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【ストロベリー狂詩曲】22

君のことを思い出にしたくないと、僕は思っている。
一分一秒、時間が許す限り、好きだって何度も言うよ。


* チサカ視点 *

 今日は朝から例のCM撮影に入る。全国放送で私の知名度が一気に上昇する大きな仕事。放送開始の前々日は、朝の情報ワイド番組の芸能コーナーで寺田総司とインタビューに答える特別な枠が用意されている。余分な所は編集出来る前撮りで助かった。生放送はしくじれない。
 玄関のドアを開けたら、四月初旬に舞い戻ったかのような肌寒い風が長い金髪をふぁさっと後ろへ靡かせる。

(薄手の長袖にして正解だった)

 眩しい直射日光を浴びせるご機嫌な太陽。天気予報では気温がやや低めなのは午前中で、昼前から洗濯日和だと言っていた。
 朝の通勤ラッシュが終わった市街地に出れば、喫茶店のテラス席でモーニングをつまみに歓談する専業主婦の姿や、自転車のカゴに朝食用と思しきコーンフレークの箱と大きめの牛乳瓶を入れた白いビニール袋を積んでペダルを漕ぐ男性の姿を見掛けた。
 何処か退屈気で、何処か落ち着く、マイペースでのんびりした過ごし方に私は憧れる。
 人通りがなだらかな駅前広場の駐車場に着くと、マネージャーの時田さんが先に待っていた。

「おはよう、チサカ。指定時刻まで残り九分ね」

 時田さんは左の手首に着けている腕時計を見て確認した。ベージュ色の細いベルトに縁が金色のケース。彼女とは年中仕事で会うけれど、初めて見るデザインだ。

「学校生活は順調?」

 直感でこれは「来る」と思い、私は淡泊に答える。

「まぁまぁ」
「寺田くんとはあれ以降、ややこしいことになっていないわよね?」

 時田さんは一般の通行人に警戒し、話すタイミングを見計らった。揉め事に早く終止符を打って欲しい様子だ。

「私の中ではなっていない」
「事務所を変更されたら、うちは大損よっ?」
「引退するって本人が言い出したら?」
「縁起が悪い」

 予定より五分早めに着いたロケバスへ乗り込み、先に乗車していたスタッフの人達に挨拶をすると、短めの挨拶がまばらに返って来た。

「此方へどうぞ」

 うち一人に空席を案内され、後ろから三番目の窓際へ行く。

(あ)

 真後ろの席には、腕組みをした寺田総司が座っている。ストライプ模様入りで色褪せたデニムカラーのマリンキャスケットを目深に被っていて、表情は窺えない。
 隣の席に座っている彼のマネージャーが私に苦笑いを向け、口パクで「ごめんね」と謝罪しながら、拝むように両手を合わせた。私は軽く一礼して席に着く。
 道のり一時間半の間、寺田総司の声を耳にすることは一度もなかった。



 背丈の比べっこをし合うが如く高さの異なる建物がごみごみ乱立した中心部を出て、民家がひっそり佇む農業地帯へやって来た。荷台に山盛りの春キャベツを載せた軽トラと擦れ違う。
 バスから降りると監督が場を仕切り、スタッフ達は慎重に機材を運び出す。先にピンで撮影する寺田総司を車内で着替えさせてメイクを施す間、私は外で時田さんと待機。
 ぼうっと立っていたら、監督がパイプ椅子を一脚抱えて此方へ来る。

「水無月さん」
「はい」
「暇を持て余している君に特別任務を与えよう」
「?……有難うございます」
「それじゃあ、これに座って」

 園児が好みそうなクマのイラストが特徴の座布団を敷いた、真新しいパイプ椅子へ座る。

ぷうっーー

「わっ、私、してませんっ!」

 おならの恥ずかしい音が鳴って即座に立ち上がると、監督も周りのスタッフも笑い声を漏らす。

「はははっ、わかってるよ。ごめんね、ドッキリの仕事も請けてたんだ」
「監督、バッチリ撮りました!」

(なんだ、そういうことか……)

「水無月さん、緊張ほぐれたでしょ?」

 このタイミングでしなくても良かった所をしたのは計算に入れてのことだと匂わせる質問に体の力みを抜いた私が「はい」と答えたら、監督は上機嫌な笑みを浮かべて座布団を退かし、スタッフが持って来た低反発の座布団を代わりに敷く。

「両手を出して。イメトレ、やったことある?」

 胸の前で広げた手の平の上に、白いイヤホンが挿し込まれた携帯型音楽プレイヤーの『マイポッド』が置かれる。

「PVの時にしました」
「それなら、問題は無さそうだね。CMに使う曲、寺田くんの準備が完了するまで頭に流し込んどいて」
「わかりました」
「寺田くんは、これを聴いて泣いてたよ。そんなに良かったの?って尋ねたら、歌詞が気持ちを代弁してくれてるんです、だってさ。よっぽど好きな人でも居たのかな」

