今回は、そんなアジア1のボールパークはなぜ人を集めるのかを考えるため、現地へと向かうこととした。

グッズショップの洗礼

 僕がまず驚いたのは、電車をおりて広島駅に直結するデパートに向かった時のことだ。名駅で言うと高島屋のようなところだろうか。店員の方々がみな、広島のビジター・ユニフォームを着用し、至る所に広島帽や選手の背番号入りのトートバッグ、クリアファイルといった日用品にできるようなグッズを売っているのだ。我が地元の名古屋では、中日のグッズを売る店はナゴヤドーム前のイオンか栄のオアシス21くらいだろうか。中日の人気回復も、地元の街の協力なくしてありえないのではないかと痛感した。

お土産売り場も赤1色

 また、球場内のグッズショップも素晴らしかった。上記のグッズはもちろんのこと、レプリカユニフォームはなんと支配下選手のものが全て揃っているとの事だ。通常の球団は、チームの中心選手しか販売していない。


ドラゴンズショップの事例

 上の画像のように、中日で言うと大野雄大や大島洋平らがそれに該当し、球団としてもこちらの販売方法を採った方が利益は上がるが、お気に入りの選手は人それぞれ。長く二軍にいる選手でも必ずやファンはいるものである。ということで、僕は名電高の後輩である田村俊介のレプリカユニフォームを購入した。

グッズショップは球場内に(コカ・コーラの広告の下階)
後輩選手のユニフォームを着用し、ダブルピースの筆者

MLBとNPBのいいとこ取りの球場

 左右非対称の外野観覧席や、様々なイベントを行っていることから、MLB風の球場として知られるマツダスタジアムだが、その中で広島球団が長年広島市民球場で培ってきたノウハウが随所に見られると思った。まず、観客のニーズに合わせた観戦スタイル別の座席がある事だ。プロ野球の観戦スタイルは実に人それぞれだ。僕のように野球は眺める程度で、グルメを楽しみたいという人もいれば、応援団のコンバット・マーチに合わせて応援したいという人、選手の写真を撮影したい人、また、近年では規制が激しくなっているが選手に向かってひたすらにヤジを飛ばすというのも立派な観戦スタイルだと僕は思っている。

 そういった観戦スタイルごとに、マツダスタジアムは座席を分けているのだなと感じた。野球を眺める程度で良いという人やヤジを飛ばしたいと言う人には普通の観戦シート、応援をしたいと言う人には立ち上がっての応援が可能なパフォーマンスシート、撮影をしたい人には選手目線でグラウンドを眺められる砂かぶりシートと多岐にわたる。また、対戦球団のファン同士でのトラブルを防止するため、中日ファンの専用エリアがあった。もちろん、僕はそこで観戦したが、ナゴヤドームでいう5階のパノラマ席に該当するところであり、初めて来る僕にとっては球場の全景を見ることが出来て大変に結構だった。

ビジター専用エリアから見たマツダスタジアム。前述のコカ・コーラのグッズショップとスコアボードの間にそびえ立っているのが応援をしたい人向けの「パフォーマンスシート」だ。

 また、前述の通り非常にMLBの球場に近いものがあることも事実だ。試合途中に子供がゲームをできるコーナーや、円卓を囲んで食事をする場所、コロナ禍ならではのことになるが、マスクをとって涼む場所など多岐にわたり、このボールパークは昭和、平成の時代では常識であった「球場は野球を見るだけのもの」ということを見事に打破したのだ。その中に、日本の「球場」のいい所を随所に散りばめた最高の球場と言えるだろう。

肝心の試合の方は

 野球を見に行って球場のことだけを書いてしまったらただの旅行となってしまうので、お待ちかねかは分かりかねるが試合の選評を書いていこう。

明暗を分けた両軍の先発陣

 両先発はベテランの松葉貴大と野村祐輔。共に若い頃は速球を武器にする本格派投手であったが、故障や年齢から軟投派への転向を余儀なくされた2人である。

野村の美しいワインドアップ・モーション

 この日の野村は初回に3失点を喫し早々にノックアウト。遠目からでも分かるくらいに制球が荒れており、直球も140km/hを超えることがなかった。やはりこの手のタイプの投手は、元の球威がないがためにコントロールを失ってしまっては好投できない。これとは対照的に松葉は制球良くスイスイと6回を1失点。今季お馴染みとなった「公務員投法」で広島打線を面白いように手玉にとっていたのが印象深い。

好循環…R.マルティネスの温存

 中日はその後、祖父江大輔、ロドリゲスと繋いでR.マルティネスと繋ぐ必勝パターンで勝利すると思われたが少し点差の空いた9回に不調の福敬登を投入。こうした試合で抑えの投手を休ませられたことは143試合の長丁場となるシーズンに於いて間違えなく大きいことだろう。

最後に

 この遠征で、日本人として1度は行かなければならないだろう原爆ドームと平和記念館に立ち寄った。平和記念館の資料は非常に凄惨なものであり、2度とこのような悲劇を起こしてはならないと思ったと同時に原爆投下からわずか5年で立派な球団を拵えた広島市民の底力に改めて感服した。原爆と広島球団という、広島の光と影のような存在を1日できたことは大きな経験だと思うので、今後も旅先ではその地域の歴史を見て回ろうと思った。

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