 それじゃあ頑張ってね、と監督は気さくに笑ってこの場を離れた。私はパイプ椅子に座り、新品のイヤホンを耳に挿してマイポッドの再生ボタンを押す。
 センチメンタルにギターの弦を弾く音、ピンボケでぼうっと響く電子音。交錯する二"色"の音。サビの部分でメロディーと共に昂ぶる若い男性の声。会えなくなった人へ募らす想いの熱量。終わったことだと自覚しながらも心を痛ませ、面影に翻弄される日々ーー。
 胸が詰まる歌詞に私は俯き、時間を忘れて繰り返し聴き入っていると、ロケバスのドアが開く重音が混ざり込む。マイポッドの停止ボタンを親指で押し、顔を上げた。
 制服姿で地面に足を着ける寺田総司。左胸にポケットが付いた半袖の白いシャツ、制服ならではのつやっとした素材感の黒いズボン、不自然さを無くした使用感のある薄汚れたローファー。髪色は変えていない。
 ヘアメイクアーティストによって煌びやかな、されども近寄り難い俳優のオーラが全開になった寺田総司は後から降りてきた自身のマネージャーを盾にして背中をぐいぐい押しながら現場に向かって歩き出し、呆気に取られる私と時田さんを完全無視。

「次、水無月さん入ってください」
「お願いします」

 ロケバス内に残っているメイク担当の女性スタッフに呼ばれ、何処にでもあるような制服を受け取って着替える。リボン無し、校章無し。スカートは膝丈。視聴者の女子高生が自己投影しやすいように黒髪のウィッグで金髪を隠す。化粧は薄めですっぴんに近い。

「時田さん」
「何?」
「普通の女子高生ってどんな感じ?」

 私の発言にメイクさんは驚き、手を止めた。

「水無月さんも女子高生でしょ?」
「この子が通ってる七都宮の芸能科は同業者ばっかりでね。普通を理解するの難しいんじゃないかしら」
「うわぁー、リーク怖そう。参考に少女コミックは如何です?」
「NGを連発しちゃったら借りるわね」

 そうならないことを祈りながら緊迫感が充満する撮影現場へ行く。合流したら着いて早々監督に名前を呼ばれ、手招きを受けて前に立ち、隣りに立つよう言われて移動。絵コンテ付きの台本を参考に此処はこうしてくれとの説明を受け、指定の位置に着くと、PVに携わったスタッフ以上の真剣な目が私に集中する。
 コンクリートで舗装した脇道。消えかけの白線を踏み、表情が堅い寺田総司と向かい合わせに立つ。近くに寄れば寄るほど、拒否反応を起こす暗い視線が顔に突き刺さるのを感じた。
 撮影開始を知らせるカチンコの音が鳴り、此処に居ない桜馬先生を想う。放送が始まったら先生に
『頑張ったね』
 って、褒められたい。
 私の両肩に、寺田総司の手が乗る。見つめ合い、懇願するように瞳を潤ませて徐々に瞼を伏せ、視界から存在を消す。
 …………沈黙。
 一、二、三、四、五。

「ーーカット!やり直し!」

 監督の声で目を開けたら、泣き声を上げまいと怪我の痛みを我慢する幼子の表情で大粒の涙をポロポロ落とす寺田総司に私は驚いた。

「寺田くん、目にゴミが入った?」

 俳優の異変に監督は駆け寄り、体調を心配する。

「NGを出して、すみません」

 寺田総司は右手の甲で両目を隠し、鼻をすする。

「感極まるほど役に入り込んだ?水無月さんの撮影をしている間に休んで、頭、切り替えていこう」
「はい」

 マネージャーに背中を支えられてカメラの外へ行く彼に掛ける言葉が見つからない。

「水無月さん」
「はい」
「伝染しちゃいけないよ。顔に出てる」

 監督が硬くなった表情を見て、ざわついた精神を指摘する。

「これから君の大好きな人が会いに来るって言うのに、不安な顔してたら相手が心配するでしょ?スマイル、スマイル」
「本当に来るんですか?」

 まともに喰い付いた私に監督が吹き出す。

「ッ、……ははは!実際には来ないよっ。君の好きな人の名前すら知らないのに」
「ですよね」
「でも、本当に来たら嬉しくない?」

 煽り言葉に私は表情を綻ばせる。

「素敵な笑顔だね。よし、今度はーー」

 台本を開いた監督の指示を受けてから次のシーンへ移る。調子を乗せてくれたことで、一人でもやれそうな気がしてきた。

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